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「自分の言葉で語る」

はじめに

マガジンなるものを始めてみました。職業柄、企業さんの「ミッション・ビジョン・バリュー」なんてもの聴いたり、新たに設定したり、考えたりすることが多く、その度にも思っていたことがあります。

「偉そうに人の事言うけど、お前のミッション・ビジョン・バリューってなんなんだよ?!」

この問いかけが企業さんから飛んでこないか、内心いつもヒヤヒヤしていました。答えられないから。あらゆる角度や言葉を使って、企業さんのことは考えるけれど、自分の事は何も言葉にできていない気がする。そんな長年の負い目に終止符を打つべく、架空の”株式会社オフィス池山”を立ち上げ、相棒と一緒に日々を人生を楽しむための考え方や行動指針を1つ1つ言葉にしていこうとはじめたのがこのマガジンです。

”自分の言葉”との出会い

そんな1回目に僕が選んだ人生で大切にしている考え方は、「自分の言葉で語る」です。これは、共にオフィス池山(架空の会社)を経営している(妄想で)相棒と3年前に出会い、2年前に大きな案件を一緒にしている際に彼の口から飛び出した言葉です。その案件には、いわゆる”コンセプト”がなかったんですよね。あったのはあったんですそれっぽい言葉が。ただ、彼が(僕も)しっくり来ていなかった。そんな日々を過ごしている時、帰り道につぶやいたんです。

「結局、自分の言葉で語れるかどうかだと思うんですよね」

稲妻に打たれた気がしました。何気なくて飾らなくてシンプルで誰もが口にしてきたはずの言葉に僕は心を打ち抜かれ、「それです!それ!それがコンセプトです!」と伝え、相棒は「こんなんでいいの?」という顔をしていましたが、僕の圧や熱に負けたのか、「自分の言葉で語る」を活用したコンセプトを採用してプロジェクトはなんとか上手く進みました。これ以来、相棒と僕は幾度となく”自分の言葉”で語りあってきました。

”自分の言葉”って何?

”自分の言葉”って何なのか?ってことなのですが、自分の中でもまだまだ定義が言語化しきれていないのですが要素は整理できてきております。

・自分が感じた事を感じた順番で正確に
・他人や世の中からの引用ではない

大したことではないですがこんな感じです。「本当にこれ”自分の言葉で語る”が出来ているか?」2年前からずっと自分の言葉に問いかけています。喋る時はもちろん、資料やメールの文章、LINEやSlackなテキストに至るまで、全てにこの問いかけをし続けています。実際に口から発する言葉はなんとかなるのですが、テキストのみだとそうはいきません。コロナ禍になりテキストでのコミュニケーションが増えたことにより、いかに自分が”自分の言葉で語る”ができていないかを痛感しました。

例えば・・・

「あれ良いですね!」

なんて言葉をメッセージでやり取りしていたのですが、”自分の言葉で語る”と。

「昨日送ってくれた資料を見ました。短い時間でここまで良いまとめてくれて感謝しています。少しだけ気になった箇所があるのでこの後の打ち合わせで伝えますね」

なんて事だったりすることがザラだと言うことに気がついたんですよね。なので、僕が書くテキストはどんどん長くなっています。あととにかく()を多様するようになりました。

「あれ(昨日の資料)良い(こんなに短い時間で!)ですね!」

みたいな感じで一度書いてみた後に、「これじゃあ自分の”言葉で語る”ができていない!」と思って慌てて付け足していくと、どんどんどんどん長くなって、()じゃなくて最初から書けや!と自分でツッコミを入れたくなることも多々あるのですが、そんな思考や感情順序も含めて”自分の言葉”なのだと思うようにしています(でないと嫌になってしまうので笑)。

「自分の言葉で語る」って難しい

長々と書いてきましたが”自分の言葉”で語るのは本当に難しい。自分の中にある感情はそんなに単純な言葉に押し込めることはできなくて、辞書に書いてあったり、世の中の誰かや映画やマンガで代弁されていなくて、どれだけ拙くても自分だけの感じた言葉がそこにはあって、しかもそれを言葉として自分の外に出してあげること”語る”という部分も含めて本当に日々痛感しています。なんなら先日(というか昨日の夜)、「自分の言葉で語る」をこの2年間でもっともしてきた相棒との打ち合わせ中に”自分の言葉”はあるのに”語る”ことができなくて、言い合うことが出来ず黙ってしまい、打ち合わせの空気を最悪に重いものにした上に、”語る”ことのできない辛い時間を、「何で”語る”ことをしてくれないんだ?」と相棒(大切で信頼を寄せていて、いつも寄り添ってくれる人)を戸惑わせてしまうという事態がありました。2年間続けてきたので、「自分の言葉で語る」が出来るようになってきたと自信もあったし、なんなら調子に乗っていただけに、昨夜の事態は本当に情けないし、恥ずかしい。感謝を感じない態度が失礼、でもそもそも足りていないと感じさせたことが辛い、足りてないことを言わずに後出しするもムカつく、場の空気を悪くしているのに改善できない自分に一番ムカつく。こんな自責を他責に置き換えたようなダサい事でも”自分の言葉”として、”語る”べきだったと猛省しています。直接会ったら”語る”ことできないかもしれないのでここに書き記します笑 いやはや、”自分の言葉”もですが、それを”語る”ことは本当に難しい。また今日から積み重ねていくしかないです一言一言。

おわりに

こんな感じでまとまりのない文章ですが、自分が大切にしていること、大切な仲間と大切にしていきたいことを「自分の言葉で語る」ことを自分のペースで、相棒であり盟友でありパートナーであり、僕の人生のダチと2人で続けてみたいと思います。

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