日本国内の石塔・石造物に関する記事と、歴史ドラマ・映画のレヴューを中心に書いています。

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続・時代劇レヴュー㊿:信虎(2021年)

タイトル:信虎 放送(公開)時期:2021年11月 放送局など:ミヤオビピクチャーズ 主演(役名):寺田農(武田信虎) 脚本:宮下玄覇 2021年に公開された映画で、武田信玄の父として知られる武田信虎の晩年を描いた作品であり、京都の美術・歴史系の出版社・宮帯出版社の代表で、歴史美術研究者でもある宮下玄覇が全額を出資して、自ら製作総指揮・脚本・監督(金子修介と共同)を務めた異色作である。 時代劇の衰退を憂えたことが企画の動機で、題材が信虎になったのは宮下の祖先が武田

    • 雑記:土佐の高知

      高知県高知市は、江戸時代には土佐二十四万石山内家の城下町で、初代山内一豊は関ヶ原の戦功によって遠江掛川から土佐に加増され、戦国期に土佐の領主であった長宗我部氏に変わって同地を治めた。 高知城は一豊によって江戸初期に築かれたが、その後焼失して現在の天守は江戸時代中期に再建されたものであり、日本国内に十二ある江戸時代以前の天守閣を留める城の一つである。 高知城内には山内一豊の騎馬像(下の写真一枚目)や、一豊夫人で賢婦の評判高い見性院(下の写真二枚目、名は千代とも松とも伝わり、

      • 続・時代劇レヴュー㊾:源氏九郎颯爽記シリーズ(1957年、1958年、1962年)/源氏九郎九郎颯爽記・秘剣揚羽の蝶(1991年)

        タイトル:①源氏九郎颯爽記(第一作:濡れ髪二刀流 第二作:白狐二刀流       第三作:秘剣揚羽の蝶) ②源氏九郎颯爽記・秘剣揚羽の蝶 放送(公開)時期:①1957年4月(第一作)、1958年3月(第二作)、1962          年3月(第三作) ②1991年1月1日 放送局など:①東映 ②テレビ朝日 主演(役名):①中村錦之助=萬屋錦之介(源氏九郎) ②村上弘明(源氏             九郎) 原作:柴田錬三郎(①②共通) 脚本:①結束信二(第一作)

        • 続・時代劇レヴュー㊽:遠山の金さん・三河町半七・銭形平次など捕物帳あれこれ

          今回は特定の作品ではなく、「捕物帳」に関連する作品を思いつくまま適当に紹介していく。 これまでこのレヴューで扱ってきた作品は、大河ドラマを始めとする史実をベースにした作品が多かったが、「時代劇」として一般に連想されるのは、勧善懲悪型の所謂「チャンバラ時代劇」作品ではないであろうか。 このタイプの作品は、柴田錬三郎原作の「眠狂四郎」や、佐々木味津三原作の「旗本退屈男」シリーズ、林不忘原作の「丹下左膳」シリーズなどを取り上げてきたが、繰り返しテレビドラマ化され、長寿シリーズ作

        続・時代劇レヴュー㊿:信虎(2021年)

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        • 続・時代劇レヴュー㊾:源氏九郎颯爽記シリーズ(1957年、1958年、1962年)/源氏九郎九郎颯爽記・秘剣揚羽の蝶(1991年)

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          九州地方の石造物⑩:泉蔵寺五輪塔(伝・大内盛見の墓)

          ※以前公開した記事を改稿の上、再投稿したものです。 名称:泉蔵寺五輪塔 伝承など:大内盛見の墓 所在地:福岡県糟屋郡粕屋町酒殿 泉蔵寺 福岡県粕屋町の泉蔵寺は、JR酒殿駅から十分ほど歩いた住宅街にあるが、同寺は大内盛見の菩提寺で、境内には盛見の墓とされる五輪塔がある。 盛見は室町時代前期から中期にかけて防長を中心に西国に勢力を張った守護大名であり、応永の乱で戦死した大内義弘の弟で、兄の死後に兄弟間での家督争いに打ち勝ち大内家の家督を継承したが、永享三年に九州筑前の所

          九州地方の石造物⑩:泉蔵寺五輪塔(伝・大内盛見の墓)

          雑記:唐寺と孔子廟

          長崎市内には、「唐寺」と呼ばれる近世に華僑の人々によって建てられた寺院が複数存在する。 主として唐人の菩提寺(寺請制度の創始によって華僑独自の檀那寺を建立する必要が生じたため)として開かれた寺院で、隠元隆琦が来日するとそれらは黄檗宗の寺院となった。 代表的な唐寺の一つである興福寺は、日本最古の黄檗宗の寺院で「南京寺」と通称される。 本堂に当たる大雄宝殿(下の写真二枚目)は重要文化財に指定され、また航海の女神である媽祖を祀る媽祖堂(下の写真三枚目)もある。 福建省・浙江

          雑記:唐寺と孔子廟

          雑記:出島と唐人屋敷

          長崎県の長崎市は、江戸時代の所謂「鎖国」下の中で、海外に開かれた四つの窓口のうちの一つであり、オランダと中国の清朝との交易で栄えた。 よく知られているように、オランダ商館は出島と呼ばれた人工の島内に置かれ、キリスト教に対する警戒もあって、長崎奉行の管理のもと、出島への出入は厳重に管理された。 近代以降、出島の原型は失われてしまい、その跡地が市街地に残るのみであったが、1990年代末から整備・復元事業が進み、現在は役所の門や倉庫、商館の建物などが復元され、往事の出島の家並み

          雑記:出島と唐人屋敷

          九州地方の石造物⑨:恵光院層塔、附・馬頭観音堂薩摩塔残欠

          名称:恵光院層塔 伝承など:なし 所在地:福岡県福岡市東区箱崎 恵光院 筥崎宮の社坊である恵光院は、江戸時代初期に黒田忠之によって開かれた寺院で、明治初年の廃仏毀釈の際には、他の社坊の宝物が同院に避難されたと言う。 恵光院の参道脇に建つ三基の石塔うち、向かって右端の層塔は一見して日本の層塔ではないとわかる特徴的な形式を持つ。 この層塔は、中国の南宋後期の作と思われ、鎌倉時代に日宋貿易で大陸からもたらされた石塔と考えられており、二層目から四層目は塔身の四面に仏像が刻ま

          九州地方の石造物⑨:恵光院層塔、附・馬頭観音堂薩摩塔残欠

          雑記:弘憲寺の生駒親正五輪塔

          JR高松駅から西方に歩いて数分の所にある弘憲寺は、戦国時代末期に高松城主であった生駒親正の菩提寺で、子の一正が現在の地に移設した。 親正は元来は美濃の豪族で、豊臣秀吉に仕えて讃岐一国を与えられたが、関ヶ原の戦いでは西軍に属し、戦後に出家して高野山に隠居した。 生駒氏自体は、子の一正が東軍に属したために讃岐を安堵されたが、後に寛永年間に起こった生駒騒動が原因で、大幅な減封の上に出羽の由利(秋田県由利本荘市)に転封になり、大名としての地位を失っている(生駒家は八千石の交代寄合

          雑記:弘憲寺の生駒親正五輪塔

          中部地方の石造物㊾:上田原五輪塔

          (石塔の画像は↓へ) https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot29.html 名称:上田原五輪塔 伝承など:北条義政の墓? 所在地:長野県上田市上田原 上田市から青木村方面へ向かう国道143号線沿いの個人宅に、鎌倉時代中期の五輪塔が所在する。 地名から「上田原五輪塔」と称され(武田信玄と村上義清が戦った有名な「上田原の戦い」の古戦場は、五輪塔よりさらに北方である)、上田市の説明では鎌倉時代初期の土着の武士・上田原平三の

          中部地方の石造物㊾:上田原五輪塔

          雑記:クラブツーリズム奈良分室展示スペースのレプリカ

          近鉄奈良駅ビル五階のクラブツーリズム奈良分室は、来店窓口営業は終了しているが、その一角にある展示スペースは現在も平日16時までは公開されている(見学は無料)。 この展示スペースにて公開されているものは、奈良にある著名文化財のレプリカや模型で、元来は近鉄が経営していた「奈良歴史教室」の展示物であった。 2000年に奈良歴史教室が閉館した後、奈良市が展示物を引き継いで奈良観光のガイド施設的な「なら歴史館」を開設したが、これも2011年に事業仕分けの対象になって閉鎖し、その後で

          雑記:クラブツーリズム奈良分室展示スペースのレプリカ

          中部地方の石造物㊽:林泉寺五輪塔(堀秀政一族の墓)

          名称:林泉寺五輪塔 伝承など:堀秀政、秀治、秀重の墓 所在地:新潟県上越市中門前 林泉寺 新潟県上越市の春日山城下(上越市中門前)にある林泉寺は、越後長尾家の菩提寺で、戦国大名として著名な上杉謙信の祖父・長尾能景が開いた寺院である。 この寺院については、以前にも紹介したことがあるため、詳しくはそちらに譲っておく(「雑記:上越市内の上杉謙信関連史跡と石塔」参照)。 林泉寺の墓所内には長尾家だけではなく、上杉景勝の後に春日山城主となった堀家の墓所や、江戸時代後期に高田藩

          中部地方の石造物㊽:林泉寺五輪塔(堀秀政一族の墓)

          中部地方の石造物㊼:篠ノ井層塔

          名称:篠ノ井層塔 伝承など:前部秋足造立の記念塔? 所在地:長野県長野市篠ノ井方田 長野市のJR・しなの鉄道篠ノ井駅西方にある二ツ柳神社参道近くの農地の中に、覆屋に納められた古様の層塔がある。 この石塔は伝承によれば、平安時代初期の延暦十八年に、高麗の王族で日本に帰化した前部秋足が朝廷から篠井姓を賜ってこの地に封じられたのを記念して造立されたと言う。 銘文等があるわけではないため、あくまでも伝承の域を出ないが、層塔は確かに朝鮮半島の様式を思わせる姿で、やはり渡来人に

          中部地方の石造物㊼:篠ノ井層塔

          北関東の石造物㊾:灰塚五輪塔

          名称:灰塚五輪塔 伝承など:伊達念西供養塔? 所在地:茨城県筑西市灰塚 筑西市灰塚の共同墓地内に建つ古様の五輪塔は、来歴や伝承などは一切ないが、近代以降の墓石ばかりの墓地内で異様な存在感を放っている。 この石塔の存在は従来ほとんど知られていなかったが、近年鶴見貞雄氏によって紹介され、俄に注目を集めている。 地輪と水輪に破損に伴う修復の後が見られるが、ほぼ完形と言って良く、その形式から鎌倉時代のかなり早い時期の作と推定される。 注目すべきは火輪の上部に露盤を持つこと

          北関東の石造物㊾:灰塚五輪塔

          雑記:磨墨の墓

          群馬県前橋市西善町の祝昌寺は、戦国時代の永正年間に厩橋(後の前橋)城主の長野氏によって開かれた寺院と言う。 寺院の前身は、鎌倉時代初期に梶原景季が源頼朝から賜った名馬・磨墨(寺伝では「摺墨」)がこの地で死去したため、馬を供養するために建てた庵と伝承される。 磨墨は生食と並ぶ頼朝秘蔵の名馬とされ、ともに宇治川の先陣争いの逸話で名高い(生食は佐々木高綱が賜っている)。 この話自体は伝承の域は出ないものの、同じ前橋の駒形神社には磨墨の蹄とされるものが神体として伝わっており、ま

          雑記:磨墨の墓

          中部地方の石造物㊻:古安曽五輪塔(伝・安曽甚太夫の墓)

          名称:古安曽五輪塔 伝承など:安曽甚太夫の墓 所在地:長野県上田市古安曽 上田市中心部から別所温泉に至る上田電鉄別所線の塩田町駅の南方には、「未完成の塔」と呼ばれる鎌倉時代の三重塔のある前山寺があるが、その前山寺と山を挟んで東向かいにある古安曽には安曽甚太夫の墓と伝承される二基の五輪塔がある。 この五輪塔がある場所は大変わかりにくく、前山寺の入口を東に進んでしばらく行った所にあるため池の手洗池の脇を南に入り、そのまま安曽岡山の山中に至る農道を進むとゆるやかな傾斜地に出

          中部地方の石造物㊻:古安曽五輪塔(伝・安曽甚太夫の墓)