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意識の在り方を考える

ここでは、教義を学ぶ上で大切な、
意識の在り方について考えたいと思います。

通常、私たちが使用するこの意識は、
表面意識と定義づけられています。

自己顕示欲や、成功者になりたい、
金持ちになりたいといった意識は、
ここに該当します。

社会の発展には欠かせませんが、
強く働かせすぎることで、
徳を減らすきっかけになります。

一方で、無意識や霊的意識とされる意識は、
内面意識と定義づけられています。

従来の宗教でも言われてきたように、
煩悩や我欲を控えることは、
内面意識を働かせるために欠かせません。
徳を積み、魂の格を上げるためにも必要です。
しかし、これだけでは個性が失われます。

教義において、
表面意識と内面意識のバランスが、
私たちが向上する上で、
必要不可欠としています。

これはつまり、
従来の宗教と現代の科学、
両者の融合を意味しているのです。

この記事では、
ダイエットのリバウンドのように、
意識をどちらかに強く働かせると、
その反動が出るのではないかと、
私の考えを書かせていただきました。

様々な欲求が湧き出てきて、
自己中心的な考えが浮かぶ状態と、

煩悩を捨て去って、
周囲との一体化を意識できる時とでは、

振れ幅がありますよね。

この中間が、自然体であり、
現在の自分のレベルである、
という考えができるかもしれません。

また、従来の常識に当てはめると、
表面意識を働かせることは、
他者への貢献とは正反対な性質と考えられます。

しかし、
教義(因果律)を理解すると、
あくまで自己中心的に、
自分自身のために徳を積む、
という考えが成立します。

徳を積むとは、
他者へ価値を提供することです。

つまり、自分自身のために、
他者に尽くす考えが成立します。

この記事では、周りを気にかけず、
徳を積むことに熱心になる人を、
尖った才能として表現しました。

もちろん、このような人も素晴らしいです。
また、自分のために、他者に貢献することの正当性を証明した教義の完成度の高さがわかります。

ただ、ひとつの側面として、
表面意識は、分離の意識です。
他者を気をかけず、
自分のことばかり考えていては、
徳を減らす要因になります。

ですから、
それぞれが自身の意識バランスを考えること、
自然体で無理のない意識を知ること、

この辺りが重要ではないかと、
個人的には思っております。

私の考えを書かせていただきました。
教義を読み、理解を深めていく中で、
思ったこと、感じたこと、
個人的な意見なども大歓迎なので、
やり取りができれば嬉しいです。

よろしくお願い申し上げます。

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