ナイト・オブ・ザ・リビングデッド


 花が咲いていた。白い花弁を五枚備え、葉のない茎を持つ、細くはかなげな花。その白い花が、道ばたの至る所に咲いていた。そよ風に花弁を揺らし、陽光を受けて、輝く。風に吹かれるまま、左右に揺れている。

 その白い花に彩られた石畳の道を、一人の男が歩いていた。全身を板金鎧で包み、腰には長剣と短剣を差している。顔は鋼鉄の兜に覆われていて、うかがい知ることは出来ない。男が一歩踏み出すたびに、板金同士がこすれて、乾いた音を立てていた。

 男は無言のまま、文字通りの花道を歩いていった。風に揺られる花に見とれることもなく、陽気を仰いで一息つくこともなく、ただひたすらに歩いていった。花は絶えることがなく、どこまでも、どこまでも、続いていく。

 小高い丘に上がったところで、遠目に石壁が見えた。街全体を囲む城壁だった。男の立つ位置からでも、全体を見渡すことができない、大きな街。千人は平気で暮らしていそうな街だった。

 城壁の周囲には麦畑が広がり、大きな風車が三つほど、風を受けてゆっくりと回っている。男の歩く道は、その城壁にもうけられた、大きな格子状の門へと続いていた。黄金色をたたえ始めた麦畑は、音も無く風に揺られている。

 そんな麦畑のさなかに、女が一人、立っていた。麻の服を着た、二十歳そこそこと言った出で立ちの女。腰まで届く亜麻色の髪が、風で大きくはためいている。

 女は男に背を向けて、ぼんやりと麦畑を眺めていたが、石畳を叩く金属の音を聞きつけると、ゆったりとした――緩慢な動きで振り返った。

「……」

 振り返った女の姿を見るやいなや、板金鎧の男は、すっと長剣を抜いていた。音も無く、手慣れた手つきで、男は剣を構える。刀身は鈍い輝きで、お世辞にも切れ味が良さそうとは言えない。

 男が切っ先を向けた先――女の口元には、赤々とした血がついていた。そこだけではなかった。露出した二の腕も、手指の先も、胸元も、鮮血にぬれていた。肌は灰色にくすみ、生気と呼べるものは一切感じられない。首筋には目立つ咬傷があり、黒々とした血が、そこからしみ出していた。

 女の目は白濁し、どこに焦点を置いているのかも不確かだった。近寄ってくる男を認めたのか、女は血に塗れた口をだらしなく開け、あ、とも、お、ともつかぬうめき声を上げた。赤く染まった歯が、食物を求めるかのように上下した。

 次第に、男と女の距離が縮まっていく。女が一歩、踏み出した。おぼつかない足取りで、上体を大きく揺らしながら、男に向かって一直線に歩いて行く。

 男もまた、同じだった。抜き身の剣を構えたまま、女の形相に驚くこともなく、淡々と、距離を詰めていった。

 女が両手を、男に向けて突き出した。血のついた指先が、虚空をつかむかのようにうごめいている。それでも男は足を止めない。少しずつ、少しずつ、二人の距離が縮まっていき……女の手が、男の体に、触れようとした。

 その瞬間、男の剣が、閃いていた。鈍色の剣が、目にもとまらぬ速さで、女の首に食い込んでいた。鈍い光をたたえた剣は、女の皮膚を破り、肉をちぎり、骨を砕き、両断する。剣の鋭さで切ったのではない。鉄の重さと、筋肉の強さで断ち切ったのだ。

 女の生首が、ごろりと麦畑に転がって、傷口からどす黒い血が、ごぽごぽとあふれ出した。胴体が、二、三歩進み、どっ、と、畑の中に倒れ込んだ。黒々とした血が、麦畑の地面を、ジワジワと染めていく。

 胴体が数度けいれんし、それきり動かなくなった。転がった首は、生い茂る麦の中に消えてしまい、どこへ行ったかはわからなかった。

 男は、剣をさやに納めた。そして、切り伏せた女のことなど忘れてしまったかのように、元の道に戻ると、城壁に向かって歩き出していた。

 

 

 格子状の門は閉じていて、中の様子こそうかがえたものの、男一人の手ではびくともしなさそうだった。門の向こう側には、先ほどの女と同じような形相の人間が、何人もたむろしている。連中は男の姿に気づくと、ゆっくりと門に近寄ってきて、格子から手を突き出し、奇妙なうめき声を上げるばかりだった。

「参ったな」

 男は肩をすくめた。ちらと周囲をみやるが、まともに話の通じそうな人間はいない。

「中に入らなければ、仕事にはかかれないが……」

 やれやれと文句を口に出したところで、男はふと、視界の隅に、城壁もたれて座っている、人間の姿を認めた。体中傷だらけではあったが、肌の色はまだ明るかったし、流れ出る血も赤々としていた。まだ『人間』だ。

「……やあ、あんたかい? 掃除屋は」

「そういうことになる」

 こちらに気がついたのか、傷だらけの男が、苦しそうに顔を上げた。
板金鎧の男が近寄り、しゃがみこむ。

「……あんた、名前は」

「ダリオ。死霊騎士団の一人だ」

「そうか、おれはマルク……あんた方に使いをやったものの一人だ」

 マルクと名乗った傷だらけの男は、血だらけの右手を差し出し、握手を求めてきた。一瞬ためらった後、ダリオはそれに応じる。分厚い手甲越しでも、血の暖かみが感じられた。

「状況は?」

「ご覧の通り、だ……住民はだいたい、城壁の中にいる。大半は食い殺されたか、あるいは……生ける屍になったか、だ」

 マルクが、門の向こう側にいる連中に向けて、あごをしゃくった。

「来る途中、女を殺した。封じ込めは完全ではないのか?」

「ああ、それはたぶん、おれの女房だ……城壁の外に出るときまでは一緒だったんだが、おれと同じく、噛まれていてな……楽にしてやってくれて、ありがとうよ」

 そう言って、マルクは口元をゆがませ、苦しそうに笑って見せた。かすれた笑い声が、生ける屍のうめき声に混じる。

「まあ、封じ込めは、完全、とは、言えないな……壁の外に出た奴が何体かいるだろうが、連中の足では、そう遠くまでは行けまい……」

「周辺の町や村には、もう連絡が行っている。問題が起こることはないだろう」

「さすがは、死霊騎士団。生ける屍処理の専門家、だな……」

 そう言って、マルクは激しく咳き込んだ。口元から飛び散った血が、ダリオの鎧に、真新しいシミを作る。血の色はまだ赤いが、やや黒ずみ始めていた。

「……壁伝いに歩くと、縄ばしごがある。おれたちが逃げ出すときに使ったものだ。それで、町の中に入れるだろう……掃除を、よろしくたのむ。それと……」

 マルクが一瞬目を伏せ、言葉を飲み込んだ。瞬間、ダリオは、彼の言わんとすることを察する。マルクの肌の色が、徐々に暗くなっていくのを、ダリオは見て取っていた。

「わかっている」

「……ああ、エリザベス、くそっ、すまなかったな」

 マルクが女の名前をつぶやくと同時に、ダリオは、剣を振るっていた。鈍色の剣が、マルクの首を、力任せに、はね飛ばす。生首が地面に転がり、残された胴体から、赤黒い血が、どくどくとあふれ出した。

「女の名前、か」

 転がったマルクの首を見つめ、ダリオは一人、ぼやいていた。わずかばかり感傷に浸った彼は、手早く剣を納めると、門の向こうでうめく亡者をよそに、縄ばしごを探して歩き始めた。

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