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マガジン

  • イスラエルに対するボイコットのガイドライン日本語訳

  • 今此処でスーザン・ソンタグに再会する (2011)

    「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで連載されたものです。

最近の記事

イスラエルに対する国際的なカルチュラル・ボイコットのPACBIによるガイドライン(2014年7月版)[仮訳]

http://www.pacbi.org/etemplate.php?id=1047 パレスチナBDSナショナル・コミッティ (Palestinian BDS National Committee: BNC) の一員として、BDS運動に学術や文化の領域でのボイコットに関する状況を俯瞰し、PACBI (Palestinian Campaign for the Academic & Cultural Boycott of Israel) は2004年から学術的なまた文化的な機関

    • イスラエルに対する国際的なアカデミック・ボイコットについてのPACBIによるガイドライン(2014年7月版) [仮訳]

      http://www.pacbi.org/etemplate.php?id=1108 パレスチナBDSナショナル・コミッティ (Palestinian BDS National Committee: BNC) の一員として、BDS運動に学術や文化の領域でのボイコットに関する状況を俯瞰し、PACBI (Palestinian Campaign for the Academic & Cultural Boycott of Israel) は2004年から学術的なまた文化的な機関

      • 今此処でスーザン・ソンタグに再会する (6)

        [こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年12月配信分。] スーザン・ソンタグは代表作『写真論』 (1977年) から24年後の2001年、オックスフォードで行った『戦争と写真』という講演の最後で次のように語っている。 「映像という形態で何かを見る。それを契機として、観察、学習、傾注が始まる。写真が私たちに代わって道義的、知的な仕事をするわけにはいかない。だが、私たちが私たちの道を歩き始める契機にはなるの

        • 今此処でスーザン・ソンタグに再会する (5)

          [こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年11月配信分。] スーザン・ソンタグの『《キャンプ》についてのノート』 (1964) からもう少し引用しよう。 「 (前略) キャンプは部外者には近寄りにくいものだ。それは都会の少数者グループのあいだの私的な掟のようなものであり、自らと他とを区別するバッジのようなものにさえなっている。」 (ちくま学芸文庫『反解釈』1996年所収、431ページ) 「キャンプ趣味

        イスラエルに対する国際的なカルチュラル・ボイコットのPACBIによるガイドライン(2014年7月版)[仮訳]

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        • イスラエルに対するボイコットのガイドライン日本語訳
          2本
        • 今此処でスーザン・ソンタグに再会する (2011)
          6本

        記事

          今此処でスーザン・ソンタグに再会する(4)

          [こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年10月配信分。] スーザン・ソンタグがいうように、解釈という営みに抗うなかで得られるものがあるとすれば、それはいったい何なのだろうか。 2000年5月9日、エルサレム賞を受賞した際、彼女は次のように言っている。  「作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること……、そして嘘や誤った情報の共犯者となるのを拒絶することだ。文学は、単純化された声に対抗す

          今此処でスーザン・ソンタグに再会する(4)

          今此処でスーザン・ソンタグに再会する(3)

          [こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年9月配信分。] ある出来事を理解するとは、その出来事がもつ(と思われる)意味を捉えることだと、その出来事が重要なときほど、影響が甚大であるときほど、思いがちである。けれども、出来事に意味があり、解釈可能であったところで、出来事そのものを理解できるとは限らない。 先日日本の東北地方や関東地方で起こった地震や津波に「天罰」や「天の恵み」という意味を見出してそれぞれの解

          今此処でスーザン・ソンタグに再会する(3)

          今此処でスーザン・ソンタグに再会する(2)

          [こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年8月配信分。] スーザン・ソンタグの『隠喩としての病』 (以下『病』) に限らず、第二次大戦後から1990年代までの冷戦時代に書かれたもののいくつかは、2011年3月11日以降の日本にいる私たちにとって予言のように聞こえる。たとえばこのようなくだり。 「米ソをはじめとする核保有国の核実験 (大気圏内と地下と) は、すでに厖大[ぼうだい]な量の放射能を地上にまきちら

          今此処でスーザン・ソンタグに再会する(2)

          今此処でスーザン・ソンタグに再会する(1)

          [こちらは「東京プライド」のメールマガジンに2011年7月から12月まで月1回連載されました。以下は2011年7月配信分。] 「(前略)最も恐るべき出来事のいくつかは、すでに起こってしまっているのかもしれない。しかし、基準が変わってしまったので、まだわれわれは気がつかないのだろう。」 (『エイズとその隠喩』、p. 261) 一般には文化批評やアート批評の作家として知られ、60年代から米国で活躍してきたスーザン・ソンタグ (1933-2004) の書いた『隠喩としての病』

          今此処でスーザン・ソンタグに再会する(1)