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辟易としたものから解放へと向かう

新しい場所へ向かうとき毎回感じること


新しい場所へ向いたいと思うときの前には
必ずといっていいほど、辟易としている。

理にもかなっていなければ、目的も動機づけもあったもんじゃない。
そんなものに反吐が出ている。


頭がいいとか悪いとかそういうのはよくわからないが、
「考える」ということ「考え続ける」ということをやめたような
人も場所も、在り方にも意味を見出せない。

そしてもれなく、そういうところには「愛」がない。

「愛」こそ永遠に人が考え続けるテーマだ。

形もなければ正解もなく
その時々でみつけ続けるしかないのだから。



一旦、嫌いになった方がいいのだろう


そもそも、新しい何かへというときは現状を嫌いになった方が
いいのだろうとも同時に思う。

愛がないというのも、新しいところではその基準では生きれない
(レベル感が違う)ということを知らされているのだろう。

起こる出来事の意味付けは自由だからこそ、
反吐が出たとて、こうして自分の未来からの情報として使っていきたい。


ああ、久々に純度高く言葉を紡いだようで
とても気分がいい。

他人と生きることがいまだよくわからない私は
常に言葉選びから何から何まで
細部に神経を走らせているのかもしれないな。

想うことと、氣を減らすことは違う。

自分が深呼吸をできる場所で、
自分を生かせていけるようにこの瞬間も、
次の瞬間もこうして言葉を紡いでみたみたいに
できることからはじめよう。

今、の1秒からすべてはじまる連続性のない世界なのだから。



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