Saeko

アラサー後半戦 歯学部卒後7年目/ゆるふわ歯科医をめざす 神奈川県出身→川和高校→1…

Saeko

アラサー後半戦 歯学部卒後7年目/ゆるふわ歯科医をめざす 神奈川県出身→川和高校→1浪(駿台大宮校)→新潟大学→研修から東京→大学院→研究職1年で離脱)→都内でフリーター 散歩/読書/音楽/映画ドラマ/コーヒー/お酒/料理/猫が好き(ΦωΦ) 作家になりたい✒

最近の記事

魅惑のナイトクラブ

失恋でやさぐれていたのとコロナ禍で大好きなライブと疎遠になったことをきっかけに、私は30すぎてクラブに足を踏み入れることになった。 はじめていってしばらくは趣味でDJをする友達の応援にいっていただけで、友達の出番だけをみて終電前には帰っていた。もともと音楽は大好きでずっと心の支えだったから、コロナでライブにいきづらくなっていたタイミングでクラブに出会えたのはラッキーだった。お父さんにすすめられて高校生くらいのときからジャズをよくきいていたけど、基本的には邦楽も洋楽もロックも

    • 31歳、クラブデビュー

      私はクラブが好きだ。銀座の高級クラブではなく、ダンスミュージックが大音量で流れてお酒を飲んだり踊ったりするほうのクラブのことを言っている。日本では30代でクラブにいくというと好奇な目で見られることが多いが、かくいう私のクラブデビューは31歳だった。 大学生のときは新潟にいたので東京の遊びには縁がなく、大学卒業して東京にきたが1年の研修のあとすぐに大学院にいったのでわりと世間から断絶した20代後半を過ごしたと思う。クラブにいったことがあるという人の話をきくとどうやら大学生のとき

      • せまくて刹那の東京で

        金曜日の17時、原宿から明治通り添いを歩いた。宮下パークのPRADA,BALENSIAGAといったハイブランドを横目に進んで、渋谷横町を通った。この前いったセンター街や道玄坂とは全然違う雰囲気だった。渋谷のスクランブル交差点で信号が変わり一斉に人が動いた。観光客であろう外国人は横断しながらみんなスマホで動画を撮っていた。昼間のスクランブル交差点を歩くときまるで邦画の主人公になったかのような気分になる。 東京は狭い。海外の大きなスケールを味わったあとに銀座にいったときは小さなビ

        • 欲望と嘘

          西麻布でみんなで飲むからよかったらきて、と友達を誘った。その人は「西麻布はあんまり好きじゃない」と言った。私も好きではない、と返すと「なんかあそこにいる人たちってかなりの確率で没落していくし、なんかあの辺一帯邪気が漂ってるかんじがする」と言った。分からないでもない。西麻布の飲み会帰り、あの六本木の交差点から渋谷に向かう坂の谷に欲望が渦巻いていて人間を吸い込もうとしているのだろうか、と考えたことがある。 東京では夢と欲が交差している。おそらく薄黒い欲望もはじまりは純真な夢だった

        魅惑のナイトクラブ

          結婚願望

          34歳独身。小さい頃に自分がこの年になったときのことを一度も想像したことがない年齢になった。小学生の頃くらいは学校で将来の夢を発表させられる時には歌手になりたいとかお医者さんになりたいとか言ってたがどちらかというとその時はまっていた趣味に夢中で、本心ではあまり大人になったらこうなりたいなんて考えたことがなかった。というよりは私は大人になりたかった。とりあえず大人というものに憧れていた。 30代半ばにもなると家庭をもっている人が多い。学生のときや歯学部卒業したての頃は母は一人

          結婚願望

          0と100の間で

          2023年2月5日㈰ 一難去ってまた一難、というのが人生にはつきものである。 職場のスタッフの子の行為がどうしても我慢できなくなって院長に相談して自分の悩みが一件落着となったはずの先週から一転、今度は自分がありえないミスをしでかしてしまった。 セレックという院内でセラミックの型取り~削りだしまで完成できるたいそう高価な機械の大事な部品を、私は全くの無意識で紛失してしまったらしい。ささいなミスでは絶対に勤務時間外にラインなどで連絡してくることのない院長から火曜日になかなか緊

          0と100の間で

          悩みの解決の仕方

          2023年1月29日㈰ 先週は今までイライラしていたことに自分的には大きなアクションを起こした。 イライラの原因は職場のスタッフのさぼりのせいでこっちの負担が増えているという、かなりしょうもないといえばしょうもない問題だった。「なんでこんなくだらないことで自分が悩まなきゃいけないのか」とさらに落ち込んで涙まででてきた。 ようやく昨日ひとまず一件落着したので、今回の経緯を記しておこうと思う。 悩みの解決までのステップは3つだった。 1.身近な人複数人に自分がイラついた出来事に

          悩みの解決の仕方

          思い出の音楽①~ジャズの入り口~

          2020年3月18日㈬ 私の音楽好きはお父さんの影響が大きいと思っている。お父さんは学生時代にバンドとライブハウス店長を経て、卒業してから数年音楽プロデューサーをしてレコードを何枚か出したらしい。小さい頃から家に山のようにレコードがあり(本人曰く約6000枚)、車ではいつもお父さんの好きな音楽がかかっていた。お父さんの一種の英才教育によって兄・姉・私3人とも絶対音感がある。保育園のとき通園バスもあったが私は保育園を行くのをしぶってお父さんが車で送ってくれて毎朝、山下達郎の「

          思い出の音楽①~ジャズの入り口~

          現実と想像の世界~『月と六ペンス』感想文②~

          2020年3月17日㈫ 読み終わった『月と六ペンス』(サマーセット・モーム)を読み返していると、ある文章が印象的だった。 "The extent of their experience is pleasantly balanced by fertility of their imagination." 「彼らの経験具合は、豊富な想像によってバランスが保たれていた。」 彼らというのはここではタヒチの島に住む人たちのことを指している。この小説は1919年にイギリスで刊行さ

          現実と想像の世界~『月と六ペンス』感想文②~

          桜と神社

          2020年3月16日㈪ 天気がいい。すっかり春の陽気。またお散歩にでかけることにした。 上野公園入口のしだれ桜がほぼ満開になっていた。 しだれ桜はソメイヨシノよりも1週間くらい早い。もうこの桜を見るのも6回目なのですっかり詳しくなった。初めて来たときは3月の終わりだったのでこのしだれ桜は散り始めて地面に落ちた花びらがまたきれいだった。2年目と3年目はソメイヨシノの見ごろも満開をすぎた4月頭に朝、お花見をした。4年目と去年は写真をとるのに少し凝った。毎年の今頃の思い出がひ

          桜と神社

          『月と六ペンス』感想文①~永遠の現在~

          2020年3月15日㈰ 半月かけて1冊の本を読んだ。 "Moon and Sixpence" ―W. Somerset Maugham 『月と六ペンス』―サマーセット・モーム 2月中旬に辻仁成の『サヨナライツカ』を読んだ。バンコク駐在中の婚約者がいる青年・豊が大金持ちの美女・沓子と恋をして、25年後に再開するお話。沓子は高級ホテルのザ・オリエンタルにあるスイートルームに住み、豊を招き入れる。沓子の住む"サマーセットモーム・スイート"はかつてイギリス作家のサマーセット・

          『月と六ペンス』感想文①~永遠の現在~

          ホワイトホワイトデー

          2020年3月14日㈯ 昨日のライブはひとりで行ったが、お父さんの知り合いの方と相席になったのでいろいろとお話ができた。 自粛ムードになる前まで東京にきてから1~2か月に一回くらい昔音楽プロデューサーをしていたお父さんとライブにでかけていた。よく周囲からは「よくお父さんと一緒にでかけるね」と色んな意味で言われるが(笑)、共通の趣味としての音楽を楽しみにライブに行くのでなんの抵抗もない。 お父さんとライブにでかけると、お父さんやその世代の人たちに関心してしまう。まずお父さ

          ホワイトホワイトデー

          今この瞬間

          2020年3月13日㈮ ずっと楽しみにしていたライブに行った。 2月に実家に帰省したとき、お父さんといく約束をしていた。2月中旬から新型コロナウイルスの流行が深刻化して、2月28日には国から外出自粛要請が発表された。いく予定だったライブハウスもHPで軒並みライブ中止・延期が発表されていたが、3/13のライブは実施予定のままだった。お父さんからずっととくに連絡もなかったので予定通り良くと思っていたが、きのう電話がきてお父さんは立場上いけない、さえこひとりで行ってきてもいいよ

          今この瞬間

          焼肉は幸せの源

          2020年3月12日㈭ Twitterをはじめてたぶん10年くらいになった。6年前くらいに参加したオフ会をきっかけに仲の良い友達ができた。その人を通じて年に何回か呼ばれるちょっと内輪なオフ会はいつも楽しく参加している。 きょうは焼肉の会。医クラオフ会といって、わたし以外の参加者はみんなお医者さんだった。アカウントは知っていてはじめて会う人もいた。2週間ぶりの外食は楽しみだった。 浜松町にある焼肉屋さん「正泰苑」に行った。 ちょっとだけ遅れていったので私の席は自動的にき

          焼肉は幸せの源

          平穏な日

          2020年3月11日㈬ 東日本大震災の3.11から9年が経った。私は当時大学生で新潟にいた。新潟は被害はなかったが、宴会場のバイトがキャンセルされて、反対にホテルのフロントのバイトが大忙しだった。宮城で被災した方や東京に戻るための中継地点として新潟のホテルが使われた。テレビのニュースは津波の映像や被害状況を報道する番組でいっぱいになり、見ているのがきつくなりしばらくテレビをつけなかったのを覚えている。平穏に過ごせている今は当たり前ではなく、今を大切にすることが精いっぱい自分

          平穏な日

          2020年の春

          2020年3月10日㈫ マスクが手に入らなくなってから1か月、今度はトイレットペーパー・ティッシュ・生理用品までドラッグストアから姿を消した。一人暮らしなので、トイレットペーパーなんて年に数回しか買わない。2週間前くらいから紙製品不足がはじまったが、当初はデマのせいで買い占めが起こり、輸送が間に合わない状況で、しばらくしたら元通りになるだろうと言われていた。しかし、2週間経ってもドラッグストアに行ってもトイレットペーパーの棚はすっからかんのままだった。ついに私の家のトイレッ

          2020年の春