賤ヶ岳の戦い

※コンパクトなパターンのやつです。

羽柴秀吉と柴田勝家が、近江国(滋賀県)の賤ヶ岳付近で激しくバトったやつ。
織田家の重臣の2人が、織田家を二分して争ったのが『賤ヶ岳の戦い』です。


跡継ぎが三法師(信長の孫)に決まり、領地の分配も済ませた「清須会議」。
そこから、信長のいなくなった穴を埋めるべく、みんなで協力していくのかと思いきや…


信長のお葬式をでっかく執り行うなど「オレが織田家引っ張ってます」感を出す秀吉。

三法師を自分の城・岐阜城にかこって「三法師ちゃんの代理人、つまり織田のトップはオレだ」というオーラを出す信孝(信長三男)。

そんな信孝を推して、秀吉のやり方にイラッとしっぱなしの勝家。

勝家と信孝をはじき出すため、秀吉から織田のトップに推された信雄(信長次男)。


と、険悪ムードしか漂わせない織田家のみなさん。
やがて、秀吉・信雄 VS 勝家・信孝の対立はどんどん深くなり……戦っちゃうんですね。

秀吉は、北庄城(福井県)にいる勝家が雪で動けない間に、勝家の養子(柴田勝豊)を攻撃して、岐阜城にいる信孝も降参させちゃいます。

「やべっ!」となった勝家は雪解けを待たず出陣。
それに合わせて秀吉も木ノ本(長浜市)にスタンバイしますが、約1ヶ月ニラみあったまま両者動きません。

そのとき、一度は降伏した信孝がまたまた挙兵。
「しつけーな!」となった秀吉は美濃の大垣に向かったんですが、その留守を狙った柴田軍の攻撃により、残された家臣たちが大ピンチにおちいるんですね。

ところが!

それを知った秀吉は、大垣から木ノ本まで約50キロの距離を、5時間ほどで引き返してくるというミラクルリターンをぶちかまします(「美濃大返し」)。

秀吉のフットワークの軽さに驚きを隠せないながら、なんとか迎え撃つ柴田軍。
だったけど、ここで柴田側の前田利家(秀吉と仲良し)が急に戦線を離れちゃったもんだから、柴田軍は総崩れとなったのでした。

北庄城に退却した勝家は、妻・お市の方(信長・妹。浅井長政・前妻)とともに自害。
勝利を手にした秀吉は、織田の家臣の中で、完全ナンバー1のポジションをゲットしたのでした。

ちなみに、このとき助け出された市の長女・茶々は、のちに豊臣秀吉の側室・淀殿となります(次女・初は京極高次の正室、三女・江は徳川秀忠の正室となります)。

なお、この戦いで活躍したとされる「賤ヶ岳の七本槍」(加藤清正、福島正則、加藤嘉明など)や石田三成、大谷吉継といった20歳前後の若い武将たちが、こののち豊臣家の中枢を担っていくことになるのでした。

織田家に関わる人のその後の人生を大きく変えたバトル、それが『賤ヶ岳の戦い』です。




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