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作品づくりの衝動とエネルギー

僕はもともと(なんて言い方も気持ち悪いけど)
ただのその辺のデザイナーです。
ごく一般的などこにでもいるデザインを生業にしてる人。

デザイナーとは何か。
特に日本人にとってのデザイナーのイメージとか
印象値があるから、なかなか難しいところだけれど

僕にとっては、生活の基盤であり“職業”であることが重要で、
つまりは金になるかならないかが、
自分のことをデザイナーとして自己紹介する時に感じる
一つの大きな気持ちです。

たぶん、これで生活が成り立たなくなって
別の仕事を始めることになったら、
「デザインは辞めました」っていうと思う。

実際いま現在、コピーワークとか別のことをする機会も多く
相手によっては「もう、いまはデザインやってないんです」って
言ってるくらいだ。

仕事に対する情熱とか衝動がないわけじゃない。

「俺は、金のためにしかデザインはしないぜ」なんて
おしゃれなことを言うキャラでもない。

ただ、それが僕にとっては一番しっくりくる気持ち。


では、なんでそうなんだろう。なんてことを考えてみると

衝動を持続するためのエネルギーがたぶん“生活のため”
だと思っているからだと思う。

よく、いろんなところで
クリエーターの買い叩きや報酬未払いが問題になってるけど
日本にとってデザイナーという仕事が
職種として成り立っていないんだ。

だから「好きでやってること」って言われることも多いし
アーティストやバンド活動と同じ目線で語られることも多々ある。

つまり、作業として対価を得られないこともある現状が
デザイナーの仕事をアート化させてしまっているのかもしれない。

作品の価値に金がつくのがアートとするならば
デザインは作業すべてに対価が発生する。

もちろんデザインした商品や広告の良し悪しで
その後の評価に大きな影響を及ぼすけれど
レストランで注文した料理が美味いかマズイかと
言った後で料金を払うことはない。マズイからお金払わないなら
まぁまぁ許せるけど

とっても美味しかったのだけど、今お金がなくて。。
だから悪いんだけど今回は無料でいいかしら?
そのかわり、ちゃんと宣伝しておくから

↑そんなこと言う客はいない。

でも、デザイン業界にはよくいる。



さて、ここでガラリと話を本題へと持っていこう。

裏を返せば、作品づくりが主であるアーティスト活動において
作業の対価を求めるような動きはナンセンスであるというのが
僕の考えです。

どれだけ苦労したか、どれだけの原材料だったか。
そんなものがアートの価値を決めるわけではない。

そんなの当たり前じゃないか!!

と、思う人も多い(?)と思ってるけど

実際、いろいろな作品づくりの現場で
やはり収益化とか、評価の対価としての金について
語られることは多いと思う。

まぁだってね、そりゃそうだよ。
最終的にはアート活動や作品づくりで生活していけるってのは
一つの目標としてる人は多いからね。


でも、それが本質を見落としてしまう場合も多い。


グッズ製作やら請負仕事とか
アーティストとしての広報活動に力を注ぐあまり
売れる売れないのジャッジを販売額で考えてしまい
売れる作品づくりを目指してしまう。

そうなると、もはや業者です。

まぁ業者でもそれはそれで結構楽しいんだけど

アートを作る。ことの本質からは随分と遠くなります。


アートの衝動を持続させるエネルギー


そのエネルギーは“収益化”なのか

それとも“楽しさ”なのか“感動”なのか

多くの人の“眼にとまる”ことなのか


そんな視点でちょっと周りと見てみると
自分自身を見てみると面白いかもしれません。


アンディーウォーホルや
バンクシーや
岡本太郎の

衝動を持続させるためのエネルギーはなんだったのだろう。

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