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シャーロック・ホームズに会いに行ったら、私はもう大人になっていた

私は今日、図書館にいるヒーロー達に久々に会ってきた。

元々、文学に通じた人間ではない。
今や電子媒体で映画、お気に入りのアニメや漫画に慣れ親しんでしまった身の上である。
だが、今日初めて区立図書館に立ち寄って”原点”たる彼らに会ってきた。

私にとっての読書の原点。
アーサー・コナン・ドイル著シャーロック・ホームズの推理小説は、私にとってのヒーローだった。

なぜなら、彼らの活躍は私の新しいスタートラインを作ったからだ。

詳細は割愛するが、私は物心つく前から複雑で過酷な成育環境で生きていた。
その中で心身機能に不調をきたし、医療、社会や大人に助けを得られない状況で育っていたのだ。
当然、発達状態にも大きな影響が出て、人の言葉が殆ど理解できない子供になっていた。

小学校の同級生や教師の言葉、計算、道徳、常識、挨拶‥‥‥日常生活全てにおいて、置き去りにされたままの子供だったと思う。
今の時代ほど、子供の人権や医療、福祉などが充実していなかったので、私は「この世は、全て自分に苦痛をもたらすだけの世界」としか思っていなかった。

理不尽に怒られたり、叩かれたり、意地悪をされる。
家も学校も、不安が取り巻いていて当たり前で、どこにも居場所がなかった。
自分は、文字が読めないし、理解できない。
かろうじて読めても、「ひらがなみたいな感覚をなぞっている」だけだった。
多くの人が私を馬鹿にするので、私は人に攻撃されて当たり前で、いつも「ごめんなさい」「すみません」「許してください」と言って、一生を生きなければいけないのだと思い込んでいたのだ。

そんな子供時代を過ごしていたある日、逃げ場を探して行きついたのが公立図書館だった。
偶然手に取った本が「シャーロック・ホームズ」の第一巻である。
ふりがなは読めたので目についた「緋色の研究」と副題されていたその本は、人間味豊かなイラストで飾られていた。
小学生向けに翻訳されていて、表紙カバーも綺麗で輝いて見えた。

座席について何気なく、めくった最初の1ページ。
はじめから読む気はなかったが、ペラペラめくっていくうちに挿絵に目を奪われていった。

―――何かを探している男性、笑って食事をしている登場人物たち、馬車に乗ったシーンや犯人らしき男を追いかける姿。
様々な絵を見ていくうちに、私はそこで衝撃を受けた。
―――人って、笑ったり、怒ったり、喜んだりしてもいいのだということに。
自我を持って生きていく挿絵の彼らの姿を見て、当時の私はショックを感じた。

次に、絵の中の彼らが、どうしてこんなに表情豊かなのか知りたくなった。

そう思って、私は司書さんに思い切って、子供用国語辞典も借りたいので出してもらう。
ふりがなのたくさんふられた辞典を片手に―――私は、生まれて初めて本を読むことに挑戦していったのだ。

文字を指で、おそるおそるたどっていく。
図書館の人に「これはどういう読み方なのか」と、恥ずかしい気持ちで幾度か聞いたりもした。
人生で初めて能動的な行動に出たのだ。

図書館に通いつめた数日後、しばらくして気づいた。
最初は、読み進めるのにものすごく手間のかかった小説だった。
だが、1巻の途中で自分自身の中に「好奇心」が、どんどん芽生えていったのだ。
―――面白いという気持ち。
―――ワクワクするという心。
その気持ちを持っても、誰にも理不尽に殴られたりしない事実。
読書をして、人の感情に触れても、本の前では意地悪をされないのだ。
ホームズやワトスンは読者である私を攻撃しに来ない。
読めない箇所や、わからない表現は飛ばしてはいたが、とりあえずは読める所から想像を交えて理解していった。
集中していると、とても心が落ち着いて、すっきりした。
借りた本を持ち歩いて、時間さえあれば読書の虫になる。
読めて嬉しいという気持ちを持っても、誰にも攻撃されないし、罵倒されない。

その後、日にちはかかったが、なんとかして1巻を読み終えた。
そして、私はワトスン視点で書かれた心情に、たくさん引きこまれた末、多くの事にたどり着いた。
―――人は自分の考えを持って生きていても、許されるのだということに。
私は、「喜んだり、嬉しかったりすること」に、いつも罪悪感や不安を抱えていた。
子供だったあの頃、この世は、私が喜ぶと、世界は私に罰を与えてくるのだと思っていた。
だから、喜んだり、嬉しくなったりしてはいけない。
だからこそ‥‥‥誰かが危害を、いつ加えてくるのかオドオドしていたので、ホームズやワトスンの自由な主張と心情に触れて、生きている実感に初めて感動したのだ。

やがて、小学校4年生の秋に読み始めたこのシリーズを、私は翌年の1月には全巻読破した。

あの時、彼らは私のヒーローになった。

コナン・ドイルの小説は、私が初めて世界を理解できるスタートラインに立たせてくれたのだ。
作者だけでなく、ホームズやワトスン達も、本の中で皆が私を新しい人生に立たせてくれた。

月日が経った今日、図書館のシャーロック・ホームズに私は再び会いに行った。
今はもう、私は大人になっていて、彼らに初めて会った子供の頃のあの記憶は、遠い昔の思い出だ。

今日は1時間ほど、あの頃の私が呼んだ1巻を目にしていった。
時間の関係で、全ては読み切れなかったが、当時の思い出がよみがえる。
人は自分の気持ちを自由に持っていいのだという事。
喜んだり楽しんだり、嬉しくなったりして生きてもいいというあの日のメッセージに、今でも私は感謝している。
―――あなた達はずっと、私の中の、永遠のヒーローなのだよってね。

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