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『大切な存在』1年箕川そら

こんにちは
背番号13番 箕川そらです。
テーマは「大切な存在」です!

私にとって大切な存在、
それは『家族』です。

私がサッカーを始めたのは5歳の頃でした。
私より4歳年上の兄もサッカーが好きだったし、父も兄が所属する地元のスポーツ少年団でサッカーの指導をしており、そういった環境だったため、私がサッカーに夢中になっていたのも自然なことだっただったと思います。

サッカーを始めた頃の記憶で1番印象的なのは、やはり兄です。
「兄のようにサッカーができるようになりたい」、「兄のようにかっこよくなりたい」

家の庭で自主練をする時には、兄のやることをよく観察し、自分なりに真似していました。

兄のようにドリブル・トラップ・パス・シュートができたときは本当に嬉しくて、どんどんとサッカーが楽しくなっていったことを覚えています。

小学校に入ったばかりの頃はリフティングもできませんでした。それでも、「昨日は○○回できたから今日は○○回以上できるように頑張ろう」と父がよく言っていたので、毎日練習していくうちに、100回できるようになっていました。
「98,99,100…」
100回リフティングに成功した瞬間のことは今でも覚えています。
今までできなかったことが少しずつできるようになる────そうすることで、サッカーの楽しさも増していきました。

小学校3年生くらいになると同じ学年の仲間も増え、同時にライバルも増えました。
兄と同じスポーツ少年団に所属していたため、周りはみんな男の子でした。
「自分が女の子だからといって負けたくない」
走ることが得意だった私は、とにかく他の男子に負けるのが悔しくて仕方なかったです。

小さい頃に男子と闘う環境であったため、現在まで続く私の「負けず嫌い」が強くなっていったのだと思います。

毎週のように試合が入るようになって、お弁当が必要になったり、ソックスが泥だらけになったり、スパイクが壊れてしまうことが多くなりました。

そんな時、母は、走って夏バテしていても食べやすいお弁当を作ってくれたり、家に帰っても汚れたソックスを綺麗に手洗いしてくれたりしました。父もスパイクのメンテナンスをしてくれたり、私が「このスパイク欲しい」と言うと、「これからもサッカー頑張ってね」と買ってくれたりしてくれました。

私がサッカーに全力を尽くせるように、私のために精一杯サポートしてくれました。
そんな、私のわがままを聞いてくれる両親には感謝してもしきれないし、これから、もっと成長して恩返しできるように頑張りたいと思います。


私には家族の他にも大切な存在がいます。

その人とは、現在、J1横浜F・マリノスに所属する宮市亮選手です。
2度の足首靭帯損傷、4度の前十字靭帯負傷と何度も大怪我に悩まされましたが、この怪我を乗り越え今年の5月に、301日ぶりに公式戦のピッチに復帰した選手です。

私も現在、宮市選手よりは小さな怪我ではありますが、左足首靭帯損傷という怪我でリハビリを行っています。

ライバルが活躍し、レベルアップしているのをみて自分に対して焦りと怒りと不甲斐なさでいっぱいになることがあります。

そんな時、宮市選手のリハビリ密着ドキュメントを見て励まされました。
「走れることが幸せ」、「怪我前よりも速く」
これらの謙虚で前向きな宮市選手の言葉に私は感動しました。
どんなに苦しく辛い時でも諦めない姿がかっこよく、今では私の目標とする選手であり、大切な存在です。

私もサッカーができることに感謝の気持ちを持つことを忘れず、復帰したら宮市選手のように、怪我をする前よりも走りを速く、そして、圧倒的なスピードで相手を置き去りにし、チャンスを作り続けるアタッカーを目指して、今のリハビリを頑張っていきたいです。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

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