重みを操作する――古流の基本原理

古流の動きは、重みの操作の体系である。

重みは何から生まれるかというと、身体の「質量」と地球に引っ張られる「重力加速度」から生まれる。

質量の七割を占めるのは、水分である。だから中国の古流は、人体を水の入った袋にたとえる。たぷたぷに水の入った革袋が人体である。人体のなかには、骨と筋肉がある。

重力加速度は、日常生活で意識することは少ない。意識しないということは、それだけ普遍的で「大きな」意味をもつことでもある。だから、その力を使えるようになると、日常とは違う身体の動かしかたになる。

たとえば、座位から立つという動作は、重力に逆のベクトルに力を加えることである。ただし「合成的に」という注釈が入る。合成的にという意味を、どこまで深く理解できるかはひとつの到達尺度になる。

抜重、という古流の用語がある。

重みを抜く。たったこれだけのことが奥義のひとつに数えられる。質量と重力加速度を理論的・身体的に理解しなければ、到達しないからである。

ぼくらは知らないうちに抜重をしている。

スキーをする。パラレルターンと呼ばれる、板を並行にしたまま方向転換する方法がある。このときスキーヤーは抜重をしている。谷側のスキー板から重心を抜いて、山側の板に重心を移す。山側の板の内側のエッジに重心を乗せる。すると自然に板は曲がりはじめる。重心移動を楽にするために谷側の板の脚の膝を折ったりする。

もっと近いところでいうと、自転車を速く漕ぐとする。十分なスピードが乗った自転車で、次のカーブを直角に左に曲がらなければない。手元のハンドルを操作したのでは壁にぶつかってしまう。ぼくらは、腰を浮かせて身体を左に倒して重心を左にもっていく。こうすると自転車も地面すれすれまで倒れる。カーブを曲がったのを確認して、重心を右側に戻しながら自転車を引き上げる。十分な加速度があれば、それほど減速することなくカーブを曲がれる。

バイクや競艇にも同じことがいえる。世界には抜重が満ちている。

ここまでの説明で、重みを抜くということの意味がわかったと思う。つまり、抜くまえの重みはどこにあるのか、抜いたあとの重みはどこに移るのか、この二つが決定的に重要なのだ。重みを抜くということは、重みを移すということである。

重みを自覚しなければ移しようがない。重みを移したと言っても、移したさきで安定しなければ意味がない。自分の身体と対話することが不可欠なのだ。

抜重を極めたさきには、重みを自在に操れるようになる。自分の重みを相手に伝えるのが、当身系の業の基本原理になる。当身系の業には、ぼくの整理だと、弓や居合、棒術などの古流も含まれる。媒介物を通しても、自らの重みを相手に伝えることが目指す道になる。

(つづく)

歩法、浮き身、合気道、筋肉、揺らぎ、水……

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。