ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 5


 通りを歩く亡者の影はまばらだった。前日のダリオの働きぶりもあって、着実に連中の数は減っていっている。少なくとも、目に見える範囲では。

「……後は建物の中か」

 生ける屍は外だけでなく、建物の中にもいる。連中を可能な限り掃除することがダリオの任務であり、そのためには住居に足を踏み入れる必要があった。もちろん、生存者が隠れている可能性だってある。

 それに、今は生存者を抱えている。彼らに水や食料を与えなければならないし、ダリオ自身もそれらを摂取しなくてはならない。通りの亡者をあらかた倒し終えたダリオは、手近な建物に向けて歩いて行った。

 

 

 建物内の掃除も、ダリオにとってはたやすいものだった。暗闇から亡者に組み付かれることはしばしばあったが、彼らの攻撃は、重たい板金鎧を貫通することが出来ない。仮に丸腰であったとしても、ダリオにとって、生ける屍は脅威ではなかった。

 目下の問題は、アリスと生存者の関係であり、亡者たちではない。ただ、生き残ったものが悩みの種となるのは、べつに今回が最初というわけではなかった。

 亡者と違って、生者はものを考えるし、不満を口に出すこともある。ダリオに対して悪態をついたり、勝手に運命を悲観して逃げ出したりもする。彼らの行動によって、彼ら自身が危険にさらされたことは、何度もあった。

 もっとも、ダリオに彼らを責めるつもりはなかった。このような状況下で混乱しない方がおかしいし、常に理性的な判断が行えるほど、多くの人々は賢くはない。仕方が無かったのだ。彼らが自ら、死の淵へと向かうことは。

 しかし、そうやって、生存者が自らを危険にさらすことを、「仕方ない」と放置しておけるほど、ダリオは冷血ではなかった。

 だから、というわけではないが、ダリオは今、大きな革袋を担いでいる。町中の露店から拝借してきた、果実やパンのたぐいが、袋の中に入っていた。節約すれば数日は持つ程度の量で、生存者の腹を満たすには十分なものだった。

「ハシゴを下ろしてくれるか」

 櫓の下で声を上げると、すぐにハシゴが下りてきた。大きな袋を担いだまま、ダリオは櫓に上がっていく。何か問題が起こっていないか、という懸念を胸に、ダリオは櫓の上に顔を出した。生存者たちは、仲むつまじく、という様子ではないが、大きな問題を起こしているという風でもなかった。アリスに絡んだ男はふてぶてしく座っているし、老人は周囲を眺めている。唯一、若い男だけが、じっと目を伏せていた。

「食料を持ってきた。たらふくというわけではないが、しばらくは持つはずだ」

 櫓に上がり、革袋を開ける。中から転がり出た食料を、生存者たちはそれぞれ手に取る。食料が行き渡ったことを確認すると、ダリオは空になった革袋をかつぎ、ハシゴに足をかけた。

「もう行くの?」

 アリスが身を乗り出してきた。

「まだ仕事が終わっていないからな。どうかしたのか?」

「あたしも手伝う。食べ物を集めたりするぐらいなら、大丈夫でしょ?」

「バカを言うな、危険だ」

「おっさんも言ってたけど、ここでぼんやりしてるのは退屈だからさ。いいでしょ」

 アリスはいたずらっぽく笑った。危険だと却下することは簡単だったが、彼女を一人残しておくのは、あまり良くない考えのようにも思える。例の男が彼女を襲ったりすれば、ダリオは数少ない生存者を斬り殺すハメになる。それは避けたかった。

 それに、彼女がここを離れたがっているのは明らかだった。望まないことを強いられ続け、町の崩壊を喜ぶ、不幸な身の上の少女。そんな彼女の希望を、ダリオは無下に出来なかった。

「……安全だと判断されるまでは、決して通りには下りてこないと、約束できるなら」

「もちろん。ダリオが来るまでは、ちゃんと逃げ回っていたわけだしね」

 実際、彼女は、ダリオが来るまでうまく立ち回っていた。そういう意味では、日中連れ歩く方が安心なのかもしれない。

「わかった、行こう」

 他の生存者からは、目立った反発の声は出なかった。生きる屍のひしめく町に、再び赴こうという考えは、彼らの中にはないのだろう。生存者の様子に気を配りつつ、ダリオはハシゴを下っていった。

 

 

 アリスを連れていても、ダリオがやることに変わりは無かった。通りに下りて、亡者たちを斬り殺す。それがすべてだった。もちろん、アリスの動向に気を配る必要はあったが、彼女は言いつけ通り屋根の上をウロチョロするぐらいで、ダリオが特別気にせねばならないというほどではなかった。

 一人、二人、肉を求めて寄ってくる亡者を切り捨てる。何度となく繰り返してきた作業だった。嫌気が差すわけではなかったが、決して楽しい作業ではない。一口に亡者と言っても、老若男女様々で、一目見るだけで、彼らが元は理性ある人間であったことが想像できる。ダリオは、そのことを頭では理解しつつも、深くは考えないようにしていた。

 いつも通りの作業。それをただひたすらにこなしていたとき、近場の屋根から、アリスの声が聞こえた。

「ダリオ、少し休まない?」

 見上げると、アリスが屋根の上で、布袋を持って立っていた。どこからか食料を調達してきたようだ。それと、片手にはワインのボトル。

「……子供が飲むものじゃないぞ、それは」

「酒よりひどいものをさんざん飲み下してきたんだから、今更堅いこと言わないの」

 そう言って、アリスは笑う。自分の境遇を笑い飛ばせるぐらい、彼女は強い。とうてい、年相応とは言えなかった。

「……そうだな」

 この町に着いてから、ダリオは不眠不休だった。別段、それを苦しいとは感じなかったが、心なしか、体の動きがぎこちない気はする。生存者に対する振る舞いも、ややささくれ立っている気がして、ダリオはアリスのすすめに、素直に従うことにした。

 

 

 出会ったときと同じように、ダリオとアリスは、並んで屋根の上に座っていた。くすねてきた果物をほおばるアリスに対して、ダリオは一人、ぼんやりと町の様子を眺めていた。兜をかぶっているせいで、表情はうかがい知れない。

「ダリオ、寝てるの?」

「いや。ただ休憩しているだけだ」

「昨日からずっと起きてるのに、眠くなったりしないの? あの死体連中を簡単に斬り殺したりするし、ダリオってずいぶん、人間離れしてるね」

 アリスは笑ったが、ダリオは反応しない。元々明るい男ではなかったが、心なしか、彼の雰囲気が暗くなったようだった。

「……気に障った?」

「少しな。……実際、アリスの言うことももっともだ。人間離れしているという点では、生ける屍と何ら変わりない。同類だな」

「そう? 兜かぶって顔が見えないところを除けば、ダリオは普通に人間だと思うけど」

「見た目はな。実質は、連中と変わりない」

 ダリオの語り口は、妙に重苦しかった。

「どういうこと?」

「……人間が亡者に成り代わる過程は知っているな?」

「一応ね。真っ白い花が咲いて、そこから見えない毒が撒き散らされて、弱い人が最初に生ける屍になる。運良くならなかった人も、そいつらに噛まれると、同じ運命をたどる」

「おおむね合っている。だが、最後の部分……そこに付け足すべき事項がある。亡者に噛まれても、まれに連中と同類にならずに済むものがいる」

「……それがダリオ、ってわけ?」

「そうだ。亡者に傷をつけられてなお生き延びたものは、多くの面で人間離れした力を持つようになる。通常なら致命傷となるケガでも死ななかったり、疲れ知らずになったり、力が強くなったりする。死霊騎士団は、そのような人間ばかりで構成されているんだ」

 ダリオの首がわずかに動き、自らの板金鎧に向いた。実際、この分厚い鎧を装備して、彼のように動くのは、相当骨が折れるだろう。常人では、走ることすら難しいかもしれない。だが、ダリオはそれを軽々とこなし、軽業すら披露するのだ。

「ふーん、便利じゃん」

「見方によっては、な。だが、普通の人間ではなくなってしまった、というのは事実だ」

「それを気にしてるの? 不思議。喜びそうなもんだけど」

「……人間ではないという点において、あの亡者たちとは大差が無いんだ。自分が平気で斬り殺す連中と、自分自身が似たような存在であると考えると、あまり気分が良いとは言えない」

 二人のいる建物に、生ける屍が集まってきた。屋根の上にいる新鮮な肉を求め、彼らは思い思いに、手を突き出している。白濁した目と、くすんだ肌からは、生者の面影は全く感じられない。

「大差が無い、ねー」

 亡者を見下ろしながら、アリスがつぶやいた。そして、布袋の中からリンゴを一つ取り出すと、ダリオの目前に、ぐいと差し出した。

「……なんだ?」

「食べたら? 連中と違うってこと、証明できると思うけど?」

「べつに腹が減っているわけでは……」

「ダリオはあいつらとは違う。肉を求めてさまよう亡者とは違う。あたしを犯して喜んでいた連中とも違う。それを、証明してよ」

 兜越しに、アリスの真摯な視線が見えた。いたずらっぽく笑う彼女ではない。男の影におびえる彼女でもない。この地獄のような町で生き延びた、一人の人間としてのアリスが、じっとダリオを見つめていた。

「……食べるには、兜を脱がないといけない」

「そういや、ブ男だとか言ってたっけ? 良い機会だから、見せてよ。どれぐらいブサイクなのか、見てあげる」

 アリスの顔は、再び笑顔に戻っていた。思わず、彼女の差し出していたリンゴを、ダリオは受け取ってしまう。しばし、自分の手の中にあるリンゴを見つめた後、ダリオは観念した様子で、大きなため息をついた。

「……笑うなよ」

「笑わないって」

「……どうだかな」

 

 

 食事を取る必要は、実際のところ無かった。しかし、アリスのすぐ隣で食べたリンゴは、奇妙なくらいおいしく感じた。ダリオ自身も驚くぐらいだった。

 しかし、ダリオの仕事はまだ残っていた。太陽も沈み始めたので、彼はアリスを櫓に帰し、再び一人で、殺戮に身を投じた。それまでとやることに変わりは無かったが、心なしか、少し体が軽いように思えた。

 それが休憩のせいか、アリスとの邂逅のせいかは、ダリオにはわからなかった。ただ、この仕事が終わったら、彼女にはもっとマシな人生を歩ませてやりたい、とは思った。

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