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墓穴を掘ったハマン〜エステル記における神のタイミング


昔、昔あるところでユダヤ人を撲滅しようとしていた権力者がいました。その男の名前は、ハマン。紀元前5世紀にペルシャ帝国の王に仕えた高官です。ハマンは、ペルシャにいる全ユダヤ人の抹殺を計画します。同時に、ユダヤ人のリーダーである「モルデカイ」もハマンの策略によって処刑されようとしていました。しかし偶然に偶然が重なって、ハマンはモルデカイを殺害するために作った柱でハマン自身が殺害されることになります。

今日は、この旧約聖書のエステル記のどんでん返しの物語から、私たちの人生にも「この時のためにこそ、いろんなことが起きたんだ」という出来事があることを一緒にみていきましょう。

ユダヤ人の宿敵ハマン


プリムに食べる「ハマンの耳」お菓子


ユダヤ教のお祭り「プリム」は、毎年太陽暦の2月か3月にあり、今でも続いています。プリムは、劇あり歌ありの賑やかなお祭りだそうです。老いも若きも思い思いの仮装をして街に繰り出したり、パーティーを開いたりします。プリムの日の夜と翌朝、ユダヤ教の会堂では「エステル記」の巻物が朗読されます。朗読の中で、モルデカイの名前が読まれるときは、喜びの口笛を吹き、歓声を上げます。一方、ハマンの名前が読まれるたびに、集まった人々がブーイングし、ガラガラと大きい音の出るおもちゃを鳴らし、ハマンの名前をかき消します。



紀元前586年、 ユダ王国は新バビロニア帝国に滅ぼされ、 多くのユダヤ人がバビロニアに移されました。いわゆるバビロン捕囚です。そのおよそ50年後、ペルシアという国のキュロス王が軍を起こし、 周辺の国を次々と征服します。紀元前538年、 キュロスは新バビロニア帝国を滅ぼしてペルシア帝国をうち立てました。 古代中近東の新たな王者となったキュロスはユダヤ人に帰国を許します。 しかし、モルデカイやエステルのように、そのままペルシア帝国内に留まったユダヤ人も少なくありませんでした。
エステルは、キュロス王の3代後のクセルクセス王の2番目のお妃さまです。 クセルクセス王の最初の王妃の名はワシュティと言います。 美しい人でしたが、スサの都で大きな宴会が開かれたとき、王さまの命令に逆らって姿を見せなかったため、王妃の位から退けられます。 そこで家来たちは新しいお妃さまを探すこととなり、エステルが選ばれたのです。

見えざる神の手

聖書66巻の中でエステル記には、聖書なのに「神」という単語が一回も出てきません。ただ、偶然におもえる出来事の背後に神様のみわざが働いています。

王様の一人目のお妃さまが王様に逆らったので、二番目のお妃さまを探すコンテストがありエステルが選ばれたこと。モルデカイが王様への謀反の情報を手に入れたこと、王様がたまたま眠れなくて読んでいた記録にモルデカイの記録があったこと。王様が褒美の相談をしたこと。ハマンがモルデカイのために高い柱を建てていたこと…。神様のタイミングでパズルのピースが不思議と組みあわされて、鮮やかな逆転劇がおき、民族の滅亡を防ぎました。
最初、エステルは、ためらっていました。なぜなら、王に召されていない者が王に謁見しに行くと、死罪だったからです。例外的に、王が「金の笏」を差し伸ばせば、死罪を免れることができました。ただ、この30日間、エステルは王に呼ばれていませんでした。
エステルに対して、モルデカイは「ユダヤ同胞を離れて宮中にいるから助かるだろうと考えるな」と叱咤(しった)激励した上で、「あなたがこの王国に来たのは、この時のためであるかもしれない」と王様に請願するよう畳み掛けます。

エステルは、意を決するとモルデカイに返事を送って言いました。「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」
三日三晩の断食を終えたエステルは、決死の覚悟で王宮の内庭に立ちました。幸い、王からは金の笏が差し伸べられ、優しい言葉をかけられます。そこで、エステルは、王とハマンを酒宴の席に招きます。自分がユダヤ人であることを告げ、ハマンの悪事を暴きます。
そして王妃エステルは、身をていして王に直訴し、ユダヤ民族を滅亡の危機から救った、と旧約聖書「エステル記」は伝えています。


エステル記のストーリーでは聖書全体に表れる神の計画が、凝縮されています。それは「策士、策におぼれる」という点に表れています。ハマンは、モルデカイを殺すため、20メートル以上の高さの柱を立てさせ、全ユダヤ人を滅ぼそうとしました。しかし、エステルの勇気によってハマンの悪事は露呈されました。ハマンがモルデカイを処刑するために準備した柱にハマン自らかけられ、殺されました。ハマンが墓穴を掘ったのです。
反対にモルデカイには、ハマンが受けようとしていた国内最高の栄誉が与えられ、ハマンに代わってペルシャ帝国ナンバー2の高い地位に就きました。王とエステルに宴会に招かれるという国内最大の特権に預かり、ハマンは「自分が栄誉を頂ける」と勘違いしていました。ハマンにとって、人生絶頂のその日が、人生最悪の日に変わりました。逆に、モルデカイとユダヤ人にとって、自分たちが絶体絶命のピンチだったその日が、逆転大ドンデン返しの日になり、宿敵がペルシャ帝国内から一掃されました。

神のタイミング


このエステル記のストーリーは新約聖書のキリストの逆転劇を彷彿とさせます。新約聖書では、悪魔(サタン)は、救い主であるイエス・キリストを謀略によって陥れ、全人類を滅ぼそうとしました。しかし、十字架で死刑に処せされたイエスは3日目に復活し、逆に死と罪が滅ぼされることになりました。そしてキリストは高く上げられ、全ての名にまさる栄光が与えられ全人類の救いの計画が成就されました。悪魔が墓穴を掘ったのです。
悪魔は、キリストを陥れる策を練って十字架でキリストを処刑したのに、その十字架が逆に死と罪を打ち砕く力となりました。悪魔にとって「キリストに勝った!」と絶頂になったその瞬間が、己の滅亡を決定づける時となりました。逆に、キリストにとって、みじめな敗北、失敗と思われる十字架こそが、救いの計画を達成する決定的な時となったのです。
エステル記には福音の型があります。「イエス様が十字架でいっけん敗北したようにみえたが、罪と死に勝利し大逆転した」ということです。
人生はドラマです。神様が監督、私たち一人一人が主人公のドラマです。「この出来事、その過去は、この時のためにこそあった」という不思議な神のタイミングがあります。
私たちの今までの歩みを振り返る時にご自分の経験や置かれた場所、とおされた試練が「この時のためだった」となる、という希望があることを私は信じています。

祈り


天の父なる神様。エステル記で、ハマンがモルデカイを滅ぼそうとしましたが、逆に墓穴を掘って自分の作った柱で滅ぼされました。同じように、悪魔がイエス様を滅ぼそうとしましたが逆に十字架によって死と罪が滅ぼされました。その御子イエスを信じる私たちに永遠の命が与えられるという良き知らせに感謝します。
振り返ると「この時のためだった!」という神様の不思議なタイミングにも感謝します。どうか、ここにいるお一人お一人の上にも、神様の力強い御手があり、日々の生活が守られますように。「神様のなさることは時にかなって美しい」主イエスのお名前でお祈りします。


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