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【移住ストーリー】タイが教えてくれた 力まない生き方 「わ・・た・・し・・」 (ホアヒン在住)

″結婚をきっかけにタイ、バンコクへ移住され、現在はヒーラー、カウンセラー、瞑想講師として活躍されているkanaさんにインタビューをお願いしました!″

セカイの住まいでは、実際に海外に移住された「先輩海外移住者」にフォーカスして、なぜ海外へ移住することになったのか、貴重な体験談を取材しております。

どのような経緯で海外へ興味を持ち、実際に移住することになったのか。

一人ひとり違う移住のストーリーを紹介しています。

--タイヘの移住はどんなことがきっかけだったのでしょうか?

2006年の結婚を機にタイに移住しました。主人とは日本で出会って5年の交際の後、主人の両親(父:日本人、母:タイ人)が住むバンコクに移ってきました。

14年のバンコク生活を経て、2020年にはホアヒンという自然豊かな場所に引っ越して来ました

--いつ頃からタイヘ興味をもっていましたか?

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タイに興味を持ったのは、主人と知り合ってからです。
「ダイビングの資格を取得しようと思っている」と当時、主人に話したところ「タイの実家に遊びにおいでよ」と誘ってもらいました。
その話をした数か月後には、バンコクの主人のご実家にお邪魔させて頂きました。

--タイヘ移住するにあたって、不安はなかったのでしょうか?

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不安は全くなかったです。

結婚する前から、主人が何度もタイに連れて来てくれたので安心して移住できたのだと思います。

ただ、当時の私は首の頸椎を痛めており、出来ることが限られていたので、同居する主人の両親に「迷惑をかけたらどうしよう?」「嫁として何が出来るだろう?」という思いはありました。
その思いを正直に主人に伝えると、「行ってみてから考えればいいんじゃない」「そのままでいいんだよ」と、力んでいた私の心を開放してくれました。

主人のその言葉のお蔭で、「新しいことが始まる」というワクワクした気持ちが大きくなっていきました。
また、恩師の「甘えさせて頂きなさい」という言葉がその時の私の在り方を示してくれたように思っております。

--タイで同居生活を始められてどうでしたか?

何もかもが新鮮でした。
何度も遊びに来させて頂いていた主人の実家でしたが、やはり住んで始めて分かることは沢山ありました。
例えば、同居先には「アヤさん」と呼ばれるお手伝いさんが2人住み込みでいました。
掃除や洗濯、家事全般をお手伝いさんにお願いする生活に慣れるのは、少し時間が掛かりました。

--タイ語はどうやって覚えましたか?

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タイ語は、挨拶と数字を数えるくらいしか知らない状況のまま、タイでの生活が始まりました。
そんな私に、タイ人であるお義母さんがタイ語を教えてくれました。
タイに移住してから、3日後にはお義父さんの日本食レストランを手伝うことにもなり、タイ人の従業員から毎日新しい単語や表現を学びました。
また、慣れない中でも周りのみなさんに、とても親切にしていただきました。

--タイでの生活は最初は大変でしたか?

思い描いていた新婚生活とは真逆の毎日でしたが、沢山の刺激と学びで充実した毎日を過ごしていました。
一方で頚椎の痛みが出てくることもしばしばありましたが、沢山の方の期待やご厚意に応えたい一心で働きました。

1年半が過ぎた頃、主人と一緒に独立することを決意し、カフェレストランを始めました。当時は、まだ若い世代の日本人の開業は珍しかったこともあり、周りの方にサポートしていただき、助言を仰ぎながら進めることが出来ました。

開店後、最初の1か月は殆どお客様に来てもらえず、主人と二人ありとあらゆることをやりました。
その努力が報われ、多くの方に店を知って頂き、半年後には毎月大きなイベントを開催できるまでになりました。

2年半ほど経過した頃、頚椎の痛みが酷くなってきたこともあり、お店を主人に任せて離れることにしました。

--お店に立つのを辞められたあとは、どのように過ごされていましたか?

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お店から退いてからは、暫くタイ語学校に行ったり、お花をアレンジしたり、お友達と会ったりしながらゆっくり過ごしました。
それまでは、駆け足で過ぎる毎日の中、息つく暇もない状況でしたので、束の間の休息でした。
心と身体にゆとりが出来たからか、お蔭で長女を妊娠。
妊娠中は、趣味でやっていたフラワーアレンジメントを教えたり、バンコクのフリーペーパーにお花についてのコラムを書かせて頂いていました。

タイはお花の値段が日本に比べると安価で、ビタミンカラーの鮮やかなお花が多いので、大胆なアレンジを楽しめるのは、私にとってとても幸せなことです。

--日本人学校や現地の幼稚園なども選択肢としてあったと思いますが、なぜインターナショナルスクールを選ばれたのですか?

長女が3歳を迎えたころに、幼稚園を調べ始めました。
バンコクの幼稚園は多種多様です

・日本語幼稚園
・タイの幼稚園
・タイ語と英語のバイリンガル幼稚園
・英語と日本語のバイリンガルの幼稚園

言語だけでも多くの選択肢があります。
インターナショナルスクール関しても、幼稚園によって方針が様々で、園選びは驚きと感動で非常に楽しかったのを覚えています。
最終的に私達は、そこに通っている生徒さん達を見て、イギリス系のインターナショナルスクールを選んだところ、娘も毎日楽しそうに登園していたので、安心いたしました。

言語の面だけで言えば、本来は中学2年生位までは日本人学校で日本語をしっかり学び、その後インターという選択もありましたが、先日13歳になった長女と話している中で「この子にはインターが合っていたなあ」と度々思うことがあります。

もちろん、母国語である「日本語を大事にしたい」「身につけさせたい」という気持ちは、今も昔も変わっていませんが、あの学校の校風がこの子に本当の意味での自由という権利を教えてくれたことを、有難く思っています。

--バンコクからホアヒンに移住されたのも、お仕事の関係でしょうか?

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ホアヒンに引っ越したのは、大気汚染による娘の体調の悪化が原因です。
近年バンコクでは、大気汚染は非常に大きな問題となっております。
娘は6歳を過ぎた頃、アレルギー性鼻炎を患ったのですが、当初は成長するに従い症状は落ち着くと言われていました。

ただ年々酷くなる大気汚染で、薬での対処も難しくなり、耳や頭にも症状が出始めました。
私はこれを自然からのメッセージと受け止め、直ぐに娘と環境活動を始めました。
その頃、娘たちが学校でも、サステナビリティを学び始めていたこともあり、学校に掛け合い、海洋プラスティックの専門家をスピーカーとして学校に招くことを提案したり、プラスチック袋の廃止を訴えたり、ごみ拾い活動など幅広く行いました。

その期間に知り合えた先生や活動家の方々から、普通に生活していると気づかない沢山の学びをさせて頂きました。
ただ、2年バンコクで活動し成果は出始めていたものの、娘の症状は酷くなっていました。そこで私は考えを改め、先ずは娘の体調を第一に、それから環境活動を再開しようと決め、移住を決意しました。

しかし、主人はバンコクでレストランを経営。
主人に移住の決意を伝えることは、簡単ではありませんでしたが、伝えた時は「お前がそう思うならきっと正しい決断だと思う」と私の不安を払拭し、背中を押してくれました。
その後はスムーズに移住先や学校等が決まり、主人に話した半年後にはホアヒンに移ってきました。

--ホアヒンでどのように物件を探しましたか?注意点などもあれば教えていただきたいです。

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ホアヒンの不動産会社に希望を伝え、幾つか物件を探して頂きました。
その後、学校を選びにホアヒンに来た際、その物件や周辺を一軒ずつ見せていただきました。
ホアヒンに住んでる日本人の数は少ないのですが、不動産会社の方が日本人だったので非常に助かりました。
ホアヒンでは、「コンドミニアム」や「ヴィラ」と呼ばれる集合住宅地の一軒家、「タウンハウス」といった、日本で言う長屋の物件に住むのが主流です。

コンドミニアムの施設は充実していて、プールやジム、カフェなどのアメニティが併設されている所が殆どです。
ヴィラは入り口に「ヤームさん」という警備員が常時います。
プールや大きなお庭などもついていますが、敷地内の管理費は別途で掛かります。
賃貸の場合、家賃はバンコクの約3分の1以下です。
ただ、海沿いの家は少し高くなります。
オーシャンビューの物件は人気がありますが、建物の傷みが早かったり、排水の臭いがする所もあるようなので要チェックです。

最近は、タイ国内もコロナの影響で、バンコクの都心から田舎への移住を考えている家族が多いようで、娘が通う学校でも現在キャンパスを増築しています。

--現地のコロナ事情は深刻ですか?

バンコクに比べると感染者数は各段に少ないですが、先週感染者数が200人を超え、現在はレストランやカフェはテイクアウトのみに制限されています。
子供達の学校においては8月23日から始まる予定でしたが、31日まではオンライン授業になることが決定しました。
生徒数も少ない学校なので、一日も早くコロナが落ち着き子供たちが登校出来ることを願っています。

--実際にホアヒンに住んでみてどうでしたか?

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移住してまだ1年と少しですが、移住を決意して本当に良かったと思っております。

なんと言っても空気が美味しいです。
長女の鼻炎は、移住して直ぐに嘘のように治りました。
空気の尊大さを改めて実感する毎日で、夜は満点の星空を堪能できます。

また、お月さまや星、朝日や夕陽など、空を見上げる回数が増えました。
私達の家は山の中にあるのですが、50頭以上の水牛に出くわすのは日常茶飯事です。
大きなトカゲ、鶏、象までが車道を歩いています。
住み始めてから「元々動物達の住処だった山に私たちは住ませてもらってるんだね」と、娘達の口からでるようになりました。

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ただ一つ気になるのがゴミ問題です。
山に入ると、ゴミが散乱している場所が数多くあります。
子供達の「牛さんがゴミを食べちゃうから、ゴミ拾いしよう」という号令で、ゴミ拾いは良くしてますが、根本的な解決が迫られていると感じております。

--ここまでで、かなさんは大きな決断を何度もされているように感じますが、決断する際大事にしていることはなんですか?

禅瞑想や、マインドフルネス瞑想で得た心の平静を日常生活でも大事にしています。
心が調っていない状態では、正しい判断や決断は難しいと感じています。
多くの情報に気付きながらも、どんな時も自分の心の声を聞けるように、心を静かにする20分の瞑想は毎日の習慣になっています。

--瞑想はどのようなきっかけで始められましたか?

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20歳の時に禅宗の僧に「修業してみないか?」と声を掛けられたことがきっかけです。
今考えてもとても不思議なご縁でした。
当時、大学で上京していましたが、修業は長野のお寺で9時間の瞑想を11日間続けました。
山をおりて、日常生活に戻ってからも、一日も欠かさず禅瞑想を続けました。
その10年後にヨガを学び、続いてマインドフルネス瞑想にも取り組みました。

現在はオンラインでも「禅瞑想」「サマタ瞑想」本来の「マインドフルネス瞑想」などもお伝えしています。

--kanaさんのお仕事や、今後の活動について教えてもらえますか?

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私は、バンコクで「フラワーヒーリングセラピスト」「カウンセラー」として活動しておりました。
瞑想に関しては、クライアントさんに「かなさんは多くの方の相談を受けていますが、どのようにしてご自身を保っていますか?」という質問に「瞑想が良いのかも知れません」とお答えしたのをきっかけに、お伝えするようになりました。
口コミだけでしたが、カウンセリング、瞑想合わせると1000人以上の方とのご縁を頂きました。
昨年バンコクを離れた時期と、コロナでのロックダウンが重なり、オンラインでのカウンセリングや、瞑想講座も承るようになりました。
カウンセリングの相談は「子育て」「人間関係」「会社経営」「スピリチュアルなこと」多岐に渡ります。
今後もオンラインでのご相談をお受けすると共に、近い将来は【身体・心・エネルギー】を調えることが出来る移動ヒーリングセンターを作りたいと思っております。

--最後に、これからタイへ移住を考えている移住後輩たちに一言アドバイスをお願いします。

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私がタイに移住をした時とは、社会情勢も世の中の動きもかなり違います。
私が大事にしていることは、社会も自然も絶えず変化していることに、常に気付きを持つことです。
その中でも数年後、数十年後 自分はどんな自分でいたいのかを、現在の自分を受け入れた上でイメージすることが大切だと思います。
私はタイに移住したことを「本当に良かった」と心の底から思っております。
沢山の挑戦と気づき、そして色んな方とのご縁によって、自分の小さかった心の器が少し大きくなったような気がしております。
心の声を聞く時間を日常的に設け、そして聞こえたら素直に行動してみてはどうでしょうか?
私も又一歩踏み出そうと思います。有難うございました。

Kanaさん、ありがとうございました!
Kanaさんの日常はInstagramでも公開されているそうですので、気になる方はぜひチェックしてみてくださいね。
📷@kanaenami(https://www.instagram.com/kanaenami/

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