ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 4


 夜の視界はとにかく悪かった。兜の隙間から見える景色は、大半が闇に染め上げられている。道ばたをうろつく亡者の姿は、目をこらせば確認できるが、常にその存在を察知できるとは言いがたかった。

 そんな状況とは言え、ダリオは走らざるを得なかった。日中確認した町の地理を思い出し、火の手の上がった民家へ急ぐ。夜の町に、板金鎧のこすれる音が加わった。

 いくつか角を曲がったところで、不意に、ダリオは肩をつかまれた。反射的に剣を抜き、後ろを振り返る。暗がりでわかりづらいが、亡者の顔がそこにあった。切り捨てるにためらいはなかった。

「邪魔な!」

 はねた首が地面に落ちるのは、確認しなかった。全力疾走を再開し、いくつかの路地を通り抜け大きな通りに出たとき――焦げ臭いにおいが、一段と強まった。

 赤々と燃える民家が、通りにあった。周囲には、炎におびき寄せられた亡者の影がいくつか。そして、家の燃える音ともに、怒号のようなものが聞こえてくる。

「くそっ、こっちに来るな!」

 人間の声だった。男の甲高く、耳障りな声。ダリオは反射的に、あたりの屋根を目で追う。火の手の上がった民家近くの屋根に、男が数人、いるのが見えた。そして、彼らを食おうと迫る亡者たちも、何体か。

「連中に屋根まで上がる知能はないはずだが……!」

 ぐずぐずしている時間はなさそうだった。左手で短剣を引き抜き、手近な民家の壁めがけて、ダリオは飛びついた。漆喰の壁に長剣を突き刺し、体を支える。分厚い板金鎧の重みに耐えかね、漆喰の壁が悲鳴を上げた。だが、ダリオは壁が崩れる前に、左手の短剣を、上の壁に突き刺し、新たな支えとした。そして再び、右手の長剣を、さらに上の壁に。それを何度か繰り返し、ダリオはあっという間に、屋根の上に到達した。

「ああ、やばい!」

 男たちの悲鳴が聞こえる。亡者たちはすでに、彼らの腕や足をとらえていた。ダリオは屋根を蹴って、一足で、彼らの前に飛び込んだ。着地と同時に剣を振るい、組み付こうとしていた亡者たちの首を、即座にはねる。それは文字通り、一瞬だった。吹き飛んだ首から飛び散る血が、炎の光を受けて、きらきらと輝いていた。

「大丈夫か?」

「ああ、神様、助かった!」

 襲われていた男たちは、三人だった。小太りな中年。やせ形でみすぼらしい若者。それと、年寄り。皆亡者たちの血がかかったのか、服にいくつも赤黒いシミが出来ていた。

「噛まれてはいないだろうな?」

「大丈夫だ、危ういところをあんたに助けてもらったからな! いや、危なかった! 家の中に何人かで避難してたまでは良かったんだが、噛まれてたバカがいてな……逃げるときにランプを倒しちまって、ごらんの有様だよ。そのバカも一緒に燃えたと思ったんだが、屋根まで追って来てな」

 小太りな中年が、興奮気味にまくし立てた。それに呼応するかのように、背後の民家が、より大きな炎を上げる。

「……ここは危険だ。安全な櫓があるから、そこまで屋根を伝って行く」

「ああ、賛成だ。ぼんやりしてると焼け死ぬからな!」

 老人と若者は、一言も発しなかった。老人はぼんやり炎を見つめ、若者はしきりに目をこすっている。口やかましい中年よりも、ダリオは彼ら二人の方が好きだった。良くない状況において、じっと黙っていることは、多くの場合正常な反応だったからだ。

「……燃え広がらなければいいが」

 火事の行く末は気がかりだったが、ダリオ一人ではどうにもならない。生存者を総動員しても、消し止められはしないだろう。火が町中に回らないことを祈りつつ、ダリオは生存者を連れて、アリスの待つ櫓に戻り始めた。

 

 

 三人の生存者を連れて櫓に戻るのは、ダリオにとっても一苦労だった。夜闇で視界が聞かない上に、男たち三人は身軽とは言いがたい。屋根を伝うにも限界があり、ダリオたちはしばしば、危険を顧みず地面を移動した。食欲旺盛な亡者たちがその都度彼らをかぎつけたものの、素早く高所に戻ることで、生存者に被害が及ぶことはなかった。

 足場を確認しつつ屋根の上を移動し、どうしようもなくなったときだけ地面に下りる。ダリオたちはそのような非効率な移動に頼らざるを得なかった。通りをいくつか渡ったところに向かうだけだというのに、彼らは移動に、その夜すべてを費やすこととなった。

「アリス、ハシゴを下ろしてくれ!」

 ダリオたちが櫓の真下に到着した頃、東の空には朝日が覗いていた。ダリオが声を上げてすぐ、櫓の上から縄ばしごが投下される。ダリオは生存者たちを先に上らせ、最後に自分が上がっていった。周囲に亡者の姿はない。前日の『掃除』で、あらかた殺し尽くしていたようだ。

「すまない、遅くなった」

 櫓に上り、ハシゴをたたみ、ダリオは昨夜の民家を見やった。煙はまだ上がっていて、周辺の家々も燃えたようだったが、幸い、通りを越えて飛び火している様子はなかった。

「早速で悪いが、まだ『掃除』が終わっていない。みんなにはしばらくここで待機をしてもらいたいのだが……」

 櫓に集まった生存者を見回し、ダリオは違和感を覚えた。つい昨日までは無駄口を絶やさなかったアリスが、隅の方に座り込んでしまっている。そして、中年の男が、嫌らしい笑みを浮かべて、彼女を横目で眺めていた。

「……知り合いなのか?」

「ああ、何度も『買った』ことがある。お気に入りだったぜ……こりゃ、退屈せずに済みそうだな」

 そう言って、男は下品に笑って見せた。一瞬、アリスは身を震わせたようだった。嫌な気分だった。何度となく見てきた、生存者同士の醜い争い。生存が第一であるはずの状況で起こる、意味の無い権力のやりとり。

「……悪いが、あんたが今考えていることは、この場では許されない」

「なぜだ? アリスは商売女で、客を取るのが仕事だ。化け物に囲まれたこの状況で、一つの楽しみも許しちゃくれないってのか? 明日死ぬかもしれないってのに、女を抱くくらい構わんだろう」

「ふざけているのか? 今の状況で、そんなことをする余裕はない」

「そっちこそふざけてるぜ。町の『掃除』はあんたの仕事。それが終わるまで俺たちはここで待ちぼうけだ。何の能力もない町民に、仕事を手伝えとはあんたも言えんだろう。ここでぼんやり亡者共が歩くところを見て過ごせと? そりゃ、退屈だ。命の危機と言っても、娯楽は必要だ」

 ばかばかしいぐらいに、男は譲らなかった。自分にはアリスを抱く権利があると主張し、それが当然であるとふんぞり返って見せた。ダリオはあきれかえるほかなかったが、それで彼の態度が軟化するわけではなかった。

「いずれにせよ、ダメだ。ここでは許されない」

「あんたにそれを決める権利があるのか?」

「ある」

「ほう、じゃあ俺がアリスを抱いたらどうする?」

「斬る」

 うんざりしたかのように、ダリオが長剣を抜いた。血糊にまみれた切っ先を、素早く男ののど元に突きつける。男は動じなかった。そんなことは日常茶飯事であるかのように、余裕の笑みを浮かべていた。

「へぇ、生存者を助ける立場のあんたがね。お上が知ったらどんな顔をするやら」

「ここには山ほど死体がある。一つ増えたぐらいでは、誰も気にしない」

 ダリオはためらいなく切り捨てるつもりだった。生存者同士の諍いで、何人も犠牲者が出たことがある。そうなってしまう前に、決着はつけてしまうべきだった。何より、この男は気に入らない。自分とて、とうてい人間らしい仕事をしているわけではないが、この男ほど狂っているとは思えない。

「この俺も下の生ける屍と同列に扱う、そういうわけだな」

「亡者共は生きた肉を食うことしか考えない。あんたも女を抱くことしか考えない。同じようなものだ。……それを表に出す限りはな」

 切っ先をのど元に、強く押しつける。少し力を込めれば、剣は男ののどを切り裂いて、即座に彼の命を奪うだろう。数瞬、二人はにらみ合った。それを破ったのは、アリスの声だった。

「あたしのことはいいから、行って。まだ生存者がいるかもしれない」

「アリス、君は……」

「あたしとダリオが我慢すれば、誰も死なずに済む。そうでしょ? 大丈夫だから。毎日やってたことだし」

 力なく、アリスがほほえんでいた。あきらめの混じった笑顔。常々、そういった選択を強いられてきた、女の顔だ。そうする事は、この場では正しいのかもしれない。この場を丸く収めれば、彼女の言うとおり、誰も死なずに済むだろう。

だが、ダリオは、納得がいかなかった。このままおめおめと剣を引くことなど、出来はしない。ダリオは、死体処理の専門家である以前に、一人の人間であり、超えてはいけない一線を知っているという自負があったのだ。

「だが……」

「いい加減、ええじゃろ。あんたが留守の間は、わしとそこの若いので、この男を見張っているよ。あんたが戻ってきて、何かが起こっていたら、遠慮無く殺してくれれば良い」

 横から、老人が口を挟んできた。重く、説得力のある口調だった。彼の振る舞いに押され、ダリオはゆっくり、剣を引いた。それに呼応するかのように、男も数歩、後ずさる。

「……わかった」

「心配するな。いざとなれば、わしがこの男と一緒にここから飛び降りるよ」

 そう言って、老人は笑った。

「すまない。ここのことは、あなた方に任せる。もしもの時は……遠慮無くやらせてもらうからな。あんたも、覚悟しておいてくれ」

「味方を得て強気になったな、騎士様。良いだろう、覚悟しておこうじゃないか」

 中年の男は最後まで引き下がらなかった。ダリオは、一応事態に収まりがついたことを確認すると、アリスの顔を一瞥し、櫓から飛び降りた。いつもの『掃除』が待っている。

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