空想対話9〜基本構想

旧公衆衛生院をとおして建築家・内田祥三との空想対話9〜基本構想

「内田先生が手がけられた建造物全ての建築思想は何よりも安心、安全かと考えますが、やはり関東大震災(1923)を経験されたことが大きいのでしょうか?」

「関東大震災を経験したのは38歳の時でしたでしょうか。」

当時、先生は安田講堂をはじめとする東京帝国大学内の建造物数棟を手がけられており、設計思想へ大きく影響を及ぼしたことと思われる。

震災で被害を受けた旧東京帝国大学図書館

■ロックフェラー財団
関東大震災の被害状況、市街地の衛生状態を鑑み、ロックフェラー財団より公衆衛生に関する研究教育施設建設の支援申し入れがあり、何案かの協議の末に計画が始まる。(関東大震災より約10年後)

■基本構想
「公衆衛生院を建てるに場所がないという点もあったんだが、ここ(東京帝国大学伝染病研究所)の土地を使わせてほしい。この家(東京帝国大学伝染病研究所)とこの家(公衆衛生院)の両方合わせて予防医学に関する相互機関とすると、それにはすぐそばがいい。」と語られている。

現東京大学医科学研究所(旧東京帝国大学伝染病研究所)

様々な経過をたどりながら白金台に東京帝国大学伝染病研究所(1937)と公衆衛生院(1938)が一対となすランドスケープが生まれることとなる。

敷地の高低差を生かし、樹木に囲まれた配置が行われる。当初は横に一直線に広がるプランであったようだが、最終的に現在の馬蹄形に決定された。

つづく

(文責 関原宏昭)

#港区 #東京 #旧公衆衛生院 #空想対話

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旧公衆衛生院研究

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