今此処でスーザン・ソンタグに再会する(1)

[こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年7月配信分。]

「(前略)最も恐るべき出来事のいくつかは、すでに起こってしまっているのかもしれない。しかし、基準が変わってしまったので、まだわれわれは気がつかないのだろう。」 (『エイズとその隠喩』、p. 261)

一般には文化批評やアート批評の作家として知られ、60年代から米国で活躍してきたスーザン・ソンタグ (1933-2004) の書いた『隠喩としての病』 (以下『病』) が、私にとっては最初に出会ったこの人の作品だった。自身のガン体験を経て書かれた1977年の『病』から10年後、彼女は『エイズとその隠喩』 (以下『エイズ』) を書いている。この二作品は、英語でも日本語 (富山太佳夫訳、みすず書房、新装版2006年) でも1冊にまとめて出版されている。

この本から私が受けたインパクトの強さはヤバイ精神状態だった10代の終わりから20代の初めに読んだからかもしれない。けれども最近読み返してみたら全く別の衝撃があった。端的には1977年の『病』も1987年の『エイズ』も、今此処で、2011年3月11日夕方以降の日本で起こっていること、起こりつつあることについて書かれているように読める。逆にいうとそうとしか読めない。

たとえば上記引用部分など、今日本で起こっていることについて書かれているという勝手な解釈をする。ここに書かれているのは表題にもあるエイズについてであり、1987年当時、世界中のおそらくは誰も、この病気の流行はもちろん治療法や感染後の生活について、あまり良い見通しの持てなかった時代に書かれている。今のことじゃない。少なくとも原発事故については書かれていないし、あの当時人々が悩んでいた冷戦は終わったはずだ。ちなみにチェルノブイリ原発事故があったのは1986年。

ただソンタグが書いた当時と今とで、いくつもある共通点のひとつは、地球上に『核』があるという点と、そのことを意識せずにはいられない状況に多くの人たちがおかれている、ということである。たとえば『病』の中で批判対象として引かれているヴィルヘルム・ライヒの言葉に『ガイガー・カウンター』が出てくる。ガイガー・カウンターで測ろうとするものは放射線だが、

「『それ[ガンの原因となるもの]は大気の中にある。たとえばガイガー・カウンターのような器具でその存在を確認できる。温潤な性質で……よどんだ死の水であって、流れることがなく、新陳代謝も起こらない。 (後略) 』 」 (p. 102、[]内は引用者注)

比較的容易に放射能汚染や放射線被曝を連想できる社会的文脈がある、という点で、1977年も1987年も2011年もあまり変わらない。『核』があるがゆえに、放射線被曝によってガンになるリスクが高まるという連想も働く。この文脈でガンにまつわる社会的な意味付けについて書かれた『病』に、『核』の影が写らないはずはない。

そして2011年の今、此処でスーザン・ソンタグ (の本) に再会した。さて、どうしようか。

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ジャニス・チェリー

日本生まれ、超個人主義な文化育ち、2003年より神奈川県川崎市在住。呼吸するようにフェミニズムとレズビアン・アートについて思考したい。時々フェミニズムやクイア・スタディーズの勉強会などやっています。http://selfishprotein.net/cherryj/indexj.shtml

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