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私が野鳥を探す理由

 バスケにハマる前、私が自由時間を割く趣味の一つが野鳥観察だった。日本野鳥の会が各地で定期的に開催している探鳥会(大きな川や公園などの野鳥観察スポットに集まり、皆で鳥を探して有識者が解説してくれるという胸アツイベント)にも何度かお試し会員として参加したけれど、結局正会員にはならずに趣味の軸足をバスケに移してしまった。今はたまにひとりで散歩がてら鳥を探す程度で、私のバードウォッチングは趣味未満のままだ。とはいえ、春になって家の周りにシジュウカラの縄張り宣言やイソヒヨドリの個性豊かなさえずりがあふれるようになると、隙あらば視線は鳥の姿を追いかけてしまう。

 鳥の何がそんなにいいのかと聞かれれば、造形の美しさや色やさえずりの多様さ、注意して探せば意外と身近で観察できることなどつらつらと語ることになるが、私が好きなのは鳥を見るときに感じる高揚感だ。小鳥も猛禽も水鳥も、鳥はみんなそれぞれに洗練されて美しい。きれいで自由でかっこよくて、姿を見ているだけで幸せになれる。
 空高く飛ぶ鳥を見るときの気持ちは、コートで躍動する選手を客席から眺める時の気持ちに似ている。バスケをするために鍛えられた身体、動物的でありながら感覚と意思によって正確にコントロールされた動きはほれぼれするほど美しい。ただ、そこに感じるのは色気とか異性愛的な魅力ではない(と、今のところ自分では認識している)。憧れとも少し違う。自分もあんな風に飛べたらと思うことはないし、ボールを追いかけて高く跳び全力で走り続けられる身体は自分のとかけ離れすぎていて、想像もできない。理想として追いかける対象というより、ただ遠くから観測するのがふさわしい距離にある。
 綺麗だと思うと次に、絵に描いてみたくなる。下手の横好きで大したものは描けないけど、描こうと試みる過程でより細部に気が付くし、解釈が深まる。それでW杯以降のこの数か月、ほぼバスケ選手の絵ばかり描いている。技量の差を度外視すれば、ひょっとして男性画家が裸婦像を描くのと似ているのかもしれないけど、私は男性画家ではないので彼らがどういう情動で裸の女を描くのかはよく分からない。女子選手にも描きたい選手がたくさんいるものの、残念ながら今はハンナリーズの選手で手一杯だ。パリ五輪の時には何か描きたいと思っている。
 ちなみになんで突然バスケに夢中になったのかとも聞かれるので、そのたびいかに試合観戦が面白いかを熱弁するけれど、結局若い選手の顔ファンだろみたいな空気が漂うことになるので理不尽極まりない。バスケ選手の美しさがまず好きなんだから確かにそうとも言えるんだけどさ、それとはちょっと、いや全然違うんだって。

 10月のレギュラーシーズン開幕以降、Bリーグ、主に地元ハンナリーズの試合を観戦し応援してきた。現地観戦したのはホームアウェー含め12試合。ブースターなら別に多くないだろうけど、1年目の初心者にしてはけっこう頑張ったのではないだろうか。はじめはどこでもいいから現地でバスケの試合を見てみたかっただけなのに、観戦するうちに単なる「地元のチーム」だったはずのハンナリーズが、次第に「箱推し」へと変わっていった。そんなに勝てない、強くない、プレースタイルもまだ探り探りという感じで、物語もメッセージも他のクラブに比べれば薄くて、なんだかチームのカラーがわからなかった。それでも、半年も見ていれば選手全員の特徴や性格がわかるようになり、気づけば他人ではなくなってしまった。
 試合に足を運び、チームのSNSや動画をくまなくチェックし、時にはファンアートを描いたりもして楽しむうち、選手たちに対する自分自身の視線について考え込んでしまうことが何度かあった。自意識過剰といえばそれまでだけど、ファンとしての自分の居場所のなさというかおさまりの悪さというか、自分の属性が”想定された・望ましいファン”ではないのではないかという気持ちは、試合に夢中になっている時にさえいつも影のように付きまとった。

 ひと回り以上年下の相手をカッコイイとかきれいだとか言って入れ込んで、選手からしたらひょっとしてキモイんじゃないかという懸念も常に頭の片隅にある。そのことを気に病んでいる自分が確かにいる。ひとにどう見られるのかというよりも、それを内面化した自分自身の視線を気にしているのだ。

 もっとも、会場に行けば観戦を楽しんでいるたくさんの成人男性たちもファンとして言及されることは少ないように見える。彼らもこの気持ちを感じているのだろうか。自分たちのことを何だと思っているんだろう。私はそれと同じになれるだろうか。男も女もない、単なるファンって何だ?

2024年2月28日「透明な私たちのバカンス」より

 長いようで意外と短かったシーズンも終盤になり、先日、4月末のFE名古屋戦GAME2にひとりで遠征した。アウェーのゲームを観戦するのはこれで3度目だ。お友達に連れて行ってもらったドルフィンズのホームでは相手チームのブースターひしめくホーム側のゴール裏で少々肩身の狭い思いをし(それでも十分楽しめました。エサトンつおかった…)、広島ではベンチ至近距離のアウェー側エンド席であまりの近さにクラクラして試合どころではなかったので、今回はアウェーベンチ裏のスタンド席最後列にしてみた。目線がある程度高くてコートが近すぎないので試合が見やすいのと、後ろの席に遠慮せず立ち上がったり腕を上げたりできそうだったので、一度このあたりで思い切り応援してみたいと思っていた場所だ。FE名古屋はベンチ裏とゴールエンドのブロックをアウェーチームの応援席に指定していて、アウェーの応援グッズしか使えないようになっているらしい。それもあってかこの一角はハンナリーズの浅葱色のユニフォームを着たブースターで埋まっていた。試合時間が近づくと、おなじみのコールリーダーの男性が客席を回り、アウェー専用の応援コールの方法を書いたメモを配ってくれた。『よかったら一緒にどうですか』と、あくまで自由参加という気遣いが文末に添えられていて、いつも思うけどハンナリーズブースターの中心にいる人たちの姿勢に間口の広さと懐の深さがあってありがたい。苦しい場面のタイムアウト中には客席に向かって「みんなでできる事をしよう、あと少しだけ選手を押し上げてやろう」というような声掛けをしてくれて胸が熱くなった。

 結果、今回の観戦はこれまで現地で見た試合で一番だったかもしれない。思った通り場所は見やすかったし、肝心の試合は10点未満を追う展開から終盤のシーソーゲームの末逆転勝利という文句なしにアドレナリン大放出の内容だった。そして何より、コールリーダーさんたちのリードもあって、応援席の一体感と没入感がすごかった。さんざんな内容だと必死に応援するのが心理的にしんどいけど(それでもいつも最後まで頑張るつもりではいる)、今回は試合の興奮で自然と声に感情が乗っていくような感じがした。周りには老若男女、いつも以上に多様なお客さんの姿があったのも印象的だった。老夫婦もギャルもカメコ(※と呼んでいいのか分からないが。カメラ部の人たちね。)も親子連れも見かけたし、古参らしい男性ブースターの一団も、男女問わずおひとりさまの姿も多い。てんでバラバラの属性に見える人々がそれぞれ熱心に思い切り試合を楽しんでいるように感じられて、前述のコールリーダーさんの言葉を聞いたあとにひときわ大きく応援の声が上がったときにそのことを
思って急にウルッと来た。隣に座っていた自分よりいくらか年上と思しき常連の男性とは、興奮に任せてタイムアウトのタイミングやプレーについて(知ったような口で)少し喋れたのも楽しかった。

 帰り道、試合に夢中で飲み残したビールを傾けながらひとり干潟に沈む夕日を眺めて歩いた。(稲永スポーツセンターのロケーションがとても良かった。もっとお客さんが入りますように。)周りを歩く殆どはFE名古屋のファンだ。「負けたけどいい試合だったね、楽しかった」なんて今シーズン何度も自分が口にしてきた言葉が聞こえてきて、そこに含まれる気持ちが私にもよくわかった。
 自分自身は選手でもスタッフでもないのに、勝つと嬉しくて負けると悔しい。よく考えたら不思議なことだ。負けて選手がしょぼくれていると次はなんとか勝たせてあげたいと思う。そんなことが自分にできるはずもないのに、応援する声に何か特別なものが宿ってコートに届き、ボールの行方を左右するのではという幻想を見ている。勝て、勝てと念じるとき、ブースターという大きな塊の一部になったような気がする。勝つことだけが全てではない。でも選手を美しく輝かせるのはどんな不利な状況でも本気で勝ちを目指す強い意思だ。応援はやっぱり危うくて、すごく楽しい。

 試合の余韻に浸りたくて駅までゆっくり歩くうちに、何者として試合を観戦するのかなんてつまらないことを気にしていたのがなんだか馬鹿らしくなってしまった。自分が変な客に見えるんじゃないかと思ってたけど、ここではみんなそれぞれ試合に夢中で、変なくらい楽しそうじゃないか。思えばリーグやクラブ運営の企画や言葉の選び方に垣間見えるジェンダー規範丸出しの思想しかり、日頃私が肩身の狭さを感じる雑音はいつもコートの外にあった。応援に集中することができて、そういった雑音が聞こえなくなれば、自然と試合に一喜一憂するただの観客になれる。選手と1対1で直接目が合うことのない距離で、しかし声は間違いなく届いていることを実感して、私は個人ではなくブースターのひとりだった。

 W杯からBリーグを見るようになって以降ずっと、深入りするのをためらってきた。野鳥の会入会には至らなかった私は、バスケ観戦においてはシーズン終盤にようやく自分をブースターと呼べるようになった気がする。もちろん今も価値観の摩擦を感じるシーンは変わらずある。経営層の拝金主義は危ういなーと常々思うし、リーグ全体に充満する旧態依然とした価値観が垣間見えるたびにイチイチ指摘するのは当然疲れる。いくらも本心を知らない成人男性を”推す”ことには相応のリスクもある。人間相手の趣味を続ける傲慢さと難しさを知らない訳ではない。それでも7カ月の時間をかけて、リーグ内外のさまざまなことに疑問を感じたり戸惑ったりしながら、ひとまず「ブースターである自分」に納得できたことは良かった。
 今でもまだ、自分の属性や推し方が、マジョリティとして想定されるファンの形ではないだろうことに少し胸が痛む。けれど想定されないだけであって必ずしも受入れられないわけではないし、これは私自身が持つ危うさへの自戒として引き受けなくてはいけない痛みでもあると思う。1シーズンでやっと勝手が分かってきたこのショービジネスに乗っかる覚悟をして、でも相手が生身の人間(それもバスケ以外ではまだ経験の浅い若者)であることを肝に銘じながら、提供されたものを受け取って応援やファンアートで表現するという消費をやっていきたい。もちろんこれまでと変わらず自問を重ね、必要なら異物になることを恐れず声を上げ続ける。あえて大きなことを言うけど、関わるすべての人の尊厳を損なわないために、選手や運営に対して健全な緊張関係のあるファンでいたい。

 今はシーズン残り2試合とファン感謝祭を楽しみにしつつ、来シーズンまでの長いオフの過ごし方を考えている。寝室にはプレーの勉強のために入手して読めていない本が何冊か積まれている。英語話者の選手たちの話をそのまま理解したいから英語の勉強でもしようかな。


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