身体の声を聴くーー武術のセンス

「武術やってるんだってね。強いの?」と訊かれて、うーん……と言葉に詰まった。強いか弱いかで言ったら、ぼくはまだ弱いだろう。筋肉も少なく、骨格もたくましくない。

でも、普通の人とは違う身体の動きを実行できる。もしくは、その違う動きをできる萌芽がある。この動きは、普通の人の盲点なので、結果的に相手を制することができる。

たとえば、「重心のかかっている脚を、そのまま上に引っこ抜く」ことができる。

普段ぼくらが歩くときには、右足から左足に重心を移動させて、重心のかかっていない右足を一歩前に出す。重心のない足は、軽い。だから宙に浮かせて、一歩踏みだせる。

けれど、ぼくが武術の動きをするとき、右足から重心を移動させずに、そのまま上に引き上げる。身体のバランスが崩れる。崩れた状態をうまく操って、右のほうに身体を動かす(註:崩れた状態でありながら安定した状態である)。移動途中に体を入れ替えたり、向きを変えたり、腕を出したりする。そうして相手を制するのだ。

こうした動きを身体にインストールしていく。それが武術をやるということの、ひとつの意味だ。

新たな動きを導入するときに重要なのは、身体の声を聴くことである。

「この動きは身体に負担がかかっていないか」「どの筋肉を使えば、もっと効率的に動けるか」「どことどこの筋肉が、どのくらい使われているか」「あの人の動きは、内部がどうなっているのか」……

こうしたことを、自分の身体で試しながら、ひとつひとつ考えていく必要がある。

ぼくは合気道をやっているときに、身体の声を聴くことの第一歩を踏みだした。関節がどうなっているのか、筋肉がどう動くのか、いま身体のどこに重心があるか、相手をどう動かしたら崩れるのか……今では、こうしたことは、ほとんど無意識に感じられる。相手の動きを見ても、すぐわかる。

もっと精細な把握ができるようになったのは、マインドフルネス(瞑想)との出会いだった。

この瞑想方法は、呼吸に意識を向けることから始まる。しかし同時に、いま何を感じているかにも意識を向ける。肌寒いか汗ばむくらいか、光はまぶしくないか、虫の声が聞こえるか、どんな匂いがするか……五感を全開にして、外の世界との境界線をひらいていく。

この瞑想を行っていると、身体をめぐる血流に気づいた。ドクッドクッと血が流れてる。面白いなと観察しているうちに、胸の拍動から手先に血が通っているのを、見つめられるようになった。コンマ何秒かで、手先に拍動が伝わるのは遅いのだ。やがて、足先にも血流を感じるようになった。胸から足の付け根を通って、足先に勢いよく血が流れる。足まで血が到達するのは、さらに数瞬ほど遅い。

全身の血の流れを、身体の感覚として手に入れた。こんなふうにして身体と対話する。

マインドフルネスでは、歩行瞑想もメニューに含まれている。

歩いているときでも瞑想状態を保つのだ。息はどうか、肌の感覚は? 匂いは? 音は? 重心の位置は? どの筋肉が動いている? 血流は感じられる?……

普段の瞑想でやっていることを、動きながらやる。瞑想状態では、何も考えない。ただ見つめる。いつもは気にしない全身の感覚器を、ひらいていく。

武術の身体は、この歩行瞑想の状態と非常に近い。身体を運用しながら、内側から聞こえてくる声に耳を傾けている。全身がビンビンの感覚器になっている。

武術のセンスがある人とは、身体の声を聞ける人のことで、それはつまり、運動しながら瞑想できる人のことだ。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。