雑記:彦根から長浜

北近江の彦根、長浜は多くの戦国武将のゆかりの地である。

JR彦根駅前のロータリーには井伊直政の騎馬像が建ち、駅から北方に十分程歩いた所にある佐和山城跡は石田三成の居城があった場所であり、その麓にある清凉寺は井伊家の菩提寺で、境内の墓地には井伊直政の墓と言う無縫塔を始め井伊家歴代当主の墓所がある(江戸で死去した当主の墓は東京都世田谷の豪徳寺にある)。

画像1

卒業論文1

彦根駅を挟んで佐和山城と反対側にある彦根城は、井伊家三十五万石の居城で、江戸初期に建てられたその天守閣は国宝に指定されているが、城内の建造物のうち二の丸佐和口多聞櫓(下の写真手前)は佐和山城から移築されたものと言われている(ただし、多門櫓は明治初年に解体され、現在の櫓は復元されたものである)。

画像2

彦根城の南方にある宗安寺には、大坂夏の陣で戦死した豊臣方の武将・木村重成の首塚がある。

重成を討ち取った井伊家の安藤重勝が、ここに持ち帰った重成の首を埋めて供養したものと伝わる。

画像3

彦根駅から岐阜方面に一駅行った米原駅は、古くから交通の要地で、現在も北陸本線と東海道本線が交わる場所である。

米原駅の西方には大谷吉継の首を埋めたと言われる祠が建っている。

この祠は、吉継が関ケ原で自刃した後、その首を敵に奪われないように甥の僧・祐玄が敦賀の逃亡の途中にこの地に埋め隠したと伝承される。

画像4

米原から北陸本線で福井方面に進んだ所にある長浜は、羽柴秀吉が浅井氏滅亡後にこの地を織田信長より賜って城下町を築いた場所で、長浜駅前には秀吉と石田佐吉(三成)の出会いの像が建っている。

画像5

駅のすぐ西、琵琶湖に面して建つ長浜城は、内部が歴史博物館であるが、外見は想像で造られたもので特に資料によった復元ではない模擬天守である。

画像8

画像11

現在の模擬天守は元来の天守台の場所からは少しずれており、もともと天守閣があったとされる場所には現在秀吉の唐冠束帯姿の石像が建っている。

画像13

画像14

長浜駅の南方にある徳勝寺は、小谷城主浅井家の菩提寺で、元来は小谷城下にあったが、秀吉の長浜築城後に現在の場所に移った。

境内には浅井亮政、久政、長政の三代の墓と言う宝篋印塔が建っているが、石塔は乱積みで当時のままではない。

画像15

長浜は北国街道の宿場町として栄えた場所であるが、今もその面影を残す。

そうした町並みの一角に、東本願寺の別院で「長浜御坊」の通称で知られる大通寺がある。

山門を始め、境内には大型の堂宇が建ち並び、その中には伏見城や長浜城から移築されたと言われるものもある。

画像16

画像17

画像18

また城下の妙法寺には、早世した秀吉の庶長子・羽柴秀勝の墓がある。

画像15

画像16

#滋賀県 #彦根#彦根城#清凉寺#井伊直政#木村重成#大谷吉継#長浜#長浜城#豊臣秀吉#模擬天守#石田三成#徳勝寺#浅井三代#浅井長政#大通寺#長浜御坊#妙法寺#羽柴秀勝#史跡#戦国武将#石塔#戦国時代#歴史#日本史


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?