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【SELSHA通信4月号】水晶から人生のヒントを得る

早くも4月に入り、一年の四分の一が終わりましたね。先日妻の展示会のために大阪へ行きました。2歳4か月になる息子も同行しましたが、子連れ遠征が初めての経験だったので、すごく疲れましたが、いろんな思い出が出来て良かったです。SELSHAのお客も何名か個展にお立ち寄りて頂いて、本当にありがとうございました(^-^)

さて

今月は「水晶」を取り上げてみたいと思います

鉱物としては一種類の石なのに ”多様” な姿を見せるのが水晶なので、ご紹介する本は「多流」について書かれた『三流のススメ』という本にしました!これは、とあるラジオで知って興味を持って読んでみた本です。概要は後半にご紹介しますが、数年間社会に勤めたあと、仕事の方向性や生き方に少し迷いが生じている方には是非読んで頂きたい本です。

ではいきます

皆さんご存じのようにSELSHAで扱っている天然石はほぼ全てが水晶です。水晶の中に閉じ込められた内包物のアート性に焦点をあてセレクトしていますが、「水晶に始まり水晶に終わる」という言葉があるくらい水晶は本当に奥深いものです。

中国人は人種として水晶の中に景色を見る文化が古くから根づいています。私は人生の3分の2以上は日本にいましたが、根本は中国なので(笑)それに少し触れてみると、古代中国では水晶という言葉がなく、その代わりにいろんな呼び名がありました。漢字で書くと水精、水碧、水玉など。文字から分かるようにもともと水の精霊とか、千年の氷が変化してなったものだ、といったことが伝えられています。同じくギリシャ哲学者アリストテレスも水晶は氷の化石と思っていました。

昔は水晶に魔除けの効果があると信じられて、隋の時代に水晶を細かく砕いて薬と一緒に飲んでいたという記事もありました。水晶は東洋人の繊細さが現れているということもあって、中国の歴代の皇帝に愛されてきたのですが、近代では水晶の中に風景を見出して楽しむ人がどんどん増えています。

牧谿(もっけい)の水墨画や蘇州の園林で表現されているように、石は人の無限の創造性や感性を引き出して楽しむという文化が根付いていますので、美しいインクルージョンクォーツがびっくりするような値段で取引されているのも少し納得です。

話を日本に戻しますと、先日ミネラルザワールドという鉱物や宝石を売るイベントで自分用にガネッシュヒマールを初めて購入しました。SELSHA で仕入れている天然石は主にブラジル、マダガスカル、タイ、ミャンマーといった地域のものなので、ヒマラヤの頂の水晶というのは初めてです。まさに「ロック・クリスタル」の語源の通り、氷が石になってしまったようです。
買ったこの石は私が育てている盆栽にしばらく飾ったら、ペンダントに加工しようと思っています♪

水晶 in 盆栽


ところで皆さん、水晶、クリスタル、クォーツ・・・それぞれの意味の違いについてご存じですか?もし気になった方がいらっしゃいましたら、ぜひ下記の音声配信を聞いてみてください。


さて、コロナが始まってからもうずいぶん海外仕入れに行ってないので、時々インスタやYouTubeで海外の情報を見て気持ちを紛わしていますが、『旅に出る』ということは身体を動かして物理的に違う世界を経験していくことであるのに対して、『本を読む』ということは心理的に違う世界を体験するもので、どちらも人にとっては必要だなと思いました。

ファンタジーの世界も実際には体験できないのですが、映画や読書ならそれが出来ますよね。私は子供の時に読んだ三国志の後味が強烈で、その後夢の中で諸葛孔明の家を訪ねにいっていました(笑)
皆さんにもきっと同じような経験があるかと思います。そして、大人になってもう一度同じ本を読んでみると、子供の時に感じた感情とは全く違う発見があったりします。本というのは読むタイミングによって、その人の人生にちょっとしたスパイスを与えてくれますね。

今回ご紹介する『三流のススメ』という本

能楽師の安田登氏が書かれた本なのですが、もしかしたら皆さんの人生にとって、大きな変化ではないけれどちょっとしたきっかけをくれるかもしれません。

本書『三流のススメ』では、
一つの分野を極めていることを「一流」
二つの分野を掛け持ちしているのを「二流」
複数の分野を渡り歩いている人を「三流」と定義しています。

特に強調しているのは「今を生きる人は複数の専門分野を持って、仕事として究めようとしていることより、遊びとして持っていた方がいいですよ」ということです。さすが著者は能楽師でたくさん古典の文章を引用しています。でもご安心下さい(^-^)しっかり解説があるのでスラスラ読めます。

安田登(やすだ・のぼる)
1956年千葉県銚子市生まれ。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、甲骨文字、シュメール語、論語、聖書、短歌、俳句等々、古今東西の「身体知」を駆使し、さまざまな活動を行う。著書に『あわいの力~「心の時代」の次を生きる』、コーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』、『すごい論語』(以上、ミシマ社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(新潮文庫)、『能~650年続いた仕掛けとは』(新潮新書)、『野の古典』(紀伊國屋書店)、『見えないものを探す旅~旅と能と古典』」(亜紀書房)など多数。

Amazon 引用

書籍の中で印象に残った箇所をつまみ食いすると、過去も今も一流信仰が強すぎるということが指摘されています。確かにイチローのように何かを極めた人は唯一無二の存在で多くの人にとってヒーローですが、現実世界では、ほとんどの人は ”頂点” には立てませんよね。一流を目指すことは素晴らしいですが、三流で楽しむのも人生の一つの在り方です。山頂を目指して一直線に進むのを「一流を目指す」とイメージするならば、三流は寄り道して途中にある風景を楽しみながらトレッキングしていくようなものでしょうか。

一流の人間、つまり一つのものだけを極めていると、どうしても尺度が単一になり、それに執着してしまう可能性も大きいです。私たちはすでに分かっていながらも「一流を目指す潮流」から抜け出せずにいる。たとえば、肩書、年収といったものは理屈で分かっていてもどうしても重視しがちで、その引力から抜け出せずにいます。それよりも今の世の中はいろんな価値観を持つことがいいということです。

私は数年前に会社を辞めましたが、それまでに自動車業界、ホテル業界、不動産業界と浅く広く渡り歩いてきました。まったく関係ない業界に飛び込むのはちょっと勇気が要りますが、いろいろ経験して分かったことは、抱えている課題などは意外と似ていたりします。「専門知識と豊富な経験が必要です」というのはある意味まやかしで、自分たちのポジションを守るために語り継がれてきた神話にも感じました。

今の時代は変化の流れが早くて、テクノロジーの進歩も凄まじいです。Facebookが凄い世界を作ったと思いきや、若者はFacebookとおさらばして皆TikTokで企業情報を検索しています。

こういう時代になったら、一つのことだけに特化して技を磨いていくのはむしろリスクだとすら感じます。もし私が最初に入った某自動車メーカーに居続けたら、きっと天然石の魅力に気付かず窮屈で単調な人生を送っていたでしょうね (笑)

ほとんどの人(=一流に成れない人)は自分の状況をある種のコンプレックスとして持っているはずです。本書ではそれをしっかり認めちゃおーと言っていますので、きっとこの本から勇気づけられ人は多いと思います。石の上にも3年と言いますが、座れなかったことをむしろ前向きにとらえ”楽しい”を軸にするのはある意味時代にあっているかもしれません。

三流は他人よりも「自分が楽しいと思えるかどうか」ということを軸に置いていると本書には書かれています。それってハンドメイド作家さん、職人さん、デザイナーさんなどにとって大事な考え方ですよね。(私は天然石の写真を撮っている時、美しい石を前に楽しい!と感じるとすごくいい写真を撮れるんですよ)

『三流=多流』 一流を目指さないマルチスキルは、子供の頃から一つのことが続かないと親に言われていた私自身を肯定してもらえたような本でした。現代の多様性という観点でも大切なことなんじゃないかと思います。特に毎日疲れているサラリーマンの方は肩の力を抜いて、お茶を飲みながらこの本を読んでもらいたいですね(^-^)

今回もけっこ長く書いてしまったのですが最後まで読んで頂きありがとうございました。ご感想ご意見がありましたらぜひ #selsha1114でつぶやくか、直接DMして頂いても構いません。

ではまた来月お会いしましょう♪


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