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井筒俊彦『意識と本質』を読む(8)

8-1 イマージュ(心象)とコトバ

第8章の主題は、イマージュ(心象)と意味喚起機能のコトバの緊密な関係性を述べることにある。

我々一人ひとりは、生まれ育った文化的=言語的枠組機構に多大な影響を受けている。それはほぼ無意識的と言ってよい。

たとえば、眼前の木を見た際の「木の意識」はその人間が生まれ育った文化的=言語的土壌に無意識的に影響を受けて、「木」と言われた時、「木のイマージュ」を喚起する。意味喚起作用のコトバが、それに倣った「想像的」イマージュを引き起こすのである。

日本人なら、日本文化=日本語の枠組の中で典型的な日本的「木のイマージュ」を想念する。これが、言語的土壌(コトバ)と「想像的」イマージュ喚起の緊密な関係性である。

「個々の語(コトバ)の意味作用とイマージュとの間には、ほとんど宿命的とでも言いたくなるような緊密な結び付きがある」(p. 184.)と井筒が述べるのは、その故である。

「木のイマージュ」は、言語アラヤ識に蓄えられたイマージュの「種子(ピュージャ)」が発現してくるのである。だが、と井筒は言う。イマージュの発現してくる場所は深層意識だけでなく、表層意識もその場所である、と。

「深層意識だけがイマージュの場所なのではなくて、表層意識もまたそれなりにイマージュの場所なのである。ただ、意識表層と意識深層とでは、イマージュの性格も、その働き方も根本的に違うだけだ。それがどう違うのかというところから、本稿の主題に入る」(p. 182.)。

以下、深層意識と表層意識におけるイマージュの性格と働き方がどのように異なるのかを見ていくことにする。


8-2 「本質」論の三つの型のうち第ニの型

『意識と本質』第三章(pp. 72-74.)に「本質」論の三つの型が提示されている。そして、本章では、第二の型が主題となっている。

「第二の型。これもまた同様に深層的事態に関わる。但し同じく意識深層とはいっても、それの体験的に生起する場所が第一の型とは違う。シャマニズムや或る種の神秘主義を特徴づける根源的イマージュの世界(中略)の成立する意識領域がそれの本来の場所である」(pp. 72-73.)。

なお、第一、第三の型については『意識と本質』第四章(pp. 72-73.)で詳述されているので参照していただきたい。

上記の引用で問題となるのは、まず「根源的イマージュ」という語であろう。この「根源的イマージュ」は、言語アラヤ識に蓄えられたもの(種子、ピュージャ)であり、その都度、深層意識、または表層意識に現出してくる。この現出してくる「根源的イマージュ」は、ひとつの文化=言語の土壌で培われた「アーキタイプ」「原型」を持つ。

では、このような深層意識と表層意識において現出するイマージュの性格と働き方がどのように異なるのかを見ていくことにしたい。

まず、イマージュの「性格」から始めよう。深層意識と表層意識ではどのように異なるのだろうか。イマージュの「性格」とは、日常の表層意識では見えないはずの「もの」が見えたり、眼前に見えないはずの「神仏の姿」が見えること、「魑魅魍魎」(p. 187.)が跋扈するなどの、元来、幻想や妄想と呼ばれるもののことを指す。

しかし、これはあくまでも、表層意識でのことであり、深層意識においては、それらイマージュは「本来属する場所においては決して妄想でもなければ幻想でもない。かえってそれらこそ真の意味での現実であり、存在真相の自己顕現なのである」(p. 188.)。それらが真相意識で見える人たちを「シャマンやタントラの達人」(p. 188.)と井筒は言う。

次に、イマージュの「働き方」に移ろう。深層意識と表層意識ではどのように異なるのだろうか。すでに述べたように、イマージュは表層意識においては幻想や妄想の類とされるのであった。しかし、深層意識において、イマージュは確かな「働き」を有する。

「シャマンやタントラの達人のように、深層意識の超現実的次元を方法的に拓いた人たちだけが、この種のイマージュを正しく活用する術を心得ている」(p. 188.)。シャマンは超現実的次元に遊ぶ。これは、シャマンが「「聖なるもの」に近づくことによって、次第に聖化されていく意識の主体的変貌が看取される」(p. 190.)。

シャマンにおいて、日常的な表層意識から方法的に訓練された深層意識への遷移がなされた時、イマージュの「働き方」は妄想、幻想と見なされることから、確実なる「意味の伴い」という働きへと同時に移行するのである。


8-3 神秘家の「想像的」イマージュ

シャマンやタントラの達人のような、日常的な表層意識においては神秘家と呼ばれる人たちの「想像的」イマージュが、深層意識において見られた時、これこそ真の現実という確かなる意味を有する。

たとえば、シャマンの「神憑り体験」(p. 192.)がそれである。「今まさに神にのりうつられようとしているシャマン、そしてまたのりうつった神が立ち去った直後のシャマン ー 神憑り体験を真中にしてその前と後のシャマンの意識は一種異常な興奮状態にある。シャマン意識のこの興奮状態は、そこに湧出する「創造的」イマージュに顕著な性格を与える」(pp. 191-192.)。

シャマンやタントラの達人などの神秘家における神との合一体験を「神憑り体験」と呼ぶ。この神との合一体験において、神秘家の意識は、神との合一の前後で変貌を遂げている。

本来、眠っていた「想像的」イマージュが表層意識から深層意識へと遷移することで現出するのである。この深層意識から見られた世界は、もはや表層意識で見られた日常の世界ではない。「想像的」イマージュは、日常の世界の意味を変貌させる。

「この段階での彼(神秘家)の意識に映る山や水や木は、みんな一種の名状し難い幽邃(ゆうすい)な様相を帯びる」(p. 192.)。

山や水や木は、表層意識によって見られた固定された「本質」の山や水や木ではもはやない。深層意識の「想像的」イマージュは、山や水や木にダイナミックな様相を帯びさせる。

表層意識においては山や水や木は、その「本質」通りに山や水や木である。しかし、深層意識において山や水や木は、「想像的」イマージュにの働きにより、神秘的とも呼べる様相を呈するのである。意識が表層から深層へと遷移することで見られるこの世界観の変貌は「想像的」イマージュの賜物に他ならない。

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