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あなたはわたしの憎しみを得ることはできない



 今こうしているあいだにもガザで行われていることの、特集番組をみた。イスラエルはユダヤ人がうけてきた迫害の歴史を、パレスチナはユダヤ人による入植と侵略の歴史を、市民、政治家、研究者、いくつかの立場の人たちがそれぞれに話した。過去にはオスロ合意という、外部の介入により和平が実現しそうになった瞬間もあった。多くの人が希望を抱いたと、当時をふりかえったイスラエルとパレスチナ、どちらもの人びとがいった。けれど、みじかい間に幻想におわった。

 イスラエル(ユダヤ)の人びとの多くがホロコーストから教訓にしたことは、すべての命はひとしく尊い、ではなく、あんなことがじぶんたちの身に二度と起こらないようにするためには過激な攻撃をもためらわない、というものであり、イスラエル社会はそうした恐怖心を基盤につくられたのだと、語られた。子どもたちは、存在しているだけで殺されるというホロコーストの恐怖を自衛の原動力とする教育を学校や社会から受けてきて、女性にも二年の兵役がある。

 生きているだけで邪魔者にされ、住む場所も着る服もたべるものも人間性も尊厳もなにもかもうばわれた記憶が受け継がれていくのなら、おなじことをほかの民族に対してしてもいいのだろうか。イスラエルが今ガザでしていることは、じぶんたちがされたこととおなじことをイスラエルにとって「傷つけてもかまわない人たち」に対してしているだけだと、思わずにいられない。

 傷つかないために、傷つける。傷つけられたから、傷つけ返す。殺されないために、殺す。殺されたから、殺し返す。血が流れつづける。麻酔なしで傷ついた手足を切られるこどもたち、手足をぐったり投げだして道ばたにころがっている、ついさっきまで生きて意思をもってうごいていた人たち。あちこちを逃げまどいながら、大切な人たちを殺されつづけながらガザの南、ラファに辿りついた青年がインタビューで言った。ガザは希望の墓場だ。

 どうして人間はいつまでもこうだろうと、何もできないでただテレビ画面をみつめながらうごけなかった。手も足もでず、とりあえず身をよじってころがった先に何かにぶつかって揺さぶることさえできない身の内側にわたしというやわらかすぎて何もできない中身が入っている。人間はこんなに残酷なものだと、こんなにやさしくもなんともない無慈悲ないきものだと、これほどたくさんの人たちがそう思いつづけているせかいの隅にわたしも生きていて、人間性も尊厳もなにもかもうばわれて傷つく人びとのためになすすべがひとつもないように、一見思える。

 ひとは、なぜ、おなじ人間に対してあんなにも残酷になれるのだろう。人間の深いところにねむる崇高さと残酷さ、良心と暴力のぶつかりあうさまを光州事件にみて書いた、読み終えたばかりのハン・ガン著「少年が来る」がよぎった。人はおなじ人にここまでのことができてしまうのか、という暴力の描写が、おそらく事実の証言や記録にもとづいたそれらが、いたるところに散りばめられている。かつて伊藤野枝が、「私は人間が同じ人間に対して特別な圧迫を加えたり不都合をするのを黙ってみてはいられないのです」と言った。そのような気持ちをつよく共有し立ち上がった無辜の市民のいのちがいくつもいくつも、光州では無残にうばわれた。かれらが受けた目を覆いたくなるような残虐な行為と死への至らしめかたは、人がおなじ人に対してできることでは決してなかった。おなじようなことが今ガザでおこなわれている。

 わたしは、ガザで起こっている痛みと無関係なのだろうか。それは海のむこうの、ことばも文化も宗教もまるきしちがう異国のせかいの話で、わたしやわたしたちの日常にほとんどなにも影響を及ぼすことのないできごとなのだろうか。

 そうではない。わたしにも、人間を人間たらしめる暴力性がねむっている。それが憎しみであるとは認めたくなくても、憎しみに限りなく近いものを手放しきれない心をもち、生きている。ああいうことをされてきたのだから、あの人は傷つけてもいい人だ。仕返しをしてやりたい。すくなくともわたしが受けた痛みとおなじくらいの、欲をいえばそれよりも大きな痛みを、あの人もしらなくてはいけない。そんなふうに、特定のひとに対してずっと思うのをやめられないでいるわたしもあの壁にかこまれた街でたくさんの市民や子どもたちを傷つけたりなきものにしている人たちとおなじだ。イスラエルが強行するあらゆる野蛮な行為に対して毎日のように心のうちで憤っていながら、その根をなす精神性をわたしが彼らとまったく共有していないかというと、まったくそうではない。

 昨年「You will not  have my hate」という映画があった。パリでのテロによってとつぜん妻をうしなった人が、残された小さな子どもといっしょに、憎しみを手放して生きていこうとする。放題は、ぼくは君たちを憎まないことにした。原題をむりに直訳したら、あなたが私の憎しみをもつことはない、となる。もつ、を、得る、に置き換える。すこしへんかもしれないが、まっすぐで、つよい意思のことばと思う。やや意味がことなってもくるが、あなたは私の憎しみに値しない、とも聴こえる。

 あなたは私の憎しみを得ることはできない。そのひびきを口にしてみる。沈みかけていた舟が、自然とはおもえないようなちからで角度をかえてふたたび浮上していくような、がちがちの体のまま予期せぬまぶしい光のなかへ突きだされたような、怖くてただしい、ただしくて怖い、感じがする。そうと信じるにはなんど目を瞑っても息を吐いても足りないような気がするけれど、ここは、このせかいのだれひとりもわたしの憎しみを得ることも受けることもできないと、そういうふうに思うこともえらべるせかいなのだと気づく。それは大きな衝撃でもあり、身が張り裂けそうになるほどの葛藤と苦難をうみ、そんなわけがない、信じられるはずがない、そのようなきれいなことはあり得ないと、全身でだだをこねる子のように暴れたくなるじぶんもいる。けれど、そうなのだと思う。えらぶことができる。えらぶことのできる苦しみと良心がある。

 それならどうするかと、ほんとうに今のままでいいのかと、鬱陶しくてもめんどうくさくてもじぶんに問いつづけないではいられない。ほんとうは、鬱陶しくもめんどうくさくもない。じぶんのなかでどんなことがあっても死なないきれいなものがあり、それを信じていたいきもちが残っているから、問いかけずにはいられない。今までのわたしを根深くつくりあげてきた、今もまだ引き剥がせないで垢のようにこびりついている憎しみに近い思いにこの先いったいどれほどの価値があるだろうと、疑わずにいられない。ひとつもない。価値はない。いくら踏みつけにされてもどこかで必ず立ち上がってくる草のような、それをハン・ガンは良心と呼んだのかもしれないが(日本語の良心は、道徳的な意味合いがつよすぎるような気もするけれど、じぶんがただしいと思うことを行うための源のきもちのことだと思っている)、そういうものがこのせかいにあると知っている以上、あいだにどれだけの距離があるとしてもそれらと自分が無関係であるとは思いたくないし、思えない。

 わたしはせかいのやさしいところも、やさしくないところも知っている。どちらかだけで出来たせかいにはいたことがない。経験してよかったことも、したくはなかったことも、はっきりとは切り分けられてはいなくて、背中あわせのように、三角形をつくるように立てようとした二枚のトランプのように、ふるえたり、危なくなったりしながらぎりぎりの力加減のところでお互いを存在させつづけているのを知っている。どちらかがだめになれば、もういっぽうもなくなるような、そういうバランスのうえでこれからもずっと成り立っていくしかないのかもしれない。

 それでも、何もできないわけではない。そういうせかいのなかで、そういうせかいだからこそ、じぶんがどうありたいかをいつもじぶんが決めなければならない。くりかえしたくない、受け継がせたくない。断ち切りたい。何もなかったかのように、ではなく、何があろうとも。傷ついたから、傷つけかえしてもいいという、せかいや人に対する不信からうまれた心を克服し、ぜったいにできないだろうと思ってきたことを、できる人になりたいと思う。わたしはだれにもわたしの憎しみを与えたくない。ひとりづつの思考や意識の流れがつらなってこのせかいを作っているのだから、人ひとりが憎しみを手放すことがせかいにとってどんなに重要なことかと、改めて今感じている。





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