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ロン毛が山小屋暮らしを振り返って


乾燥機より圧倒的外干し派のオザキです。


※2020年6月より私オザキはとあるご縁で三重県紀北町の山小屋で暮らしていたわけですが、その際にこちらのnoteで生活を自分なりに綴っていました。自分の為というより誰かの為に書いてた気がします。何かの役に立てば良いなと思ってたりもしてました。そんな山小屋暮らしの生活を綴っている最中にこちらのnoteでの記事を中断してしまいました。そして2021年2月、もう一度綴ろうと思います綴ります綴らせてください。しかしながら内容自体は当時書いていたモノなので想いも考えも当時のモノです。タイムカプセルから出していきたいと思います。それでは今回も宜しくお願い致します。


てへぺろ♡



※ここからは2020年7月に書いたモノです。


山小屋暮らしを終えて


山小屋暮らしに求めてた真の理由。

なんだったんだろうか。

正直、考えれば色々理由はある。ありすぎる。
・自然の中で暮らしたい
・家から離れたい
・東京じゃない場所で過ごしたい
・変わったことがしたい
・副業的なことができるかも
・速水家に背中を押してもらった
・何か可能性を感じた
・コストのかからない生活を求めてる
・実家がストレス
・孤独を味わいたい

などなど。


でも正直なところ

「ココロが何かを求めてる」

という感覚。
それを言語化できればいいんだけど、、、今はわからない、本当に分からない。
上記の理由は都合の良い理由で本質じゃない気がする、でもそれも分からない。
なんなんだろう、分からない。


あ、「生きることを実感する」かな
それとか「生死を感じる」とかかな
というよりも「感じたい」かな。


きっと終わりの見えない人生、物理的な終わる事(死)をできるだけ感じたかったのかもしれない。
東京で感じてる感覚のまま人生の終わりは感じれないんだろうなと思ってたりしたのかもしれない。
"本当の終わり"の感情や状況みたいなものを感じれる場所をココロが求めてたのかもしれない。
そんな気がする、いやしない、いやする。


結果、実際に感じれたかどうかはわからない、うん分からない。
これは後々実感することなのかもしれない、まだ分からない。
それが死ぬ時かもしれない、どうなんだろう。


まあそんな思いでおそらく希望した山小屋暮らしというわけだ。
そして答えは出なかったわけだ。
ご縁あって至れり尽くせりで始まった山小屋暮らし、みんなが思ってる以上に快適だと思う。
それとは逆に自分が持ってた以上に大変だった。
大変って結局は「知らない」ってことなんだなとも思った。


生活する中で許せるけど許せないみたいな。物理的には許せるけど心のどっかでは許せてないみたいな感覚がめちゃくちゃあった。
できればもっと綺麗な場所で過ごしたいな、とか
友達と一緒に暮らしたいな、とか
ここにテーブルが欲しいな、とか
もっと日光当たらないかあ、とか


自分で快適空間を作ることもできた。というかどんどん作っていいよと許可まで頂いていた。


ではなぜやらなかったのか、、、


この山小屋暮らし、様々なことを自分でガーっと変化させなかった1番の理由は「そう遠くはない将来、ここを離れるだろうな」って自分でなんとなく感じてたから。


それはここが嫌い、ではなく海外に行きたい住みたい働きたいっていう強い想いがあったからである。(まだ叶っていない。)

退職を考えた理由も全てそこにあった。


とにかく日本から出たい!漠然としてるけどずーっと思っていた。
自分の欲がどんどんどんどんどんどんどんどん枠の外に出てがっている気がする。
何かに縛られることに対する抵抗もあると思うけど、可能性だらけだからなんでもできるみたいな思考の方が強いと思う。



人生は一回きり(のはず)



何でもやれば良いし、後悔は誰だってしたくない。(するけど。)
常に最新は「今」だし、それはあっという間に「過去になる」。
「過去」は意外にすぐ去ってしまう儚いもの。
一生懸命生きる「今」がどんどん「過去」になる。
それが自分という形になっていく。
未来の自分は「今」の自分が積み重なったもの。くう〜〜


おもろいことをやればおもろい過去になるし、つまんない毎日を送ればつまんない過去になる。単純なこと。



だったらおもろいことしようやって、毎日一生懸命生きようやってなる。
それが自分になるし僕の生き様。
この一瞬は人生で一回だけ。何もやらなかった瞬間も人生で一回。我慢してる瞬間も人生で一回。笑ってる瞬間も人生で一回。どんどん過去になっていく。



だけど過去は変えられない。


だから「今」を一生懸命本気で面白く生きる!


動き続ける、面白いと思うことを考えまくる、そしてそれを本気でやる。たまにしっかり寝る、ぐっすりと。


でも、思い通りにいくことなんてなかなか無い。犠牲にすることもたくさんある。我慢することもたくさんある。人生は甘くない。(←母によく言われる。)


頑張ることで近づく。サボれば遠くなる。


人生は真っ白のキャンバス。


何を使うのも自由だし何色を使うのも自由。それが死ぬ時の作品になる。生き様になる。
キャンバスの大きさは無限大。どのくらい使うかなんて自分が決めれば良い。他人が決めた大きさに従う必要は特にない。使いたい色、使いたい道具全部使えば良い。
取捨選択して仕上げていこう。完成と正解はない。


死ぬときに持っているキャンバスが最高傑作だし人生の作品。(ピカソを超えたい。)


この大空のような縦横無尽に広がる無限大の可能性にワクワクしながら生きていきたい。


人生はおもろい!!!!(←最終的に山小屋暮らしで学んだこと???笑)


綺麗事ばっか言って後々見返したら「もっと頑張れよ」って思うんだろうな。笑


1年後、3年後、5年後、10年後、20年後、どんな気持ちで読むんだろう。


山小屋暮らしは半分以上が梅雨と被っていた為、晴れた日が多くはなかったけど今日は快晴。
太陽と木と葉と土と空気とオザキ。
絶妙に共存しあってる今を脳裏に焼き付けて帰りたいと思う。
今日は本当に気持ちがいいな!!!!



山小屋暮らしから教わったもの



それは、

「人間のあり方」

だったのかもしれない。

はたまた

「自分の夢」

だったかもしれない。



チャンチャン。
アイスでも食べよーっと。



そして時は経ち


2021年2月になった今、オザキは思った。

当時のオザキは相も変わらず調子に乗っているな。笑




note by オザキ

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