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11.成人に応じて

 
 ある先生から言われたことがある。
「『なぜだろう』と、疑問を抱きながら教祖伝を読むと、その味わいが分かってくるよ。」
 確かに、教祖伝には 「なぜ?」と思う箇所にいくつも出会う。そして、理由を思案していると、辿りつく答えはいつも同じ、 「教祖の親心」だったりするのだ。
 先生の仰る通り。私もここに、教祖伝を読む面白さがあると思う。

  ◆


『稿本天理教教祖伝』 p73
 さて、つとめの地歌は、慶応二年「あしきはらひ」に始まる。
 慶応二年秋、教祖は、
  あしきはらひたすけたまへ てんりわうのみこと
と、つとめの歌と手振りを教えられた。
(第五章 たすけづとめ)

 さて、このたび疑問に思った箇所は、上の一文である。
 教祖が、最初におつとめの歌を教えられたのは、慶応二年秋であった。
「あしきはらひ」に始まり、翌慶応三年には、正月から八月まで、十二下りの歌を作られ、それから満三年かけて、節と振り付けをなされた。


 続いて、丁度それが教え終わる前後、明治二年からは、おふでさきの執筆が始まり、明治十五年まで、一七〇〇首以上のお歌を記される。
 その間に、ぢば定め、鳴り物の稽古、つとめ人衆について説かれるなど、慶応二年を端緒に、怒涛のように、おつとめ完成に向けて急き込んでおられる。
 もちろん、慶応年間以前にも、教祖はお側の方々に、天理の御教えを説いておられたに違いない。お姿やご行動を通して、親神様の思召をお示し下さり、おつとめ完成に向けての準備を進めてこられてきたが、本格的に、おつとめを教え始められたのは、慶応二年からと捉えることが出来るだろう。

※……「あしきはらひ」を教えられる以前にも、おつとめのような祈願をなされていた記録はあるが、その形態は、現在のように体系的でまとまったお歌ではなく、おそらく、拍子木をたたいて「なむ天理王命、なむ天理王命」と、繰り返し神名を唱えるだけのものであったと想像される。


 教祖五十年の道すがらは、世界中の人間をたすける為に、その手立てであるおつとめを教えることに主眼があった、と言っても過言ではない。
 それほど、おつとめが大切であり、世界中の人間をたすける為には、一刻も早く、その理を教えてあげたかったはずだ。

 だからこそ、疑問に思うのである。
 慶応三年は、立教から三十年もの歳月が経っている。
「たすけ急き込む」(第三節)
「一れつに早くたすけを急ぐ」(よろづよ八首)
「にちくに早くつとめを急き込めよ」(十 19)
などと、つとめを急き込んでおられることは間違いないはずなのに、なぜ、もっと早くから教えられなかったのか。
 なぜ、スタートが三十年も遅れてしまっているのであろうか……。

※2...…おふでさきにおいて、おつとめを急き込まれている意味のお歌は非常に多い(一号10・11、二号8・21、四号24・29・92、六号13、七号99、八号84、十号19、十四号85・90・92、十五号51・74・90 など)。

 
 ◆

 答えはおそらく、さほど難しい問題ではない。
 人間が、聞き分けられるまでに成人していなかったからであろう。
 たとえ、どんなに素晴らしい教えであっても、聞く耳を持たない者に説明したところで何の意味もない。
 だから教祖は、最初からおふでさき、みかぐらうた、元の理などの詳しいご教理を説かれたのではなかった。
 初めて聞く神様の名前、あまりにも広大な御教えは、人間がすぐに理解できないことくらい、神様は先刻ご承知であった。
「知らぬが無理ではないわいな」とのご配慮から、いきなり言葉で説明されたのではなく、まずは、人間が耳を傾けるまでに成人するように、親神様の御心を、たすけ一条の親心を、御自らの行動を通して、人々にお見せ下さったのだと拝察する。


 たすけを請う者には、物やお金を施され、ご自身は貧に落ちきる道を歩まれた。そのご行動は、常識をはるかに逸していた為、人々には理解され難く、ついには嘲けり罵られる様になってしまうのだが、そうした中であっても、教祖は、
「この家へやって来る者に、喜ばさずには一人もかえされん。」
とて、変わらぬ親心を注がれた。
 疑い深い者には、をびや許しをはじめとする珍しいお働きを目の当たりに示し、閉ざされた心を開かれていった。
 そして漸く、教祖を生き神様と慕い、教祖のお話を聞かせて頂きたいとの心まで成人した時、そのタイミングが、ちょうど慶応年間くらいではなかったか―。

 
  ◆


 教祖の仰せられることに、どうでもお応えさせて頂きたい。そんな心にまで成人した時に、やっとお教え下されたのが、おつとめの歌と手振りであった。
 それから順々に、子供の成長に応じて、だんく深い御教えを説いて下さっている。
 本当は、一刻も早く世界中の人間をたすけたい。一刻も早く、たすかる手立てを分からせてやりたかったはずである。

 しかし、入学したての小学一年生に、いきなり因数分解の問題を出す訳にはいかない。子供の成長をじっくりと待ち望まれながら、一年生には一年生の宿題を、二年生に成長したなら二年生の宿題をというように、成人に応じて教え導いて下さったのである。
 私はここに、教祖の親心を感じさせて頂けると思う。


   ◆

 しかもこれは、何も過去の話だけではない。
 存命でお働き下さる教祖は、今日も私たち一人ひとりに、成人に応じた丁度良いレベルの宿題を出して下さっている。
 身の周りにお見せ頂く様々な事柄は、今の自分にピッタリのものをご用意下さったもの。そう信じることで、本当の 「たんのうの心」 へと近づけるのではないだろうか。


 さらには、にをいがけ態度を思案させて頂く上でも、誠に大切なひながたであろう。
 人をお導きさせて頂く時、おぢばへお連れするにも、別席のお話を勧めるにも、たとえ正しい理を伝えることであったとしても、相手の気持ちを無視していては、教祖のひながたから遠くなってしまうように思うのだ。

 教祖は、常に子供の成人に応じたお仕込みをなされている。中々耳を傾けない者に、無理やり御恩報じをさすようなことは、おそらくなされなかったであろう。
 むしろ、耳を傾けて貰うまでに、十年も二十年もの歳月を費やされ、御自らは専らたすけ一条の御心を実践されるばかりであった。
 自分の通り方と比べると、なんと隔たることか。目の前の成果に焦ってばかり。ひながたとは程遠い姿だと反省させられる。

  ◆

 私は、本年三月を持って、大教会の青年づとめを退かさせて頂きます。次は、地元広島県へ戻り、上級教会の青年として、新しい環境が待っています。

 果たして教祖は、次はどんな宿題をご用意下さっているのでしょうか。

 どんな立場や環境であれ、今の自分に丁度良い成長が出来ると信じ、教祖に「あれも教えてやろう」 「これも分からせてやろう」と、ご期待下さるような用木へと成人させて頂きたいと思います。

R184.3.1

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