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がんばった15人の中の8代目

暴れん坊将軍でおなじみ、8代徳川吉宗がとった、『足高の制(たしだかのせい)』ってご存知でしょうか?
この制度が出された背景には、いまの日本と重なる部分があると思っていて、ちょっとご覧いただけますか。

当時の武士の収入は基本的にお米です。幕府からは『禄』と呼ばれる土地、もしくは米の現物が与えられていて、これが現代でいうところの給与・報酬だったわけですね(単位は「石」です)。

ただ、当時と今で違うのは、
《給与が『個人』(房野史典)にではなく『家』(房野家)に与えられた》
という点。

だから、房野の子や孫の代になっても、基本この給与の額は受け継がれていきます。
しかし、これがなかなかキツい。

「家」に入ってくる収入で家族や家臣・奉公人を養わなきゃだし、仕事上の経費もそこから出さなきゃいけないもんだから、ほとんどの武士は生活がギリギリ。
こんな状態で、もし収入の少ない武士が、ドデカい職に抜擢されたらどうなるでしょう?

重要なポストはそれだけ諸経費もかかるし、高い役職に就けば服装や暮らしのレベルも上げなきゃいけません。武士はプライドと体裁の生き物。「出世したのにライフスタイルがショボいまま」なんてことは許されない。つまり、大出世すりゃ大破産です。

「そんなの、給与を上げれば済む話じゃん」って思いますよね。でもね、一度上げた給与は簡単に下げられないのがこの頃の慣習。手当たりしだい給与をアップしていけば、高給取りのお家だらけとなり、今度は幕府が破産してしまうんですよ(現代の日本で給料が上がらない理由と、一緒の部分がありますね)。

だからこそ『町奉行になる基準は3000石』『目付は1000石』と、重要な仕事には収入の目安が設定されていたんです。けど、これじゃあ才能のある人が集まりません。

そこで吉宗が取った行動が『足高の制』というものです。

答えは本で確認してくださいませ。

本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!