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本能を満たす交わりと生まれた意味に通じる恋愛 ~ 種は横の交わりの拡大をそそのかし、真実の愛は恋が心の壁を縦に突破した場所で理解される ~
これは友だちの話なんだが、彼は恋愛が終わるたびに考えるのだそうだ。なぜ俺は彼女じゃなきゃいけないと思い詰めてしまったのだろうと。そして破局を迎えた後もそれを考え続けるのだそうだ。果てはなぜ人は恋愛に至るのかを紐解いた挙句、あのブドウは酸っぱい、という結論に至って敗北を知るらしい。 あの人でなければダメだ、というのは幸せな幻想なのだそうだ。本当はその人の固有性なんてのは大したことではなく、むしろ固有性に縛られることで終わりが来るそうだ。恋愛が素晴らしいのは普遍性へ至るからであ
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感覚に流されるくらいなら感情に流されよう。感情は道しるべで思考は道を拓くための道具に過ぎないのだから。そして感覚は単なるセンサーだ。
価値観というのはこだわりを生む。そういう意味では価値観こそが信念をダイレクトに反映している。信念ゆえに善と悪が生じるから好悪の感情すら派生する。感情の多くは信念を起点としている。快不快はそういう意味では感情とは別の次元だ。感覚はむしろセンサーに過ぎない。 そのセンサーが全てになった人生においては、感情は優先されることはないだろう。思考すら感覚のために費やされる。感情に溺れるよりも感覚に溺れる方が人生を無駄にするだろう。なぜなら感覚には意味はなく、意味を生むためのセンサーに過