ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 7

「ねえ、どれぐらいで……連中になるの?」

「個人差がある。一時間もしないうちになってしまうものもいれば、数日かかるものもいる。はっきりと決まっているわけではない」

「ふぅん……」

 二人は、櫓に戻ってきていた。死体は地面に落とし、二人だけの空間になっていた。二人は背を向け合って、それぞれ町の様子を眺めている。

 夜の雲は晴れ、空にはこうこうと月が浮かんでいる。星々の明かりも降り注いではいたが、それは何の慰めにもならなかった。

「……希望がないわけじゃない。噛まれても亡者にならずに済む人間もいる」

「その人間に、ダリオは今まで何人遭遇した?」

 答えられなかった。言えるはずがなかった。

 じっと、ダリオは押し黙る。せかすように、アリスが笑った。

「ねえ、何人?」

「……いなかった」

「そう」

 少なくとも、ダリオが助けた生存者の中に、そんな人間はいなかった。

 死霊騎士団の面々は、皆ダリオと同じだったが、彼らの数はそれほど多くない。ダリオが助け出した生存者のほうが、多いぐらいだった。

「結局、希望なんてないんだ」

「可能性が、ないわけじゃない。あきらめないでくれ」

「わかってる。そんなこと、わかってるけど……」

 アリスが、肩を振るわせた。寒いわけではないようだった。

「物心ついたときから、客の相手ばかりさせられてた。どうしようもなくて、毎日毎日、したくもないことを、やりたくてしょうがないみたいにやってた……ようやく、ようやく抜け出せたと思ったのに!」

 彼女の頬を、小さな涙が伝った。笑顔を絶やさなかった彼女が見せた、最初の涙。これまでの強気な態度に惑わされ、ダリオは彼女を見誤っていた。彼女はただの女の子だ。ひどい境遇に置かれ、人生に絶望していた、何も知らない女の子。

「アリス、まだ終わりと決まったわけでは……」

「死にたくない! あいつらと同じになるのも……嫌! ダリオ、どうしたら良いの? あたし……どうしたらいいの!?」

 声を上げて、アリスが泣いていた。どうしようもなかった。今のダリオには、彼女を助けてやることが出来ない。彼は医者ではない。祈祷師でもない。そもそも、死の病から人間を救い出す方法は、世界中どこを探しても見つからない。

 彼に出来るのは、待つことだけだった。 何事も起こらないことを祈りつつ、待つこと。 時間が経っても、アリスが亡者にならないと信じること。 あるいは、そうなってしまったとき、彼女の最期を看取ってやること。

「どうしようもないなら……いっそ……」

 アリスの言わんとすることはわかっていた。亡者に傷つけられた生存者が、皆、一度は考えることだった。実行するものもいた。誰かにゆだねるものもいた。だが、多くのものは、ついぞ、最後の決心がつかず、生ける屍と化していった。

「あきらめてはいけない。まだ、希望はあるんだ……」

 そっと、ダリオはアリスを抱き寄せた。彼女の肌の暖かみが、鎧越しに伝わってくる。

 そのぬくもりが消えてしまうのに、そう時間はかからないはずだった。


 常人離れした能力を持つダリオも、疲れれば睡眠を取る。アリスを助けるため町中を走り回った彼は、櫓の上で、知らぬ間に眠ってしまっていた。夢を見ることもない、ただ意識が断絶するだけの睡眠。それがわずかな間、ダリオを覆った。

 彼を睡魔から解放したのは、一瞬だけ響いた、小さな風切り音だった。小柄な何かが、高い場所から空を切って落ちるような音。それがダリオの耳に届いたとき、彼は即座に覚醒した。

「アリス!」

 彼が立ち上がり、叫ぶ。それと同時に、石に何かがぶつかる音がした。柔らかい、肉のようなものがぶつかる音。これまで、ダリオが何度も聞いてきた音。人間が地面にぶつかって、物言わぬ屍となるときの音。

 櫓から身を乗り出し、周囲を確認する。日はすっかり昇り、視界は十分だった。

 そして、ダリオは、アリスを見つけた。

 うつぶせになって、石畳の上に転がる、アリスの姿を、彼ははっきりと見た。

「くそっ!」

 考える間も無く、ダリオは飛び降りた。 着地の衝撃を全身で殺し、素早く、アリスのそばに駆け寄る。

 アリスは死んでいた。一目見るだけでそれがわかった。 首が尋常ではない方向に折れ曲がり、所々の皮膚が裂けて、赤々とした血が流れ出ている。彼女はぴくりとも動かない。けいれんすらしていない。 目前の彼女の肉体すべてが、何も言わずに、ダリオに語りかけてくる。

「アリスは死んだ」と。

 ダリオは、どうすべきか考えた。通常、噛まれた人間が事故や自殺で死んだ場合、亡者としてよみがえる前に「処理」をする。普通なら、それに従うべきだった。今までだってそうしてきたし、これからだって、ダリオはそうするに違いない。

 しかし、彼はとうとう、剣を抜けなかった。血糊でべたべたになった鉄の塊で、アリスの頭を砕くなど、とうてい、今のダリオには出来なかったのだ。

 彼女とは、あまりに心を交わしすぎた。ただの生存者と、それを助けに来た人間の関係であれば、何の問題も無かったのだ。しかし、ダリオとアリスは、他愛ない雑談をし、それぞれ、ちょっとした過去を語り合ってしまった。お互いを少し、理解してしまった。

 その、小さな歩み寄りのために、ダリオは剣を抜けなかった。それが正しい判断なのかどうか、ダリオにはわからなかった。


 しばし、ダリオは、アリスの死体のそばで立ち尽くした。

 やがて、どうしようもないことを悟ると。彼女の体を抱え上げ、近くの屋根に上った。

 顔を見ないようにして、屋根の上にアリスを横たえる。

 それから、ダリオは通りに下りて、『掃除』に戻った。  近しい人間が死んでしまうのは、べつに珍しいことではない。

 そう自分に言い聞かせて、ダリオはなまくらの剣を、振るった。

 町中から亡者が一掃されるのに、そう時間はかからなかった。


 仕事は終わった。町中のどこを歩いても、亡者の姿は見かけなくなった。  あるのは死体の山ばかりで、著しい腐臭を放つばかりだ。

 一通り、町中を見て回り、動くものが何もないことを確認したダリオは、町の入り口へと戻っていった。

 格子状の門の向こうには、首無しの死体が一つ、転がっていた。町に到着したダリオが殺した、マルクという男の死体だった。

 門の外には、それだけしかなかった。来るときは一面に咲いていた白い花も、今は見る影もなく枯れてしまっている。厄災は、やっと、終わったのだ。少なくとも、この町を襲ったものは。

「……もう、いいか」

 門を開けて、町を去ろうと思った。外の死体が食われていないところを見るに、内部から抜け出した亡者はいないと見て良いだろう。

 仕事を切り上げることを決めて、ダリオはふと、背後を振り返った。死体の山となった通りに、小柄な人影が、立っているのが見えた。

 そいつは、アリスによく似ていた。 顔をうつむけていて、はっきりはしなかった。 だが、長い金髪は生前のアリスそのものだった。 そいつは、ダリオの姿を認めたのか、ゆっくりゆっくり、一歩ずつ、こちらに向けて歩み寄ってくる。

「……そうか、戻ってきたか。わかった。仕事……だからな」

 今度は、ダリオも剣を抜けた。後始末はつける必要があった。

 ダリオも歩き始めた。二人の距離が、少しずつ縮まっていく。

 道に転がる死体を踏みしめ、剣を構える。 うつむいたまま歩み寄る、アリスだったものを見据える。

 そして、一太刀で彼女の首を切り落とせる距離になった時、そいつが顔を上げた。

「……兜、外さない? あたしが生きてるか死んでるか、区別がつかないでしょ?」

 アリスが笑っていた。血と泥ですっかり汚くなった顔が、屈託無く笑っている。

 一瞬、ダリオは目の前の光景が信じられなかった。幻覚だと思った。

 しかし、そうではなかった。 今見ている光景が、現実なのだ。目の前で起こったことが、すべてなのだ。 アリスは噛まれ、死に、よみがえった。ものを考え、食事を口にし、笑顔を浮かべることの出来る、人間として。

「ああ、そうだな。それも、悪くない。だが……」

 ダリオは剣を下ろした。もう剣を振るう必要は無い。  少なくとも、この町では。

「今は、このままでいい」

 かなうなら、二度と振るわずに済めば良い。だが、きっと、そうはならないだろう。

「そう? 素顔をさらすのは、そんなに嫌?」

「泣き顔を見せるのは、誰だって、恥ずかしいだろう」                                    (終わり)

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