生きている刀、死んでいる刀。

はじめて刀を振ったとき、1kgもある刀は、容易には止まらなかった。びゅん、と斬り下ろせば、止めたいところで止まらずに、行き過ぎてしまう。

うまい人は、決まった位置で刀を止めているのに……何が違うんだろう。

「どうやったら刀が止まるんですか」と聞いた。その人は「手を雑巾を絞るようにするんだ」と言った。なるほどと頷きながらやってみると、刀は止まった。少なくとも、斬りおろした位置でピタリと止まりはじめた。この方向性だな、と納得した。

けれどそのうち、片手で袈裟に斬る必要が出てきた。

すると問題は再燃した。刀が止まらないのである。両手で1kgを振り回すのと、片手で1kgを振り回すの。後者の方が難しい。腕の力だけでは止まらないからだ。

「どうしたらいいんですか」と聞いた。

「数をこなすしかないよ」明瞭な答えは返ってこなかった。

試行錯誤が始まった。どうやったら斬っている刀が止まるのか。この問題について考えていくと、運刀全体に関わってくることに気づいた。この投稿は、運刀の基礎について現時点の到達点である。

初心者に教えるとき、彼らの「刀が死んでいる」ことに気づいた。

「これは刀が死んでいる。こうすれば、刀が生きてくる」

目の前でやってみても、伝わっている感触は得られなかった。刀の生き死には、身体内部の操作の問題だからである。外側を教えることはできる。しかし内側を教えるには、受け手が「盗んでやる」と思わないかぎり難しい。

         <動画を挿入>

この動画は、生きている刀と死んでいる刀を説明したものである。外見上は、雑巾(茶巾)を絞っているとき、刀は生きている。刀を横からもったりしているとき、刀は死んでいる。

一番重要なのは、内部で何が起きているのか、ということである。

刀が生きているとき、刀の重みは体幹部の重みと接続されている。手の内から腕の内側を通って、胸筋まで力の経路がつながっているのだ。身体と対話すると、「ああ、こことここがつながっているな」とわかる。丹田の感覚がある人は、丹田とつながっていることもわかるだろう。

一方で刀が死んでいるとき、その経路は手の内で遮断されてしまっている。刀に体幹部の重みが伝わらないのである。だから、「刀が死んでいる」という。

手の内を締めろと教えられるけれど、ほんとうの意味は「体幹部から刀まで、力の経路を確保しろ」ということなのだ。両手で斬るときには、締められる。しかし片手の場合は? 締めてしまったら、あきらかに刃先が立たなくなる。

手の内を締めるのではない。体幹部と刀を接続しろ、と言っているのだ。

そう気づいたとき、片手の袈裟切りでも、刀がとまるようになった。体さばきで止めるのである。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。