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太閤検地

※コンパクトコラムです。

全国統一を果たしてけっこうすぐのこと。
秀吉は、甥っ子で養子の「豊臣秀次」に、「関白」のポジションをあげちゃいます。
で、
太閤
って呼ばれるようになるんですね(「関白」の座をゆずった人を「太閤」って呼ぶよ)。

この「太閤」……って単語を登場させたからには、

『太閤検地』

ってものにふれられずにはいられません。

『太閤検地』ってのは、「太閤(=秀吉)がやった検地」です。

だからそのまんまの意味ですね。

いや違うんだ、そういうことじゃなく、そもそもその前に、

「検地ってなんだ?」

という声も聞こえてきそうですから、そっからご説明してみましょう。

"検地"ってのは、

「田畑の面積&『そこで農作物どんだけとれんの?』ってのを調査すること」

です。

大名というのは、自国の土地のデータが欲しい生き物。だってそれがあれば年貢、いわゆる"税"を取り立てるとき、すっごく役に立つから。

ところが、大名が家臣の領地を直接調査…なんてことはなかなかできません。
社長といえども部下の家の中を調べまくったらキレられるのとおんなじです。

なので、実際の検地は「土地のデータ提出してねー」「はいー」みたいに、家臣による自己申告がほとんどだったんですね(自己申告制の検地を「指出検地」って言うよ)。

しかし秀吉は、

「それだと収穫した米の量をごまかすヤツがいるかもだろ! あと、国ごとに検地のやり方がバラバラで、これまたリアルな数字がわかんないよ! いいか、枡の大きさや、田畑を測る単位を統一して、実際にその土地に行って調べてこい! 全国の正確なデータをたたき出すんだ!」

と家臣の役人(奉行)に命令し、全国一斉調査に踏みきったんです。

「米をはかる枡は『京枡』で統一しろ!」

「田畑の面積の単位は、"町"(ちょう)、"反"(たん)、"畝"(せ)、"歩"(ぶ)だ!」

「6尺3寸(約191センチ)を"1間"(けん)として、1間四方で、1歩(約3.6㎡)ね!
30歩で1畝。10畝で1反。10反で1町。
1町=10反=100畝=3000歩、って計算式だからな!」

「田畑は、”上"、"中"、"下"、"下々"、のランクにわけるんだ!」

こんな感じで、基本的なルールを設定した秀吉。

ポイントなのが……

「上ランクの田んぼは、1反あたり『1石5斗』の価値でいけ! 中ランクは『1石3斗』で、下田は『1石1斗』……」
(”石”(こく)や”斗"(と)は、お米の量(体積)を表す単位だよ。1石=10斗=100升=1000合)

みたいに、ランクごとの価値を"お米の量"で表したってとこです。

もちろん、同じ田んぼでも年によって収穫の量は変わります。
けど、目安になる量があった方がわかりやすいんで、『上=1石5斗』『中=1石3斗』のように数字を固定します。

マックのポテトが、『S=〇〇円』『M=〇〇円』と決まってるけど、ポテトの本数まで毎回同じじゃないのと一緒っすね(感覚ね感覚)。

さらにワンポイントなのが……

「上ランクの畑や屋敷地は、1反あたり『1石2斗』ね!」

のように、畑も、屋敷のある土地も、「お米で言えばこのくらいの価値だ!」と、米、コメ、こめ、ぜーんぶ、お米で表したんですね。

このように、お米で表した1反あたりの土地の価値を「石盛(こくもり)」と言って、石盛に面積をかけたものを、ご存知

『石高』

と言ったんです(「加賀百万石」とか「尾張〇〇万石」という"石高制"が広まったのは、まさにこのとき。ちなみにこれより前は"貫高制"って言ってお金で表すことが多かったよ)。

秀吉「石高がわかりゃ年貢の量もわかるし、そこで食べていける人数も予想がつく。ということは、その国で養える兵士の数もわかるってことだ。これからは『お前の国には〇〇万人の兵がいるよな? 戦をするからよこせ!』って言えるじゃん! 超便利!」

農民からとれる年貢。大名から駆り出せる兵数。
すべての国のあらゆるデータが秀吉のもとに集まったこれが、

『太閤検地』

という、とんでも大プロジェクトの正体です。

(明智光秀を倒したあとから、秀吉が亡くなる年までやった検地を全部ひっくるめて『太閤検地』って言うよ。あと、秀吉家臣の役人がすべての国を調査したわけじゃありません。独自のやり方で検地をやり、それを石高になおして報告した大名もいます。そういった意味じゃ、完ペキなデータがそろったってわけじゃないんでお気をつけください)





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