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初秋の道東・道央ドライブ〜30代息子と70歳母の6日間1200キロの旅

古希の祝いとして親子で、道東・道央のドライブをしました。

9月初旬から北海道をドライブ観光して気づいたことや感動したこと、観光先の情報など盛りだくさんですが記録しました。ひとつでも参考になるものがあれば幸いです。


5泊6日のルート


新千歳空港待ち合わせ➡富良野経由で旭川市内(1泊目)➡網走~知床(2泊目)➡釧路(3泊目)➡帯広(4泊目)➡北広島市~札幌(5泊目)➡札幌市内で解散~新千歳空港から帰郷

旅行で気づいたことのまとめ


1 高機能ナビ付のレンタカーでは、持って行ったお気に入りのCDは聞けない。スマホにつなげて配信される音楽やUSBに保存したものを聴いたり、ラジオを聴くことはできるそうです。最新の機能を知れました。
2 カーナビは、紙の地図やグーグルマップなどの地図アプリと併用して活用すること。
知らない土地では便利なカーナビですが、「あれっ?地図アプリとは違う。この道は遠回りでは?」「なんでまた戻ったの?」ということがありました。時間とガソリン、運転手とのムダな口論を省くためにもカーナビに頼り切らないことが重要だと感じました。
3 動物たちの飛び出しがあるのでドライブ中も気が抜けない。
出発直前にOSO18が処分されたと聞いてはいましたが、ほかのクマの出現の可能性もあります。道路わきには複数のシカやキタキツネなどの姿を何度も見かけ、トウモロコシ畑の周辺では目の前を大きなシカ2頭が走って横断し驚いたこともあります。
まっすぐで快適な道も多いですが、人や車だけでなく動物たちの飛び出しにも気をつかいました。
4 北海道ならではの風景はやはり圧巻。
一面のトウモロコシ畑や黄色いひまわり畑、放牧されている牛たち、収穫後の畑のコロンとした干し草の包みなどなど、道外の者にとって車窓からの眺めは飽きることはありません。
6 初秋の北海道もまだ暑く、ずっと半袖で過ごせた。風があったせいで、夕方の知床岬だけは長袖、長ズボンが必要でした。
7 ホテルは早めにチェックインして、ゆっくりすること。とくに夕食がバイキングの場合では食事時間が区切られることがあり、遅い時間帯になると食事時間が短くなったり、夕食前の入浴が楽しめないことがあります。
8 若い人が食べたいものや行きたい場所に、高齢の親が行くのも悪くない。友人同士や歳の近い人と行動すると似通った嗜好になりがちです。自分の場合、動物園や野球観戦、ジンギスカンなどは行程の選択肢に上がらないかもしれません。若者の興味に付き合うのも楽しいものです。
9 久々に親子が長時間過ごすと、思いがけない一面が見つかる。
社会人になった息子と何日も旅行するのは初めてでした。母親に気遣いができ、苦情も言わずにホストに徹しているように見えた息子でした。大人の対応ができるまでに成長したのか、実は幼いころからこのような性格だったのか?のん気な親にはわかりません。

1日目 新千歳空港から旭川へ

空港での驚きの待ち合わせ

午前、飛行機で新千歳空港に降りたちました。
二人は別の地域に住んでいるので、空港近辺でレンタカーを借りることになるだろうと思っていました。着いたよと電話すると、車に乗り込んだ息子が目の前に現れました。前泊して車も昨日から借りていたといいます。驚いたけどスムースな出だしになって、ただただ感謝でした。
旭川市に向かう高速道路では深い森林地帯と移り変わる空の色を楽しみ、広い富良野の景色にも感嘆のことば以外見つかりませんでした。
「おなかがすいたね」と言っているうちに、行列のできたお店の駐車場に入りました。

昼食は富良野でカレーライス

手作りソーセージとオムレツのカレー

「並んでも大丈夫?」と息子に聞かれ、30分くらい並びました。
息子が指さした先の張り紙には、出身地のデパートの”北海道物産展”に出店したことが書かれていました。友人と出かけたときに長い行列を横目に通り過ぎたのを思い出しました。
カレーはスパイスがきいて深みのある味でした。ルーが足りなくなった場合、合言葉を言うと無料で追加してくれるという遊び心もあるお店でした。

『唯我独尊』というカレー屋さんの店がまえ

「旭川市旭山動物園」

旭川市の第一印象は、街の区画整備がきちんとされて落ち着いているということでした。まずは、息子の希望の動物園へ。

水中を泳ぐペンギン
水中を泳ぐ白くま
出会いたくない、パワーを感じるヒグマ
今にも向かってきそうな表情のオオカミ

ペンギンや白クマは水槽の中を泳ぎまわり、ヒグマは岩山を歩いてこちらを見つめ、オオカミは動きは身軽でも堂々としたたたずまいでした。
暑い日差しの下でも動物たちはイキイキして見え、これが行動展示ならではなのかと感じました。説明書きや展示物も多く、時間を作って動物たちの生態を学ぶのもおもしろそうだと思える場所でした。
何年か前に、閉園の危機に陥った園をよみがえらせた当園の坂東 元園長の講演を聞く機会がありましたが、深い動物愛がもたらした成果はこれだったんだと納得しました。

「三浦綾子文学記念館」

次は、旭川市の南の方角にある緑の木々に囲まれたこの記念館を訪れました。

三浦綾子文学記念館外観
執筆室

若い時に読んだ塩狩峠や氷点などの小説の表紙を見て「ああ、これこれ!」と懐かしさに思わず声が出ました。引越しのたびに大切な本たちを手放したちょっぴり残念だった気持ちもよみがえりました。
見学した後は、綾子氏もかつてそうしたであろう周囲の森の小道を散策しました。経歴だけでなく、どのような空気の下で言葉をつむいできたのかを知ると、その人となりも少しわかって作品が奥深さを増すように感じます。

夕食はジンギスカン

成吉思汗(ジンギスカン) 旭川市


「並ぶようになるけど?」と息子がまた聞いてきました。ジンギスカンのホンモノを食べられるというワクワク感で、「お風呂も済ませたし、ゼンゼン大丈夫!」と答える母。若者や多くの外国人客に混じってここでも40分ほど並びました。

店員さんに教わって、波状の独特の鉄板でラードを溶かして羊の肉と野菜を焼いていきます。羊の肉は案外くせもなく柔らかで、値段も手ごろで人気の理由がわかりました。
今まで食べるために時間をかけて並んだことはあまりありませんが、初めての地ではSNSで評判のよいお店に行ってみるのも一つの手ではありそうです。

2日目 旭川から網走、知床方面へ

博物館「網走監獄」

網走監獄入り口
網走刑務所の正門入口

旭川市内から車を走らせること2時間余り。
わずかに色づき始めたかに見える山の中腹にその博物館はありました。
レンガ造りの正門前に直立不動の看守が立っていたので、「お疲れ様です」と声を出しそうになって笑いました。よくできた人形です。
網走監獄の歴史も興味深かったですが、囚人たちが自分たちの食料を自作しつつ、ロシアの脅威から日本を守るために札幌から網走までの長い区間の道づくりをしていたことを知りました。国策とはいえ、冬の厳しい寒さで命を落とした囚人も多く、複雑な気持ちになりました。
監獄の厳しい管理の中でも脱獄をはかった者もいて、五寸釘が足に刺さったまま雪道を12キロも走って逃げたという「五寸釘の寅吉」。「昭和の脱獄王」と言われた白鳥由栄(しらとりよしえ)も鉄の棒をねじまげ、カンヌキをはずして厳重警戒中の看守の目を盗んで天井から脱獄したそうです。録音された会話を聞きましたが、穏やかな語り口調からは何度も脱獄したつわもののイメージはわきませんでした。

頑丈な刑務所の造り、中央には薪ストーブ


映画「網走番外地」の古いポスターも何枚も貼ってありました。機会があれば見てみたいものです。

映画のポスターの一枚

また伝書バトのことは今までに聞いたことはありますが、実際に電信に使用している場面が再現されていたのでイメージができました。ハトの帰巣本能を利用して、何十キロも離れた場所まで大事な文書を届けさせていたようです。

原生花園駅

途中「小清水原生花園」と、夏季だけ利用される小さな駅舎に立ち寄りました。赤や黄色のかわいい花々も咲いたステキな場所でした。
知床半島の先の「国後島」は肉眼では見えませんでしたが、島と知床半島の位置関係や距離を地元の方に教えてもらい、この歳になってニュースで取り上げられるさまざまな情報が、やっと自分のものになった気がしました。

小清水原生花園の看板と駅
オホーツク海の眺め
JR釧網本線の駅「原生花園駅」

ここのお土産屋さんでトウモロコシを買いました。売店のおばさまが「この夏とれたものよ。」と言ってバーナーで焼いて焦げ目をつけてくださいました。青空の下で食べた大粒のコーンはそれはそれは香ばしくて甘かったです。

天国に続く道

知床半島に向かう手前の斜里町にある、道の先が天まで続いているように見える道です。

天に続く道のスタート地点

28.1kmも続く「道」には、全国各地からの大型観光バスや車、ライダーたちがひっきりなしに訪れて行列をつくり、写真を撮っていました。
少し雲がかかっていましたが、本当に天まで届きそうな吸い込まれそうな景色でした。

さいはての知床半島

知床五胡に向かいましたが、この日はクマの目撃情報があったということで、遊歩道は立ち入り禁止になっていました。そのため高架木道を歩きました。2010年に全開通したという木の道は高架になっていて、クマが上がれないように電気の柵が張りめぐらされていました。眺めが良く、クマの姿を探している自分もいました。

片道800mの高架木道
終点から知床五湖のひとつ「一湖」と知床連山のながめ

最終地点で、五湖のうちの「一湖」だけを見学できました。

半島の先には道路もないため、道を折り返すことになります。夕暮れ時のホテルまでの帰り道はシカの群れに出会ったりして、どことなく”さいはての地に行った感”がありました。
『🎵知床旅情』・・・し~れ~とこ~の岬に~はまなす~の咲くころ~ おも~いだして~お~くれ~・・・と口ずさんでいました。


3日目 摩周湖、阿寒湖


母は朝早く目が覚めたので、知床のホテルの部屋の窓から、漁に出かける人たちが何人も集まっては船で次々と沖に出ていく様子をおもしろがって眺めていました。
ただ知床観光船は、前日からの風で波が高いため欠航になり、乗船を希望していた息子には残念な朝となりました。
気を取り直して、次の目的地に向かいました。

青い摩周湖

「🎵霧の摩周湖」も曲調は覚えているので、「・・・ましゅ~この~よ~る~」と助手席で何度も口ずさみました。昔の歌は情景が思い浮かぶいい歌が多かった。
第3展望台、第1展望台と回って、どこから見ても美しい青い湖を目に焼き付けました。そして深い青色を忘れないように、摩周湖色(?)のブルーのネックレスもゲットしました。

小さな波は立っているものの美しい摩周湖


摩周ブルーのネックレス

マリモの阿寒湖

その後、阿寒湖に向かって車を走らせました。阿寒湖では、のどかな遊覧船に乗って小さなチュウルイ島の「マリモ展示観察センター」に行き、マリモの生態を学びました。

阿寒湖の遊覧船に乗り込む

マリモは藻の一種で、特別天然記念物。他の場所でも見れますが、小さな糸くずのような藻が海底で転がるうちに大きな球状体になるそうです。30センチもの大きなマリモになるのはこの阿寒湖だけだそうです。

マリモ

ポッケ、アイヌコタン

遊覧船を下りた後、森のこみちを散策してアイヌ語で「ポッケ」(煮え立つ場所の意)という泥火山を見に行きました。火山ガスがドロ沼からボコボコと音を立てて吹き上がっていました。この周辺が阿寒岳などの火山群の一帯であることを身近に感じられる場所でした。

ボコボコと音を立てて沸くポッケ


アイヌコタンはアイヌ民族の方が暮らしている集落です。ワラの住居、倉庫もありました。アイヌの方たちが営むお土産屋さんをのぞくと、伝統の工芸品などからアイヌ文化の一端がわかります。

歩くルートはすべて息子が案内してくれたのですが、どうやら足が重かったようです。口数は少なくなりホテルに着いたときは早々にベッドに横になっていました。

4日目 釧路湿原、然別湖、池田町ワイナリー

釧路湿原国立公園

日本最大級と言われる湿原を釧路市湿原展望台から眺めた後、温根ビジターセンターを起点に、手づくりの遊歩道を40分くらいかけてトコトコと散策しました。湿原はこの時期はアザミや小さな虫などが目にとまるくらいでしたが、湿地帯のせいかとても蒸し暑く感じました。

広大な釧路湿原の眺め
釧路湿原の上に手作業で作られた木道

然別湖(しかりべつこ)

時間に余裕ができたので、少し距離はありましたが標高810mのところにある然別湖の湖底線路に行って見ようと息子が言う。ヤフーニュースでも取り上げられていたので母が興味をもっていたのですが、なるほどジブリ映画「千と千尋の神隠し」に出てくる場面を想像できます。次々とドライバーが立ち寄って写真を撮って帰っていました。
どうやら冬季に遊覧船を引き上げるための線路らしく、冬季にはこの湖は完全に凍って湖上でイベントも開かれるそうです。

池田町ワイナリー

続いて向かったのは池田町にあるワイナリー。高台に建つお城のような建物で「ワイン城」とも呼ばれているようです。
あいにく大粒の雨が降り始めたので、大きな樽やレストラン、売店などを足早に見て帰りました。景色もとても良いところです・

ワイナリー(ワイン城)外観

初めての豚丼

夕食は、釧路名物といわれる豚丼。釧路駅前の宿泊先に近いこの老舗のお店にも人が並んでいました。初めての豚丼でしたが、味もしみて食べごたえがありました。

初めて口にした豚丼

5日目 エスコンフィールドで野球観戦

釧路駅前のホテルを出発して北広島市に向かい、午後1時からの野球を観戦しました。
小学校からソフトボールや野球をやっていた息子ならではのチョイスです。

エスコンフィールドHOKKAIDO

切り妻屋根の巨大なエスコンフィールド
天然芝の上で行われた試合

2023年3月に開業したばかりの日本ハムファイターズのホームスタジアム。天然芝に開閉式の屋根、外観のカッコよさ、周辺の大きな広場など素晴らしい球場でした。
試合結果は、日ハム0ー西武10。どちらのチームも応援をしていたのですが、あまりにも点差がつきすぎました。本拠地での新庄監督や伊藤大海君などの姿も目にし、キツネダンスというものも生で見れました。

札幌ラーメン


観戦後は札幌市内へ移動し、所望していたラーメンを食べました。
この年齢になってあまり食べることはなかったラーメンですが、だしもよくきいていて固めの麺もおいしかったです。

待望のラーメン


サッポロ市内のホテルに着いた後、車は返却しました。
ラグビーのワールドカップ日本対チリ戦の前半戦をテレビで見て、後半戦が気になりながらも市内の散策に出かけました。夜の幻想的な時計台を見たあと、大通公園を歩いて光り輝くテレビ塔に昇りました。

夜の時計台
輝くサッポロテレビ塔

夜の札幌の街を堪能した後は、コンビニで北海道限定のサッポロクラッシックビールを買って帰り、旅の完走を祝って二人でカンパイしました。ひときわ美味しいビールでした。

6日目(最終日)札幌市内観光

北大敷地内散策、念願の海鮮丼、サッポロビール博物館、北海道庁旧本庁舎(改修中)

北海道大学の敷地は広く、新渡戸稲造や内村鑑三などが卒業した札幌農学校やポプラ並木などをゆっくりと見て回りました。大野池で睡蓮の花をながめたり学食で一品食べてみたり。

北大 ポプラ並木
北大構内 大野池のスイレン


その後二条市場で、朝食兼昼食の海鮮丼を食べました。新鮮な海鮮はいうことなしです。
サッポロビール博物館にも行きましたが月曜日は休館日。古いレンガ造りの建物の一部だけ見て雰囲気を味わいました。
北海道庁旧本庁舎は改修中で、シートに転写された写真が掲げてありホンモノみたいでした。仮設の見学場所で、修理中の八角塔屋根を目の前で見ることができました。2025年度にリニューアルオープンだそうです。

朝食兼昼食の海鮮丼
サッポロビール塔
正面には本物と見間違う写真のシート
仮設見学施設で改修中の八角塔屋根が目の前に

午後3時ごろ、空港に向かう母を見送るために後泊するという息子と解散しました。

おわりに

70歳古希の祝いは、記憶に残る学びの旅になりました。計画実行してくれた息子は気苦労は多かったと思いますが、心から感謝です。

今回の親子の旅は、友人同士の旅やひとり旅とは違うリラックス感がありました。最終日に『今日24,000歩歩いたけど、ゆっくりならあと5キロは走れそう』と言って笑われましたが、ホントそういう気分でした。

これを読んでくださった方にも、ココロに残る体験がたくさんありますように。

長い文章を読んでいただきありがとうございました。




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