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表のインターネットと裏のインターネット

1/6. 表のインターネットは、モバイルペイメント、シェアリングエコノミー、車のOSなどで現実に侵食していく

この世界観では人間は監視されていく他ない力学にある、人々は言論の自由をしばしば失い、暴力装置によってたやすく抑圧されうる。政府はその力を再帰的に増幅しうるし、言論の自由なき民主制度は容易に劣化する。

一方で、サービスの利便性は向上し続けるし、一般的な人々はデータを活用させることに抵抗が少ないため、書籍ホモデウスでいう「アルゴリズム神」は遠からず生まれると思う。合成の誤謬であり、市場の失敗である。

まあ、国家は自己増幅をあえて止める規制をするインセンティブもないので、この流れ自体は仕方ない。副作用に目を瞑って、流れに乗ってひと儲けする生き方も、またよし。

2/6. 裏のインターネットは現実に侵食しない

ここでの裏のインターネットは、現実の個人とインターネットアカウントが理論上紐付かないインターネットのことを指す。Torを介したIP非開示通信や、Ethereumを介した本人確認のできない中心のない金融サービスを指す。
これらは利用者の物理所在と紐付かないので、法や暴力による抑止は無効であり、そのスマートコントラクト利用にかかる供託の義務のみが抑止力として働く。市場原理のみが不正行為の抑止力として用いることが可能である。


3/6. 表の世界でのEthereum

これまで、Ethereumを表の世界で使うことはほとんどなかった。その計算処理の冗長さや、パラダイムの違い、そして供託という抑止力の不要さから、議論の俎上にもあがらなかった。端的に言って、RDBMSと法でシステムを作ったほうが、明らかに容易い。
しかし、Vlad Zamfirの提案する "Anti Szabo's Law" は逆を行く。現実でスマートコントラクトを使うことの利益を説き、現実で使えるスマートコントラクトを作ろうというのだ。
僕はこのアイデアを始めてみたとき、裏のインターネットに暴力を持ち込む話かと誤解した。でも実は、表のインターネットに供託を持ち込む話なのではないかと思った。


4/6. 表のインターネットにおける供託

表のインターネットで法ではなく供託を用いる理由は、「政治的正しさ」のためだ。正しい政治をするためには、論理的に考えて利権の中心が存在する政治を前提してはならない。この背景には、「中央集権政治の限界理論」がある。このアイデアは、みなが「限界理論」を共通認識として持たねば普及しない。あるいは、「限界理論」を数式に落とし込み、ノーベル賞を取って初めて、ようやくスマートコントラクトが世にインストールされる類のものだ。公開鍵暗号の説明をほとんど誰もできないのに、世界はそれに依存して動いているような状況を作るほかない。


5/6. 表の世界の暴力が効かない存在

国家は法が効かない。国連も手こずるわけである。
核軍縮などは顕著で、どの国から軍縮するかのゲーム理論である(コミットメント問題というらしい)
表のインターネットに供託があれば、最後に軍縮できる有利な国は、国家予算規模の供託をしておくべきだろう。
「みんな軍縮したな?じゃあ俺は軍縮しないでおくわ」という行いが許されてしまうからである。
人格のない供託機関である「スマートコントラクト」は、toCのビジネスだけでなく、to Governmentsな利用法もあるわけである。



6/6. 国が使うブロックチェーン

国家予算よりネットワークの買収費が安いならば、その国家予算に匹敵する価値はすぐさま51%攻撃により搾取されるであろう。
99%攻撃耐性 のあるブロックチェーンであれば、その処理の遅さと引き換えに、買収に必要な金額は限りなく跳ね上がるため、巨額を扱うブロックチェーンにうってつけである。
また、処理の遅さはPlasmaで緩和可能である。
理論的に最もセキュアなブロックチェーンが、いま可能であり、必要とされている。

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