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信頼度の蛇口を絞めろ

「村八分」なる本を読んだ。さまざまな事例が紹介されていて、陰湿な雰囲気に背筋がゾクッとする本だった。

村八分の語源は、詳細にはわかっていないらしいが、撥撫む(はつむ)からきているらしい。撥撫むというのは、嫌ってのけものにするという意味。八分と表記したのは「冠・婚・葬・建築・火事・病気・水害・旅行・出産・追善」を十分として「葬・火事」以外は関わりを断つという理由から。

どうやら村八分があるのは、規律のためだと考えられそうだ。村八分自体が、村八分の発生を抑制する効果がある。事例として、戦中から戦後にかけて東京都南多摩郡恩方村という戸数十四の集落でじゃがいもの盗みが発生していた。夜間に見張りをつけたりしたが、盗みは一向に止まなかった。村人は部落会として村民を招集し、盗みをしたものは村を出てもらうことを決定した。それによって、じゃがいもの盗みはぴたりとやんだ。この村には「掟四章」というものがあり「火事」「殺し」「盗み」「村の恥を外に漏らす」この四章を犯したものは、八分にする、というものだった。

これを明示的に決めているのだから、恐ろしい。

こうした名残はいまだに残っていて、2021年にも大分県で村八分をめぐる裁判の判決が下った。概要としては、Aさん(原告)は地元を出て公務員として仕事をしていたが、定年退職後で地元に戻った。Aさんは知人に畑を貸していたが、帰省後に賃貸契約を終了し、自分で耕作を始めた。賃貸契約を終了したにもかかわらず、中山間地域等直接支払制度(農林水産省が山間部での農業に対して交付金を支払う制度)による交付金が知人に支払われており、それを不審に思ったAさんは市の農政課に問い合わせた。すると、地域住民から排除される活動がはじまったというものである。

村によって掟は違うが「村の恥を外に漏らす」という禁忌に触れたということなのだろう。学校でもいうなれば「先生にチクられる」と言ったところだろうか。本書では、いじめという問題も村八分と同様のものだとしている。日本人の気質、根っこがそういうものなのだろう。

自分も移住した身であるため、怖くなり始めている。こうした不文律を犯すと八分にされかねない。よそ者はやることをやって静かにしているのが良いのかもしれない。

これは自分の勝手な持論なのだが、黙ることは美徳だと思っている。これは学生時代の小さな集団の中にいた時の話。学生集団はある人気者を中心に派閥が形成される。その近辺には陰口が必ずある。表向きは楽しそうに仲良くやっているのだが、裏では真逆なのである。その中で自分は寡黙であることを貫いていた。わいわいやっているところに入り込んではいけないのだが、ただ居るそんな状態である。そうしていたら、なぜか皆からの平均的な信頼度が上がっていったのである。中には、あまり話もしていないが恋愛感情を抱くものまで出てきた。この一連の状況は自分にとってかなりコスパの良い組織内の振る舞い方かもしれないと経験的に感じている。

おそらく、陰口を言わない人だろうなと思わせていたのが良かったのだと思う。村の掟にある「村の恥を外に漏らす」この性格がないことを習慣的に示していることで、自分の陰口を言わない安心感が信頼につながる。信頼度の蛇口をきっちり閉めている状態だ。単に言わないということは案外大事だったりする。

ことが起きてからでは遅いからだ。

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