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【私小説】役に立てると嬉しい

時々文章を書いておくと、練習になって何かの役に立ったりするかも知れない。
とか思って、何かを期待して書いてみる。価値があるかわからないけど。

価値といえば。自分の行いに価値があったと思えているだろうか。
承認欲求をどうすべきか真剣に悩んだ時期があった。いっそ人類はとりあえず承認欲求と性欲を無くしてひとつ高次元の存在になろうや…と神に提案したくもなった。
まぁ時々頑張ってちょっとした達成感でいい感じに満たせればなぁと曖昧な結論を出したわけだが。

チヤホヤされたいとか褒められたいとかって気持ちはいったん脇に置いておいて。
「誰かに必要とされたい」「何かの役に立ちたい」って気持ちは素直な自分の気持ちとしてあるのだと再発見した。
人間はそれを喜べるようにできているのではなかろうか。

これは意外と若い頃に教育されていないというか、もうちょっと周知するべきことのような気がする。人の役に立つと嬉しいよ、誰かに必要とされたらよかったと思えるよ、という考え方。あまり若い頃はこういうことを考えなかった。
まぁでも中高生の頃に「人の役に立ちたいと思わないの?」とか言われたら反発したくなるだろう。結局大人はそれかよ、と。社会貢献させたいんだろ、と。

自分の力を人の役に立てたい、という感情は今後も存在し続けるだろう。ならばどうするか。
やっぱり仕事かな。仕事を頑張るしかないか。というか仕事は頑張りたいけど。
多くの人にとって一番人に役立っていることはやっぱり仕事なのだろうか。なんせ社会貢献だし。そう考えると仕事って凄い。

だけどそれだけじゃなく、人っていうのは何かの役に立っているものなのだと思いたい。誰かに必要とされる時が頻繁にあるのだと思いたい。そうやって行いを肯定して生きたい。
そうじゃないとだんだん気持ち悪い世界になっていくと思う。

今年も少しでも誰かのために自分の力を役立てられますように。