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20歳の夢は20歳で壊す

 20歳になって突然、お笑い芸人がとても格好いいと思いました。面白い話を考え、披露し、お客さんを笑わせる姿にとても憧れたのです。20歳の大学生がまるで小学生のように「格好いい」という理由のみ将来の夢を決断しかけたのです。これは「お笑い芸人になりたい」という夢を叶えるために漫才素人の大学生がM-1グランプリに出場し、1回戦で敗退した話です。


理由は後から振り返るもの

 M-1に出てみたいと思ったきっかけは2つあります。1つは普通の理由で、もう1つは自分で言うのはかなり恥ずかしい理由です。しかしそれを吐露するためのnoteですのでちゃんと書きます。
 1つ目は深夜ラジオにハマったからです。大学生になると今まで面白いと思っていたテレビやYouTubeなどが突然つまらなくなり飽きてくるという現象が起きました。しかし大学でのサークルやバイト、飲み会などでその埋め合わせが余裕でした。しかしこれらの交流イベントが2020年に入ってからは全くできなくなったのです。それを代わりに埋めたのが深夜ラジオだったのです。芸人さんが声だけで電波越しの私を爆笑させている技術に驚愕したのです。そしてその芸人さんはみんな漫才やコントをして、実際に目の前にいるお客さんを笑わせているのです。そこで彼らがしている漫才をやってみたいと思ったのです。しかし突発的に「漫才やってみたい」と思った素人大学生に用意されている場はほとんどありません。しかしM-1グランプリは誰でも応募できるのです。年1回しかないこの機会は逃せませんでした。
 2つ目は喋りに少し自信があったからなのです。これを自分で言うのはかなり抵抗がありますが、一応根拠はあります。自分はヲタク気質でこだわりも多いタイプの人種なのですが、意外と友達が多い方です。他の人と比べ私は交流の幅がかなり広い事に気づいたのです。そしてこの話に合わせて「話面白いからね」と友達に言われる事が何回かあったのですが、この言葉をすんなりと受け入れられるはずもなく、心優しいお世辞として疑っていたのです。しかしそれぞれが全く関係ない友人数人から言われたとなると、この疑いを検証したくなってきたのです。しかし面白い話が「面白い」かどうかを判断する方法がありません。その時に「話の内容が面白いか」のみが判断される漫才の大会に出る事に思い至ったのです。

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1人でボケて1人でツッコむ

 相方は今回のM-1のためにコンビを組んだ大学の同級生です。まず今回の私のワガママの付き合ってくれた事に頭が上がりません。これから書く内容に付き合ってくれた事に今更ながらとても驚きなのです。さらに自由人の私とは違い、相方は部活などで多忙を極めているのです。その相方に感謝の気持ちを込めてこの文章を書きます。でも本人には読んで欲しくないですね。
 今回のコンビとしての活動は2ヶ月弱でした。以下にまとめてみました。
7/14 コンビ結成
8/18 エントリーシート提出
8/24 コンビ情報の公式サイト反映
9/2   出場日程の発表
9/8  1回戦@渋谷シダックスカルチャーホール

このようなテンポ感でM-1に向けて準備しました。2ヶ月という期間は他のM-1グランプリ出場者と比較すれば間違いなく短いはずです。しかし素人大学生が漫才について悩む期間としては2ヶ月が限界でした。常に頭の片隅に「漫才」の存在がちらつくのです。これは楽しいながらも意外と大変で、ネタの声・動きのイメージを繰り返し脳内再生するのです。そしてその繰り返しをする中で、違和感を見つけてより面白いネタを構成してみる方法がお笑いセンスというものすら知らない私ができた漫才のネタの作成方法でした。これをもっと高いレベルでもっと長い期間続けているプロのお笑い芸人の方々は本当にすごいです。
 しかしこの様に長い時間をかけて書いたネタは100%つまらないのが現実でした。自分含め多くの人々は想定外のハプニングや不運が「面白い」と思って笑っているのに、所詮素人が考えた客観性に欠けたネタが面白いわけがないのです。そしてそのつまらなさを一番初めに、一番強烈に感じるのは相方なのです。その事が一番申し訳なく思います。当然ながら相方からの反応・意見は厳しいものになるのですが、自分の「面白い」にメスを入れてもらう感覚は初めてだったのですごく楽しかったのです。つまらないツッコミ台詞に「つまんねえなぁお前~」と言われる経験はもう無いと思います。「とにかくおもしろい」かどうかで審査される事なんてこれから先の人生であと何回あるでしょうか?

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面白い人には絶対勝てない

 今回のM-1のためにコンビでお互いに何本もネタを書きました。お互いが何を面白いと思っているかを確認したかったのです。しかし自分のネタはつまらないを極めているのに対して、相方の書いたネタは1本目からすごく面白かったのです。これは相方の考える面白さが自分のとは違うという事も影響しているかもしれませんが、今までに見たことの無い頭のおかしさ、狂気的な面白さを感じたのです。「このようなネタは自分に一生書けないし、一生できない」とすぐに悟りました。そこで相方の書いたネタで漫才の雰囲気を掴んでいく事にしました。しかし相方が書いた頭のおかしい面白いネタに自分は喋りが少し面白い人間だと思い込んでいたような人間には到底追いつけませんでした。ネタの登場人物への没入度、表現の振れ幅など言葉では表せない、自分には無い何かを相方は1回目のネタ合わせから持っていました。
 しかし2ヶ月の間、毎週のように大学の同じ教室に集まってネタ合わせをしていると、何が面白い要素なのかを素人ながら分かってきて、懲りずに書いていたネタも少しずつまともになっていったのです。夜の空いた時間にネタを書いて、朝起きてもう一度そのネタを見るとまるで地獄絵図のようにつまらないのを我慢してネタを書き直すという行程を繰り返した結果です。そしてM-1当日の一週間前になってやっと少し面白いネタが書けたのです。相方に見せた反応は「掴みは面白かった。俺の好みだった。」でした。最終的にはこのネタは掴み以外の7割以上が修正され、自分が書いたオリジナルよりも遙かに面白いネタになりました。それでも私は自分で考えたネタで相方に「面白い」と言わせた事がなにより嬉しかったです。そしてこの一番新しいネタでM-1に出る事になりました。

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緊張の定義がブレる

 M-1の1回戦当日、人生で強い緊張を感じました。そして人生で初めての感情を一気に経験した気持ちを忠実に書きたいので、ここまで以上に乱れた文になる事をお許し下さい。
 起床した時は既に緊張していました。思ったよりしっかり寝られたのですが、いつも通りの起床→洗顔→朝食→歯磨きの朝のセットが上手くいったりしなかったのです。そして本番ではこれを着ようと決めていた白のポロシャツとくすんだ緑のズボンを履いて家を出ました。そして渋谷で待ち合わせたハチ公前で15分ほど待つ事になった時に一番緊張が加速しました。その時の私は会場の集合時間に近付く時計を見る事が怖くなり、スマホに全く手をのばす気になれなくなるという経験を初めてしました。どこかのバラエティ番組でスマホに触るだけで集中力は一気に弱くなるという話を聞いたのですが、私の体はそれすら許してくれなかったのです。なので大都会の喧噪の中で手元の活字に目を落とす事しかできませんでした。2021年の夏のハチ公前で無心に本を読んでいた白ポロシャツの人間はきっと私だけです。
 そして相方が到着し、会場のシダックスカルチャーホールに向かいました。しかし2ヶ月続けてきたネタ合わせ後の様に中身の無い話をしながら歩く事ができなかったのです。お互いに「いよいよ本番だよ」「ヤベえよ」などと緊張しているヤツが言うテンプレートの台詞のような事しか言えなかったのです。そして口数少ないまま会場に到着したものの、集合時間より30分近く早かったので、ネタの流れを確認しながら代々木競技場の近くまで歩いて帰ってくる事にしました。渋谷をグルグルと爆音で走り回るバニラカーの爆音BGMを背景に、こうすれば良かったとかこれってダサいよなとかを今更何もできないのに言い合ったのです。そもそも今回のコンビ名意味分からねえよという話になった時は二人ですごく笑いました。元々考えていたカタカナ4文字のありきたりなコンビ名と比べれば断然格好いいだろ!と自信を持って私が提案したコンビ名:愚者の金は相方にしっくりと来ていなかったようです。「あんなに目を輝かせて提案されたら断れねぇわ」と言われたときはさすがに恥ずかしかったです。それを隠すために「なんでその時に言わねぇんだよ!」とツッコミらしくツッコんでしまいました。でもこんな20歳大学生のしょうもない夢に付き合ってくれてありがとうと内心思いつつ。

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 渋谷の街をぶらりと30分歩いて戻ってきたところで集合時間になり、受付で2000円のエントリー費とエントリー番号のシールの受取を済ませた後に会場の8階にエレベターで登ると空気感が完全に未知の世界でした。明るい声と笑い声が会場に広がっている中で、会場全体には何か張り詰めた雰囲気が広がっていました。いわゆるホワイエと呼ばれる廊下・ホールに急設したような待機場所は暗いだけで無く、それぞれのコンビが最後のネタ合わせや集中力を高めるためのルーティンをこなしていたため、緊張を通り越して恐怖の感情になっていました。初めて漫才の大会に出場した我らにはその雰囲気に溶けこむ事ができるはずもなく、場に合わない大きな声で話してしまったり、連れションのトイレの鏡の前でジョジョの奇妙な冒険 第4部に登場する吉良吉影のスタンド・キラークイーンのジョジョ立ちをやってみたりと、少しずつ私が通常の自分から軋みながらズレていく感じがしました。そして数分後に「エントリー番号3176 愚者の金 準備をして裏手に来て下さい」と係員の案内で本番の舞台の袖に誘導されました。先ほどの待機場所とは違い舞台の袖は扉などがないため、MCのアナウンスや観客の移動する足音などがはっきりと聞こえるのです。この時に私に変なスイッチが入り、完全に私は自分を形成する理性からズレ落ちてしまいました。周りの人が真剣に集中力を高めている中でオードリー春日さんのカスカスダンスを踊るなどの奇行をしたりしました。客観的に見れば自分のネタの本番数分前に他のお笑い芸人のネタを全力でやっているのは明らかに異常者です。一方でもしこのスイッチが入っていなかったら、自分はどのような状況になっていたかを怖くて想像できません。よく緊張を解消する方法として手のひらに「人」という字を3回書いて飲み込むなどのいわゆるツボ刺激系が一般的に広まっていますが、それが通用するレベルを遙かに超えてしまっていたのです。渋谷に向かう途中の電車の中で緊張解消法を一通り調べたのに、それらが全部記憶から飛んでしまい、笑いながらカスカスダンスをする事しかできなかったのです。振り返ってみればあの現象は迫り来る初めての環境に自分が対応しようとした結果、一種の自己防衛だったのではないかなと思います。この現象は果たして「緊張」なのかをいつか専門家に伺いたいです。

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異世界に転生する2分

 「次はエントリー番号3176 愚者の金です どうぞ!!!」というMCの声とともに私たちはセンターマイクの前に飛び出たのです。「どうも~愚者の金です~よろしくお願いします~」という予め決めておいた挨拶の文章から漫才を始めたのです。心の中で「誰か1人だけでも笑ってくれますように」と祈りながら、相方が笑ってくれた自信のある掴みから一気に最後の「どうもありがとうございました~」まで駆け抜けました。
 結果としては自分が思っていたよりもウケたのです。そしてものすごく楽しかったのです。もちろん漫才の中でウケて欲しい部分で笑いが起きた事に安心しました。しかしそれよりも「とにかく面白い漫才」を笑いながら悩みながら作った2ヶ月間で築き上げた"愚者の金の世界"を笑って貰えた事がなによりも嬉しかったです。自分が何回も練り直した漫才に加えられた相方から突発的に生まれる狂気の笑いの融合の成果を、初めての舞台でしっかりと感じる事ができたのです。

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 結果は1回戦敗退でした。漫才が終わった後の清々しい気持ちを思えば、「もうやりきった後悔はない」という台詞を言ってもおかしくはなかったです。それでも結果発表の夜8時までソワソワする事しかできず、1回戦敗退&ナイス・アマチュア賞獲得ならずの結果を見て、謎の疲労感に襲われたのでした。やはりどこかで悔しい思いがあったのだと思います。
 今回私はコンビを組み、漫才を考え、M-1グランプリに出場したのです。ネタ合わせに費やした2ヶ月の結果はわずか2分です。これを楽しむ事ができるかできないかは人によって大きく違うと思います。今まで多くの挑戦をしてきて行動力に定評がある私ですが、挑戦を実行する前は何度も不安になり、面倒くさがるのです。今回も相方に「M-1に出よう」と連絡するまでに、単純な頭の中で否定的な言葉の自問自答を繰り返しました。ですが「やりたい」と思った時点で「やる」。これが僕の生き方なのです。


「お笑い芸人になりたい」という20歳になって生まれた夢を叶えて壊すために、漫才素人の大学生がコンビを組んでM-1グランプリに出場し、1回戦で敗退したが、ネタの2分間だけは世界で一番面白いコンビになった話です。


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