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遺書を書こう。

途上国で暮らし始めた2000年から、毎年お正月に遺書を更新しています。

当時20代だった私が「遺書」を書いているというと、たいていは縁起でもない…という反応でした。 

でも海外在住中に私が死んだら。。。
日本語の通じない組織から、給与を国外にある口座に得ていて、私に何かあったときにちゃんと口座の中にあるお金を日本の家族が相続できる?
国連から業務中の死亡時の各種給付金をきちんと受け取る書類書ける?
そんなの、英語のできない私の家族にはあまりにハードルが高すぎるのです。そのため私が死んだらどこに連絡して、どんなお金を受け取って、と指示するにはちゃんと遺書があった方が良いだろうと思って書き始めたものでした。 

なので実際には遺書といっても、法的にイレギュラーな遺産相続を指定するための公正証書遺言ではなく、どの国のどの銀行に幾らぐらいの預金があって、英語で問い合わせできるのはこの窓口よ、今の雇い主からこの弔慰金が出るからちゃんと請求してね、というようなことを記しておくためのメモのようなものです。 実際、私の銀行口座は4か国にあるし、その取引はほぼ全てオンラインでしているので、私が今日倒れても遺書がなければ日本の実家では口座番号や残額を知る由もないのです。だから遺書、海外に単身でいる人には絶対大事!

海外勤務をしていて、何かあったときのために、もう一つ遺書が重要だと思うのは、最期の時にどう取り扱ってもらうのか、という判断のため。
 私の遺体はどこで荼毘に付してもらうのか。
 棺で日本に送ってもらうのか、骨壺で帰るのか。
 誰に骨を拾ってもらうのか。
 お葬式は必要ないけど、どこの国の誰に死亡を知らせるのか。
 誰がどうやって私の住まいの整理をするのか。
海外で死ねば、現地にある日本大使館が主にその手配を手伝ってくれるのでしょうが、それでも残された日本の家族が決断できなければ、周りの人にかける負担も大きいので、なるべく私が決めておいて、その混乱を最小限にするための遺書です。変な話ですが、私が昔住んでいた国から、遺体を棺で送ると輸送料は150万円ですが、骨壺なら手荷物追加で1万円。(もちろん火葬にしてもらう費用は別途かかりますが。)ちょっとした決め事で7桁のお金が無駄になるなら、私は自分で先に決めておいて、残ったお金は応援しているNPOに寄付してもらいたいのです。

そして、もう一つの遺書の理由。日本より危険だと思われている途上国に、子どもを送り出している親へのメッセージ。私は開発ワーカーになる時、両親と「紛争中の国には行かない、親より先に死なない」という約束をしました。あれから20年近く経って、今では先立つ不孝も20代のときのそれとは比較にできないほど大したことない年になりましたが、当時は「日本にずっといたら死なずに済んだかもしれないのに、海外に出したからこんなことになったのか」と親が責められたり自責しないように、遺書で「こんな面白い人生を送ることができて最高でした、赴任先で若くして死んでも悔いはない!」と書いていました。これは17年経った今でも、「若くして」を除き残しているまとめの一言です。 

遺書とは言っても、公証人役場で作成してもらっているわけでもないので、法的拘束力はありませんが、海外在住者にはぜひ作成してもらいたいと、複数の若くして途上国で命を落とした同業者たちを知るものとして思っています。紛争地のフロントラインで緊急援助している人たちとは比べ物にはなりませんが、医療事情も生活環境も先進国暮らしとは全く異なる開発ワーカー、けっこう命をかけて頑張っているのもまた別の機会にご紹介させてもらいますね。