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後天的インターネット老人になった

これはインターネット老人会Advent Calendar 2023の4日目の記事です。


ひさしぶりだね。

さて。ブログ記事らしきものを書くのも久しぶりだ。
みんな、元気か。僕はまあまあぼちぼちやっているよ。

インターネットというよりは、「界隈」にむけて「発信」するようなテキストなら多少書いていたし、時折、人様の原稿を素人ながらに構成・編集したりもしているし、エックス(旧Twitter)はずっと続けている。

だがやはりblog的なものは少し違う感じがある。僕は技術ブログやレビューブログのようなことはしていないので、いわゆる「雑記」だ。そう、雑記。

ちなみにここまででわかるように、このテキストは書きたいから書いているもので、特にメッセージもオチもない。ただ僕が感じている諸々がフワフワと書き連ねられているだけの駄文だ。まあ、たまにはそんなのもいいじゃないか。これは何も求めず、インプレッションなんて顧みずに訥々と書いている、なんとも恥ずかしい文章だ。

そして「インターネット老人会」。もはやこの2023年においては、卑下しているでもなんでもなく、ミームのようなただ「ある」ことが示されているような言葉で嫌いじゃない(好き)。

インターネットと私

「インターネットと私」この時点で主語がデカい。デカすぎる。けれども、この老人会に類するような輩は、実年齢関係なく大体の場合ワールドワイドウェブのことを「インターネット」とのたまう。ネットでもなくネットワークでもなく、インターネットなのだ。正確な意味でもそうだが、まず認識としてこれはメディアであり思想なんだ、という意識の表れかなと思う。少なくとも自分はそうだ。“ネット” がインターネットであることに、自覚的。

いわゆる最古参の方々はここまで読んでいて違和感があるかもしれない。そう、僕は本来の意味で古参ではなく、平成末期、テン年代から急に目覚めた「後追い勢」だ。

技術っぽい何かを初めて認識したのは親の影響で、小さな頃はマイコン工作に憧れていた。結局それはやらなかったが。あるとき親が買ってきて以降使われずにいた富士通のPCから、ダイヤルアップ…というよりADSLか、アレで繋いで、何かを見るところまではインターネットに触れていたが、ついぞBBSやらホームページやらでどこかの誰かと繋がることはなかった。なかったんだ。

ローカルでメモリクリアしてレイヤー統合しながらAdobeを触ることが、自分の中でのパソコン体験。AdobeのパレットUIでメタ認知を発達させた。そのおかげでいまデザイナーとしての自分がある…のは、また別の話。

その後、工業デザインを専攻していた大学生のころ「プチ・ホームページサービス」と出会う。ブログじみた雑記…当時は写真日記みたいな言い方だったか…を、大枚叩いて買った Apple PowerMac G4 の OS X からFlash製のプレイヤーで BBC Radio 6 を聴きながら書き始めたのが、はじめてネット越しに等身大で人を感じたオレオレ・インターネット黎明期だろうか。ああ、自分も大人になったらデカフェな生活してえ…と謎の妄想を膨らませていた。Twitter日本上陸の頃のフォロワー・フォロイーは大体「プチ」繋がりだったかもしれない。

ちなみに、そんななか同世代でしっかり地下生活をして滋養を蓄えた豪傑たちはいま、それを花開かせ各々の分野で活躍している。かっこいいぜ、お前ら。

後追いのインターネット

そんなことはどうでもいい。

やっとここから本題なんだが、このエントリの主題は、なぜ僕が後追いでインターネット老人になったか、だ。

一言で言うと、自分にとってインターネットは出版(publishing)だったからだ。

僕は新卒で、月刊誌などをレイアウトデザインする結構な老舗のデザイン会社に就職した。当時は若かったので、広告はやりたくないが文字を扱う仕事がしたい…というのがその理由。学生時代、クラブイベントのフライヤーや、仲間たちとイベントを開催したりして作った数々のペラもの印刷物の「裏面」が好きだった。丁寧に向き合うほどそれに応えて質が上がり、コンテキストに接続していける地味さが好きだった。思えば、僕は絵を描ける人間ではなかったから、言葉や図像を使って誰かとコミュニケートできることが喜びだったのかもしれない。本が手作業で作れることを知ったのは、就職後に美大卒の同期から聞いたときだ。

で、定期刊行物や単行本を世の中にパブリッシュしている「編集者」という生き物と出会う。やつらはすごい。デザイナーも大概だが、カタギではないのだ(例えです)。営利である以上シゴトとしての側面もあるけれども、それ以上に「世の中に知って欲しいことを出す」という超長期の視点を持って働いていた。いや、活動していた。会社員ではあったけれど、もうそのころ僕は仕事をしているのではなくデザインをしていて、それは出版という営みを構成する一員なのだ、と勝手に思っていた。目指せ国会図書館(謎)。

そんなことをしているうちに職場にも変化があり、ウェブを本格的にやることになった。新しく代表になったボスが不意に席まで来て、「君はエディトリアルデザインをしていて、情報を構造化して定着しているワケだから、ウェブデザインもできると思うんだ、やるよね?」的なことを足早に口走られ、思わず「はい」と言った。

最初は苦痛だった。書体も選べないし静的に固定できないウェブ特有のらしさが、自分にはポジティブな制約として見れなかったから。

けれども、周囲の面々が推進していた Information Architecture や Human Centered Design の考え方に触れ、自分には舶来感のあったウェブの成り立ちが、実はとても古く、いわゆるデジタルの話ではないことがわかってきた。マニュスクリプト(手書き写本)を扱う最初期の図書館から連綿と繋がる、情報の分類法やアーカイブに関するものでもあり、個と世界を繋ぐヒッピー的な精神とも繋がり、土木やプロダクトデザイン(インダストリアルデザイン)や人類学・心理学などあらゆる分野からエッセンスを吸収してきた学際的なものだとわかった。インターネットやコンピューティングというものが一気に「自分の側にあるもの」になった。インターネットは活動だった。

自分にとっての解釈だが、セマンティック・ウェブは出版であり工業デザインだったのだ。

そう思ったらあとは早かった。当時はコンテンツを出力するボタンには「Publish」というラベルがまだ生きていたし、WordPressだってMovableTypeだってよく考えたら直球のメタファーだ。博識な知人のおかげで、本来なら自分側の言葉だったはずのマテリアル・オネスティという言葉も知った。ユニバーサルデザインはウェブアクセシビリティと関連する。スタイリングという捉え方は工業デザインにも存在する。そしてインダストリアルデザインは現代に繋がる近代デザインの中心を担ってきた分野だ。

ボトルメールに何かを詰めて遠くへ放流させるような「伝える願い」がそこにはあった。ウェブの発想は、相手の受け取り方を規定しない良さがある。そこにあるのは「伝わる」かどうかだけれど、伝わってほしいという願いは、「伝える」という熱量をもって成り立つともいえる。

気がつけばHTML原理主義的な輩が出来上がっていたし、書籍は情報の彫刻だしウェブページはお手紙ということになっていた。自分の中で。デザイナよりエンジニアの友人が増えた。デザインエンジニアリング? まあそうだが、要はリベラルアーツだろ(過激派)。

タイポグラフィが好きだから、ウェブにおけるタイポグラフィについて考える場を友人たちと催したりもした。

インターネットと今の私

まあ、あれだ。結局中身の薄い異常長文を書いてしまったが、インターネットはおれのもので、おまえのもので、みんなのものということになった。僕の中でそうなったという話。パブリッシャーやプラットフォーマーは栄枯盛衰、あるのは基本的なプロトコルだ。

心に刺さって抜けない現代美術家のステートメントも、生活を変えてくれるスタイリングのカーブも、コンテキストに普遍性と客観性をもたらしてくれるデータも、おれの、おれにしかないタギング(マークアップと言いたい)も、「インターネット」になった。

老人会などと言っているが、そこに年齢や地理やジェンダーといった属性の壁はない(本来はない)。インターネットはすべてに開かれているからだ。

おわりに

結論もなく書いてきたが、ここで今回の「インターネット老人会やろうぜ」企画を推進してきた @hase0831@kgsi に敬意を評しつつ、企画時に突如、粗熱のまま殴り書きをしてしまった僕の謎文を記してこの記事をおわりとしたい。ポエ散らかせ!




みんな、元気か? 俺はそれなりにやってるよ。大好きなインターネット界隈で仕事をし、もしかしたら「いい感じ」に「何か」をやれてるかもしれん。少し前の自分が見たらなんて言うかな、褒めてくれるかな、がっかりするかな。わからんが、ともかく仕事でネットに関わっているんだ、俺は。俺たちは。

みんな、インターネットは楽しいか? 俺は楽しい。ネットはお仕事の場になった。SNSはあって当たり前の大通りになったし、懐かしいメディアは消え新しいものがまた流行ってるが、「俺たちのインターネット」はいつも楽しくて、遠くのお前らと細くてしなやかな繋がりを作ってくれていて、今も大切なものだ。

そんなある日、ふと気づいたんだ。

「俺氏、オフ会やりたいんや……」

……なあ、そろそろオフ会をやらないか?

「インターネット」を仕事にするデザイナーやエンジニア、PdMやなんかのお前らとやりたいんだ。これはお前らに向けて書いている。みんな、社会に出たりキャリアを積んだりして、思想は深まってるかもしれない。今ではすっかり難しくなった議論がしたい奴、ただ好きなコンテンツについて盛り上がりたい奴、いろんな奴がいるだろう。だけどインターネットを愛した我々は、属性も時間も超え(ルビ:hyper link)て繋がれると思うんだ。

オープンなインターネットを愛する我々が、ただそれを確認し合うだけ。そんなお題で、今こそオフをやりたい。忘年会にかこつけて、集まらないか? 待ちきれない奴は好きなだけエックス(旧Twitter)で呟けばいい。細かい決めごとはこれからだ。とにかく楽しもうじゃないか。

お前の参加を心から待ってるよ。

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