【ネガティブ慣れに気づく②】気を抜いてぼーっとしていると浮かんでくることもいつもしている選択のひとつだ

「気を抜く」と自分では思っていなかった方向にいって、自分の思わぬ本音に気づく。気を張っているとコントロールしているので、たいてい苦労するし、力がいるし、思い通りにならない。無執着の状態は「気を抜いた」流れに委ねた状態らしい。

というわけで、気を抜いて瞑想をしてみた。
浮かんでくる。浮かんでくる。

「死にたい」
「逃げたい」
「帰りたい」
「つまらない」
「苦しい、辛い、痛い」
「生きていてもしょうがない」
「役立たず、使えない、無能」
「死にたくない」
「殺されるのではないか」
「いつか車に轢き殺されるのではないか」
「きっと病気になるんだ、そうにちがいない」
「頭が痛い、死にたい」
「両親が許せない、殺してやりたい」
「父親だけ幸せにしてなるものか!」
「呪って死んでやる」
「自分が嫌いだ!」(絶叫)

で、浮かんできたらどうするか?
ああいつも自分はこんなことを無意識に選択して、気分が悪いほう悪いほうを選択していたのか、だったらこんなに気分がわるいのも納得だ。
私はもう気分がいい方向が好きだし、気分がいい方向に向かうから、これはもういらないね。これで反省終了。はい、つぎ。気分がいい方向を選択する。もう戻らない。
そうすると少しでも大幅にでも気分が楽になってくる。ひどいときはあまり変化を感じられないかもしれないが、だんだん感覚をつかんでいく。これが波動が上がった感覚だ。
変わるんじゃない、変えるんでも改善するんでもない、これは回復だ。元の状態に戻していく作業だ。思い出していく作業なんだ。


こういう気を抜くと浮かんでくることも実は気分の選択の一つに換算されるらしい。
言葉の意味はどうでもいい。出来事の内容もどうでもいい。

問題は、すべてどっちの気分を選んでいるか。
私がボーッとしてだした言葉はすべて、気分がだだ下がりする落ち込む波動をはらんでいるものを無意識に選んでいることだった。

気を抜くと、まー考えないようにしていた気分の悪い方向に自分を引っ張る。引っ張る。自分がいままで慣れてしまっていた苦しいほう苦しいほうにわざわざ戻ろうと、自分の意識を引っ張っていることに気がついた。

楽だからな。猫背が楽だと思い込んでいる姿勢がわるい人みたいに、慣れているか楽だと思い込むトリックにはまっている。でも、これは当然疲れるし、運気も落ちる。最悪、死ぬ。

だから意図的に気分がいいほうへ…たとえば、生きているって楽しいな!だとか、自分って最高!とかやったり、あの望みを叶えるんだ!って上向きの願いに意識を向けていると、波動があがって気分がいい望みが叶いやすくなる。
アファメーションもそのひとつで、自己暗示をして波動を上げるのだ。

しかし、ちょっとずつ、ちょっとずつ、再浮上させていくと、がくーん!と落ちるときがある。絶望する。



これは、自然といえば自然な現象だ。
一度、波動が浮き上がるときに、がくっと下がってからデトックスして浮上する。またしばらく気分がいい方向へ進んでいるとがくっと下がる瞬間があり、落ち込み、手放したら、また浮上する。この浮き沈みをだんだん繰り返しながら、再浮上する。いい感じになってくるとボルテックスという状態になれるらしい。幸運のフィーバー状態だ。

なんであれ、だんだんと気分が楽になってくる。沈んでいれば沈んでいるほど辛い。しかしそれだけ沈んでいる、波動が低くて死に近いということだから、さくさく気分がわるいことはやめて、気分がわるい選択は捨てて、正反対に進もう。

人間はこうやって一度、気分がいい方向とは正反対に、徹底的に沈下させられている。これはさせられている、強制的に子供のときに仕込まれていると断言する。
徹底的に気分が悪い選択を楽だと思いこむように「しつけ(気分の悪い犬奴隷のしつけ)」を受けている人が多い。気分が悪い人たちから執拗にやられたことがそれに当たる。

やたら職場で虐められたり、目をつけられたり。
家庭環境が機能不全に陥っていて、暴行暴言が横行する。
学校や幼稚保育園などで仲間外れにされたり守ってもらえない。
不登校になったり、人間不信や恐怖に悩んだり、ふつうに働くことに苦労が伴ったり、敏感すぎてなんでも感じ取って行きづらいと感じる…でもなぜか助けを求めても得られず、仲間もできないし、友達も信じられなかったり、理解者もいない。おまけにお金がなかったり、仕事がなかったり、居場所がないと感じて、孤独を感じやすかったり。

何事もコントロールして苦労をするように仕向けられていたり、頑張って苦労するほうへ強制されていたり、気分が悪いほう悪いほうへと流れるよう、執拗に「嫌がらせ」を受けつづけると立て直しも難しくなる。すると、気分が浮上できないでずっと苦しみ続ける、それに慣れてしまうよう、気分がずっと沈むように攻撃を受ける人たちが実際にいる。

攻撃を受けなかった?
・攻撃する側の人間である可能性もひとつ。いつもいつも虐める側、人を笑う側だ、正義を説く側だ、自分は人生の成功者だとステイタス条件を前提に信じている、常に社会的に有利な側だったなんてやつ、私なら信用しない。
・耐性がない人間はそういったことと無縁である代わりに、そういったことを理解しにくくなっている。すぐ死んじゃうからかぶれないように守られている。

そうしてコントロールをやめてふと気を抜くと、いつも選んでいる本音の気分が浮上してくる。いつも選んでいるものが気分がいいかどうかがわかる。

上に書いた通りの感情が浮かんできて、ああ、これが自分の選んでいることだったんだと気づいた。気分が悪いものはすべて捨てる。そしてまた気分がいい方向へ戻る。地道な作業だ。

常日頃からあんな気分が悪い選択なんてしていたらいい気分になれないはずだ。トゲを飲み込むときも痛いけれど、トゲを抜くときはもっと痛い。でも抜かないとずっと痛いなら、地道に抜いていくしかない。


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