視ること。

ぼくは古流武術を10年以上やっている。

経験があるのは、合気道、居合道、柔道、古流泳法、剣道の五つ。そのうち当該流派の基礎体系を身につけた(=初心者を脱した)と思えるのは、合気道と居合道だけである。

古流の動きは現代日本人の動きとは異なるから、最初は、業を身体にインストールするところから始める。日常の動きをアンインストールして、古流の動きをインストールする。この過程をどれだけ精度高くこなせるかが、初心者と中級者を分ける。

このとき決定的に大事なのは、「視ること」である。

最初は、わけもわからないまま道場の人に形を教えてもらう。いくつかの業をひととおりできるようになったら「視ること」に移る。教えてくれる人だけではなく、道場の人たち全員を見渡して、「この人は違う世界を見ているな」と直観する人を見つける。

そこから、徹底的にその人の演武を視る。目線をどこに置いているか。重心をどこにおいて、どのように動かしているか。呼吸の仕方はどうなっているか。足さばきや体さばきはどうなっているか。動きの最中に、骨盤や骨格筋をどう使っているか……

もちろん初心者の段階では、視えるものは少ない。しかし、視ようとする意識が決定的に大事だ。なぜなら中級者以上になると、視方を磨かなければ成長が止まってしまうからである。もっとも情報量の多い学びは、視ることによって得られる。すべてを盗みとる意識で視ていくうちに、自分の動きも視方も精度が増していく。上達するとは、情報感度がよくなることだ。

さいきん井川さんという人を知って、人間理解に惚れた。井川さんは、いまwebに最初の小説を載せている。

井川さんについてツイッターで呟いていたら、「FBグループあるけど入る?」と言ってくれる人がいた。「入ります!」と答えて、写真も載せておらず化石状態だったFBにプロフ写真を急いで投稿して、「井川さんを励ます会」に入れてもらった。

そこでぼくは、上の記事とあわせて「新しく小説に取り組む姿勢」を視てとった。

まずとにかく書ききること。初めてなのだから難しいことをしようと思わないこと。書いたからといって次の小説に取り組まないこと。書いたものに表れた自分らしさが伝わるよう何度も改稿しなおすこと。伝えたい内容は一貫させながら、初稿の原型を留めないほど改稿すること(90%も変えているらしい!)。考えるだけではなくて、実際に試行錯誤すること。書いたものを恐れず提出して、読んでくれる人の感想を改稿に活かすこと。ただ愚直に、目の前のことに一生懸命になること。

たぶん、これが真実だ。

この過程は漫画制作でもまったく同じで、ぼくはツイッターでリアルタイムに見ていた。

コメントを受けながら、同じ題材を何度も描いていくのを見ながら、「なるほど、こうやるのか」と嘆息したのを憶えている。最後の修正第2版は、意味が伝わってくるし、その人らしさが出ている。

いまの時代は、何かが作りあげられる過程を見られる。ただ見るのではなくて、なかに潜んでいる意識まで視る。

視たら、あとは真似するだけだ。

サポート金額よりも、サポートメッセージがありがたいんだと気づきました。 読んでいただいて、ありがとうございました。