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今年こそ卒業するぞ詐欺。

きっと「やっと卒業か~」と思われている方も多いでしょう。私自身そういう気持ちです。いい加減「今年こそ卒業するぞ詐欺」をしているんじゃないかと思い始めていました。

じつは嬉しさというのはまだ感じられてなくて、そこは正直残念に思っています。心の底からワクワクがこみあげてくるのだろうと思っていました。

ただ、卒業が決まったあと実家で介護を含む「これから」の実務的な話をしていたときに、ああ、やっと今後の計画が立てられるようになったんだな、課題からは解放されたんだな、自由になったんだな、と卒業を間接的に実感はしました。

でも想像していたワクワク感ではなかったな、、、

私はUConnには2017年5月に進学しましたが、じつは課題地獄というのは2014年の1月から始まっていました。大学院に進学するために学士を取得せねば、と母校のUMassに復学したからです。母校にこだわっていたわけではありませんが、偶然にも母校が、さまざまな理由で学士を断念した社会人のための学士プログラムをオンラインで充実させていたので、大喜びで母校に復学したのでした。

その時点で卒業まで残り12単位残っていました。通常でしたらone semesterで取り終える平均単位数以下です。が、息子のホームスクールと同時進行での復学だったため、ホームスクールに支障が出ないよう少しずつ取っていきました。

それが2014年の1月でしたから、課題地獄は8年続いたことになります。息子のギフテッド認定も同年8月に得て、そこから急きょホームスクールすることを決めたので、私の課題地獄と息子のオルタナティブ教育はずっと同時進行でした。

学士時代も、修士時代も、息子が厳しい局面を迎えているときは私の学業は放置しました。元気だった息子が突如うつうつし出したときはちょうど修士の勉強が始まったばかりで、大変でした。

もともとは、ギフテッド教育があるアメリカに息子を連れ出さねばダメになってしまう!という強い危機感を抱いての「大学復学 → 子連れ大学院留学」計画でした。でもオンラインでギフテッド教育が受けられることや、私が大学院留学した先に素晴らしいギフテッドプログラムがある保障がないこともわかった時点で、子連れ大学院留学には価値が見出せなくなりました。

もちろん海外で教育を受けること自体は意味や価値があることだと思っています。でもわが家の場合においては、子連れ大学院留学に踏み切るコストに見合う価値はないと当時の私は判断しました。家庭の事情も含めいろいろ考えてのことでした。

なので学士を取得したとき、子連れ大学院留学はすでに選択肢にはなかったわけですが、いずれ大学院でギフテッド関連を学べたらとは思っていました。専門的に学び、同じように苦しんでいる家族をなんらかのカタチで支援できたらと思っていたからです。ただ、学士を取ったばかりで、凄く疲れていて、夢を語ることはできても、いざ計画して実行する気力体力が残っていませんでした。

一回ちょっと休みたい、、、

と周囲に言っていたのを思い出します。息子のオルタナティブ教育のことだけ考えて、ちょっと本当に休憩したいと思っていました。でもしばらく待ってしまうとすぐに息子の大学受験が始まるし、親の介護も始まる可能性が高いし、忙しさが増して「本当に動けなくなる」かもという不安もありました。

当時私は44歳になったばかりで、過敏な息子の変動激しいアカデミック・ニーズ(&ソーシャル・エモーショナル・ニーズ)に合う英語での教育を模索しては試す毎日でした。それですでにヘトヘトだったのですが、息子の大学受験が本格的に始まるまでまだ数年ある「今」しか自分の大学院進学はないとも思えました。ここで休んだら「始められない言い訳」を探し始めてしまうだろうこともわかっていました。やるなら今すぐのほうがいい。

そんな感じでUConnに突っ走ってしまったわけですが、あのときのあの突っ走った決断は正解だったんだろうか。その後5年にわたって何度自問したかわかりません。

2017年の夏に進学した同級生たちは、予定通り2019年の夏学期を終えたあと卒業していきました。Three Summers Programという旧名の通り、3度目の夏を終えたころには取得できる修士プログラムなのです。

私はなんだ? Five Summers??

2年強で終わらせられるから進んだのに。苦笑。
トラウマになるくらいキツかったです。

そもそもホームスクールがキツかったです。息子はギフテッドプログラムがあるオンラインスクールに進んだので、学習内容を私が考える手間が省けるという意味においてはラクでしたが、カリキュラムに沿った学びが息子には究極に合わず、そのサポート&ケアをしつつ、同時進行で違う学びや交流の道を探しては様子を見て・・という繰り返しがもう本当に大変でした。

同じ状況にいる親子がまったくいなかったのもキツかったし、それを大学院の課題と同時に進めていくのが非常にキツかった。

でも、じゃあインターを続けていたらラクだったのかと問われると、それも微妙です。大学に進学した息子は「今でも自分の求めてる学びがなかなか得られない。本当に学びたいことって(学校や大学という機関ではなく)やっぱり独学でしか得られないのかな」と肩を落としているからです。これについてはまた改めて書きたいと思いますが、

いずれにしても

「与えられた課題をこなすカタチの学び」が苦痛でアンダーアチーバーになってしまう息子のハイスクール時代はとくに親子で地獄でしたし、同時進行で大学院の課題をこなすことが私にはなかなかできませんでした。大学院に進学したことを後悔したことも何度かありました。その間家族に裏切られたり実家では病識のないきょうだいや高齢の両親が私を今か今かと待っていたりで、もう八方塞がりだ、、と何度途方に暮れたかしれません。

本当なら2年で終わるところを5年もかけてしまいました。一時はドロップアウトするしかないとも思っていたので、やり切ったことが奇跡な気もします。よく頑張った。嬉しさはまだありませんが、よくやったかもしれないとは思ったりしています。

敵なのか味方なのかよくわからない家族にも「ありがとう」という気持ちはあります。ここまで自由にやらせてくれてありがとう。応援してくれてたのかもわかりませんが、べつにいいです。やり切ったので、私の勝ちです。(私が私自身に勝つか負けるかだったので、負けはいない)

最終課題の最中に、凄まじい毎日を送られている高島さんという方のnoteを見つけてしまいました。つい夢中で読み漁ってしまいましたが、いや、課題を提出してから遡って読ませていただこう、と思いました。いやいや、書籍を購入しよう。

毎日更新されている高島さんのnoteは、私の毎晩のささやかな楽しみとなっています。凄まじい日は読んでいて胸がえぐられます。応援の気持ちをこめて「スキ」しています。

2月15日の記事のなかで、高島さんが福祉に対する思いを書かれていました。引用させていただきます。

福祉に関する支援は善意とは切り離された何らかの仕組みによるものでなければ頼るのも厳しいです。世間に頼るのはもとより無理なので社会に支えてほしいのです。世間と社会は似て非なるものだと思っています。社会は何らか公的な仕組みを前提としています。福祉というのは世間ではなく社会によってしか支えられないのだというのが私の理解です。娘のような統合失調症患者だけでなくお年寄りや子供も同様です。世間ではなく社会で支えて欲しいのです。

共感しかありません。が、これを読んで私のなかに絶えずある「理不尽さ」の正体が初めてわかりました。私の「善意」を、あたりまえのことか何かと勘違いされてるから理不尽なのです。義務なんてないはずなのに負担を遺すことになってしまってごめんね、と一言でもあったら理不尽さは消えるのかもしれません。

以上。

最後になりますが、息子には感謝の気持ちでいっぱいです。息子がいなかったら私は絶対に頑張れていませんでした。いろいろあり過ぎて、修士も自分の人生もあきらめていたかもしれません。ありがとう。

今なんだか燃え尽き症候群のような感じで、とにかく疲れたというか、ひたすら眠いというか。でも課題は山積みですし、今までやれなかった「やりたいこと」も多々あるので、気持ち新たに頑張っていきたいと思います。

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