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東京から愛媛に引っ越した話

こんにちは。なもです。
普段は旅行とか変な文章ばかり書いてますが、今回は真面目に愛媛に引っ越した時のことを書こうと思います。

なぜ私が愛媛に引っ越すことになったかと言うと、内定が出たからという以外に理由がない。
実家に住めないから適当に全国の会社受けてたらたまたま愛媛の会社に受かっただけで、愛媛は就活まで一度も行ったことなかったし、親戚は四国どころか東京圏以外の地域にいない。
まあ何とかなるだろうと思っていた。インターネットがあるし。

就職が決まってからは、安定した毎日を送った。

いつ辞めるかという話をした後に、いつもと同じ作業のバイトをする。この当たり前が無くなる時期が分かっているという感覚は、日常が突然終わる人生だった私にとって新鮮なものだった。
この時は寂しさはあまりなく、新生活へのワクワクが大きかった。

いつ終わるか分かっているからこそ、東京にいる間にいろんな事をした。
東京のバーに行ってみたいと思って夜の街に繰り出したがコロナのせいで20時前なのに全部閉まってて結局行けなかったり、
引っ越したら遠くなるからと思って新潟と長野と群馬に旅行したりした。

バイト先の有給が結構残ってたから使ったけど、これで終わりと思うと普通に働いとけば良かったと思った

通っていたジムの解約手続きをして、自分がここから居なくなるんだと感じた。
今までの引っ越しは東京圏内移動だったから居住地が変わっても生活拠点が変わるだけで今までの人とは普通に会えるし、新シリーズ突入みたいな感覚だった。
しかし今回は違う。
身の回りの全ての繋がりの糸を切断していく作業。
ちょっと怖いと思ってしまった。
学校が通信制でバイトとジムと行きつけのお好み焼き屋くらいしか世間との繋がりがなかった私でこう感じるんだから、世の中の進学就職で地元を離れる高校生はもっと大変だと思った。

引越し会社の比較サイトで引越し会社を決めた。登録したらすぐ電話とメールが鳴り止まなくなったので、暇な休日でよかったと思った。
実家からも荷物持っていきたいという要望に答えてくれる業者がいてよかった。

引越し2週間前、バイトを辞めた。
コロナ禍だしお別れ会みたいなのはなくて、グループLINEと偉い人のLINEにお別れ言って終わりみたいな感じだった。
出勤最終日に良くしてくれた事務さんからスタバのタンブラー貰って凄く嬉しかったのと同時に、もし引越し先にスタバなかったら反応に困ったな……という思いがよぎった。

バイトを辞めたあとはひたすら引越し作業をした。
そんな時、祖父が入院したという連絡が来た。コロナ禍だし私以外の家族はワクチンを打っていないので誰も面会できなかった。
数日後、祖父が亡くなった。若い頃の生活習慣を聞くとよくここまで生きたなと思う。
引っ越した後だとかなり面倒臭いことになりそうだったし、こう言うと不謹慎かもしれないがタイミングがよかったと思ってしまった。

引越しの3日前に葬式をした。
葬式と言っても親戚が揃って明るい雰囲気だった。
引越しの荷物整理で出てきたミニ四駆を2つ、いとこ(小学生と幼稚園の男児2人)にあげた。ホビーアニメの第一話で主人公に謎の大人が機体あげるアレになった。

引越し前日、大好きだったお好み焼き屋に行った。
愛媛に引っ越すから今日が最後だと伝えるとトッピングをサービスしてくれた。
最後まで最高のお好み焼き屋だった。

引越し当日。今の家の荷物を纏めて引越し屋に頼んだ後、退去の手続きをした。
浴槽が壊れて反入浴を強いられたり、エアコンから水が漏れて近所で無料配布してた聖教新聞で対処したり、マルチ商法やってる隣人に謎の健康法の話をされたりした、思い出のある家だった。
荷物を持って家を出ると、今の自分が住所不定無職という事実にゾクゾクした。

その後実家に行って実家の荷物を引越し屋に荷物を預けた。あとは夜が来るのを待ってサンライズに乗るだけだ。
実家にはおばあちゃんと母親がいた。当初は母親に荷物を持ってもらって東京駅に行く予定だったが、母親と喧嘩になって母親が出ていったので、おばあちゃんと2人でポニャポニャしながら夜を待った。
父親に電話すると「なぜ母は俺を見送りに誘わないんだ」と言い、父親が車で東京駅まで連れて行ってくれることになった。

実家でチャンネル権を渡されたが見たいものがなく、放送大学を流しながらおばあちゃんの手料理を食べた。その後、父親の車が来て東京駅に向かった。
父親は下道で行こうとしたが時間が心配だったので高速を使ってもらった。
高速道路で東京に行くことなんてほとんどないのでちょっと迷ったが、時間までに辿り着けてよかった。

四国旅行に行った時に高松駅で見たあの列車が今東京駅にいる。四国は繋がっているんだと感じた。
荷物が大きかったのでシングルにして正解だった。心地よい広さだ。
シャワーが壊れているというアナウンスが流れたが、元々すぐ寝るつもりだったから別にいいやと思った。荷物多すぎて濡れたタオルの管理がめんどくさいし。

寝間着に着替えて横になる。
すぐに寝ようと思ったら近くの部屋の鉄オタ集団がうるさかった。静岡県入るくらいまで喋っていた気がする。
鉄オタの声が止んでも、寝たり起きたりの繰り返し。でも揺れが心地いいし吐かないから夜行バスよりはよっぽど良い。

寝ぼけた頭で、体感時間と視力0.03のぼやけた視界で現在地がどこか予想してGoogleマップで答えを見るのが楽しかった。
浜松、名古屋、草津とサンライズは走っていく。行ったことある土地の近くではそこの思い出が蘇る。
ここが楽しかった。ここがクソだった。次行く時ここに行きたい。
東京じもとから新たな世界に行こうとしている現状と、睡眠と覚醒の狭間と、旅の思い出と、夜行列車の音・振動・夜景で、言葉では上手く言い表せない状態になった。雑に言えば『エモい』だろうか。

結局あんまり寝れず、姫路あたりからは寝るのを諦めてツイッターと降りる準備を始めた。

坂出で下車。真っ先に感じたのは空気が違うということだった。
セブンイレブンで買った朝食を駅前で食べる。通学中の小学生がいる。ああ^~たまらねぇぜ。
朝食を食べ終わった後、これから住む街への切符を買う。
JR四国は今までフリーきっぷにしか乗ったこと無かったから意外と高いと思った。

でかい荷物を抱えて特急に乗る。
讃岐の山々を眺めながら、家の鍵を受け取る段取りを決めたり、車出してくれるフォロワーに到着時間を伝えたりした。

実は引っ越し当日の移動手段を全く考えていなかったので、近くに住んでいるフォロワーが休みでかなり助かった。

最寄り駅についたらフォロワーと合流して自宅に行ってガスの開通手続き、その後家具とか自転車の購入をして、温泉入って、一日の最後に中古車屋に行って買う車を決めた。車出してもらわないと一日でできないことを一日でやったすごく濃い一日だった。フォロワーありがとう。

私が愛媛に来た経緯としてはこんな感じです。
みんなも軽い気持ちで東京を飛び出そう!人生は冒険や!


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