見出し画像

[焼肉屋・居酒屋] ワタミの歴史

お詫び
今回、記事は期限内(12/10 24:00まで)に出しましたが、サムネイル・「まあには見た」のコラムは期限を過ぎた後につくりました。
執筆に手間取ってしまい、ギリギリに完成させたので、サムネイルをつくる時間がありませんでした。
次からは必ず 提出日の前日までに本文を完成させ、余裕を持ってサムネイル・「まあには見た」コラムをつくった後提出します。すみませんでした。
~~~~~~~~~~

 今回は、焼き肉屋『焼肉の和民』の店舗を主に関東と近畿で展開する、ワタミ社の歴史について解説します。

記事を読む間に流してもらいたい乗れるBGM:
どっちが好きですか?

テトリス

クラシック



強さと優しさ


 ワタミ社創業者の渡邉美樹さんは、幼い頃から努力家で少年時代は野球に熱中しており、成績も優秀でした。他の生徒をまとめるのも上手かったので、「この子は将来総理大臣になれるかも知れない」と担任の先生も期待するほど有望な少年でした。裕福な家庭でしたが、美樹さんが10歳・小学5年生の時に、父が営んでいたCM制作会社が経営不振で倒産してしまい、それから美樹さんの家は一気に貧乏になってしまいました。
貧乏人・所詮は社長になれる血筋じゃないわと散々いじめられ、以後 渡邉美樹さんは、絶対に社長として成功して、バカにしたあいつらを見返してやると思いました。勉強1本にしないと社長になれないと、友達とのおしゃべりもやめ野球もやめ、息抜きは読書するくらいという、ストイックな少年となりました。父は借金返済で奔走していたため、家に帰らない日々が続いていたので、美樹さんは
「社長は失敗するとこうなってしまうんだな。自分は失敗しないようにするために、様々なことを学ばなくてはならない」
と感じたそうです。当時の美樹さんは「大学で学べることはあまりない」と考えていたらしく、高校卒業後は大学に行かず、会社で社会経験を積み 起業するためのスキルを身につけようと思っていました。
しかし、高校3年生のとき担任の先生から「何の会社を立ち上げるつもりなのか」と聞かれ答えられなかったので、先生から「それを見つけるために大学で学びなさい」と諭され、美樹さんは大学入試の勉強を始めました。勉強を始めたのは高校3年生の4月でしたが、ストイックな学生生活で十分な実力があった美樹さんは、高校卒業後そのまま明治大学商学部に入学できました。
大学で経済学を勉強することは勿論、人を率いるスキルも磨きたいと思った美樹さんは、会員が120名ぐらいいて歴史のある大学のボランティアサークル「横浜会」の59代目の幹事長をつとめ、さらに演歌歌手を呼んで横浜文化体育館でコンサートを開き1200人を集めるという、ビッグなこともやりました。大学4年生の時に北半球一周の旅に出た美樹さんは、訪れたニューヨークのライブハウスで人々が差別無く肩を組んで歌ったり踊ったりしているのを見、自分もこんな場所を提供したい、外食企業を起業したいと思いました。

「夢があるのに叶えられない。それは、『夢を叶える為に具体的に今日すべき事』がわからないからだ。夢に日付をつけて、理想と現状の間にどれほどの差があるのかを知ると、その差を埋めるために今日すべき事が分かる」
自著の中でもそのように語られている美樹さんは、日記に「24歳の4月1日に社長になる」とかきました。今の自分には経理の知識が足りていないと考えた美樹さんは、大学卒業後まず経理会社「ミロク経理」に入社されました。そちらで書類整理などの雑用をしながら経理を必死で学び、入社してから半年後には一人で決算書が書けるようになりました。ミロク経理は、当時倒産しかかっていたので給料が少なく、このままでは24歳までに飲食店を建てるための資本金を貯めることができない、と思った美樹さんは、大卒初任給が平均の3倍以上で超高給だが、休みは1ヶ月に半日・長時間労働で超ハードと有名な、佐川急便の宅配ドライバーに転職し、そちらで1年間働きました。はじめは「起業のための資金300万円を稼いだら、すぐに辞めよう」と決めていた美樹さんでしたが、退職届を何も言わずあっさりと受け取る経営陣の態度を見て、自分に何も期待してくれていなかったんだと、少しがっかりしたみたいです。そして美樹さんは、こんな殺伐とした会社はイヤだな 経営陣は従業員に期待する、従業員は心の底からその期待に応えようと思う、そういうものが会社の正しい形かもしれないと思われ、自分が会社を作ったらそのような会社にすると決められました。

そのため渡邉美樹さんは、美樹さんの理念に共鳴した高校時代からの親友に認められ、彼が働いている居酒屋チェーン「つぼ八」の創業者 石井誠二さんに紹介してもらう事ができました。ストイックで礼儀正しく、どこから見ても有望な青年の美樹さんにとっても、石井さんはかなり怖い人だったそうで、勉強不足だと怒られまくったそうです。しかし2001年に出された、石井誠二さんと渡邉美樹さんトップ対談の記事によると、石井さんは渡邉さんの目の輝きから、修行すればかならず光る人間だと見抜いていたようです。5000万円を低い金利で借りることができる融資先を紹介し、さらにつぼ八社が1億円かけてつくったチェーン店を5000万円以下で譲るなど、石井さんは渡邉さんを経営者として育てるために協力してくれました。
つぼ八の理念「元気・親切・清潔・おいしい・待たせない・安全安心 をお客さんに感じてもらえる経営」を学びその通りに経営を続けたり、つぼ八ブランドの売りの一つである「はやさと安さ」を実現するためにはどこからどのように仕入れてコストを抑えるべきかを考えたりする内に、はじめは包丁も使えないほど飲食店経営に向いていなかった美樹さんは、石井さんも「この人はもう完全につぼ八を超えた」と認めるぐらいに成長しました。つぼ八のチェーン店の運営を始めてから1年経たないうちに「月間売上÷店舗面積(坪)」がつぼ八内で1位になり、やがて「つぼ八」13店舗の運営を任せてもらえるぐらい信用されました。

13店舗を運営する内に、美樹さんは社員の理念教育を徹底すると店の売上げが2倍3倍になるのを見
「2号店以降の店舗の内装やメニューは1号店と同じものを使えば問題ないから、1号店が成功した後は 2号店以降の店舗で働く従業員の教育さえしっかりすれば、2号店以降の店舗も儲かるようになる」
という事に気がつかれたそうです。こちらの気づきは後に、美樹さんがワタミの店舗を300店舗以上運営する上で、大変役に立ったようです。

つぼ八の店舗をフランチャイズ店オーナーとして運営するだけでなく、独自の店緒の運営にも挑戦してみたいと考えられた渡邉さんは、1987年3月に、お好み焼き店「唐変木」を開業することに決めました。グルテン量が多く安全なパンが作れる、また殺虫剤や農薬を使わなくても育てられるので食べやすい国産小麦「ハルユタカ」が1985年に作られ、うどんやパスタなど小麦料理が全国に普及したことや、また1986年末からバブル景気になり人々の収入が増え 外食する人が増えたので、それらの恩恵を受け、お好み焼き屋「唐変木」は流行りました。しかし、バブルが崩壊すると飲食店自体が流行らなくなった上、これという商品がないためお客さんに飽きられた「唐変木」は売上げを出せなくなり、ワタミ社は1996年8月に「唐変木」全店舗を、1992年4月に1号店をオープンして「子供・女性も楽しめる、ファミリー向けの新しいタイプの居酒屋」として人気店になっていた居酒屋「和民」に作り替えました。

不況になるとお客さんは居酒屋を厳しく選別するようになるので、渡邉美樹さんは、ただの居酒屋にしたくないという思いから、和民ではお酒が飲めない人でも楽しめるように、味を良くするために生鮮品を発注して手作りの料理を販売しました。これまでの店舗では、賞味期限が約1年と長い冷凍食品だけを使ってきたので、食品ロスが出る事が無かったのですが、「和民」を運営するようになってから渡邉美樹さんは、気をつけて食材を購入したり利用しなくてはいけなくなりました。渡邉社長は、他の居酒屋へ自社の社員を派遣してどのような工夫がなされているかを観察したり、
「お客さんの大半は焼き鳥を串から外して箸で食べているから、焼き鳥を串に刺して提供する必要は無いので、串を購入するコストが省ける」
など、お客さんの行動を観察して「お客さんを喜ばせる・コストを削減する を両立するにはどうすれば良いか」を想像したりすることにより、和民の経営改善を図りました。結果、はじめのうち和民の営業利益は全店で月当たり300万円の赤字が出ており、その時13店舗運営していたつぼ八のフランチャイズ店が出していた黒字利益から借金を払って、なんとか運営できていたワタミ社でしたが、原価を低く抑え またお客さんが求めるサービスを追求したので、和民の店舗は黒字化するどころか 1999年には営業利益率が25%になるほど儲かるようになり(飲食店の営業利益率は、15%あれば良い方とされる)、2000年3月に東証1部に上場することができました。

1999年は日本経済が低迷していた上、同年9月から飲食店にとって厳しい時代が始まりましたが、その中で売上・利益を上げ、翌年の2000年に上場を果たしたワタミ社は流石です。

インターネット関連の企業の株価がバカ高くなるITバブルの影響を受け、増加傾向だったアメリカの民間住宅投資が 不動産の値段があまりに高くなりすぎたことにより、1999年4-6月から急に減り始めました。このように、1990年代末からアメリカ経済は低迷し始めており、日米貿易の輸出入総額は「1998年:24.3兆円」から「1999年:22.2兆円」にまで下がりました。そのため、1999年の日本の経済成長率は-0.3%にまで下がってしまいました。

景気が悪くなり、1999年の外食産業市場規模(国内)が1998年より縮小するほど飲食店の利用者数が減少していた上、1999年9月には、当時 日本最大のアクセス数を誇っていたウェブサイト Yahoo!JAPANが、昭文社やぴあなどの出版社により編集された、14000店以上の飲食店情報が見られる飲食店情報サイト「Yahoo!グルメ」の提供を開始したので、美味しくない・サービスの悪い店はバタバタつぶれていきました。その中で売上・利益を上げ、翌年の2000年に上場を果たしたワタミ社は流石です。

さらに儲かるようになり、商売だけでなく環境保全にも力を入れられるようになったワタミ社は、2001年度は約9700万円をかけて廃油の委託処理や排水の水質改善などに力を入れ、BOD(この値が大きいほど、水中の汚染物質が多い)を国が推奨する300mg/L未満に抑えるなどの成果を残しました。1999年に新たな水俣病認定申請者が出て裁判に発展したり、2000年12月に日本政府が
「界面活性剤を川や海に流すと 魚が呼吸困難で死ぬ可能性があり、日本の水産業にダメージがある」
と発表したので、特に2000年代前半は水質汚染が注目されていました。その中 水質改善で結果を残したので、ワタミ社はますます注目されるようになり、2003年1月にはワタミ社の株価は競合の大戸屋ホールディングス社や梅の花社より高い896円を達成しました。
また当時は、発がん性があるとされる農薬 ダイホルタン(殺菌剤)とプリクトラン(殺虫剤)が多くの都県で使われていることが発覚し、政府がこれらの農薬の販売元を突き止めるために捜査している状況で、食に対する不安が広がっていたのもあり、ワタミ社が2002年4月に農薬・化学肥料を使用しない有機農業を行う有限会社ワタミファーム(自社農場)をつくった事もウケ、ワタミ社の2003年の売上高は、2002年より79.1億円も増えました。

多角化経営


 ワタミ社は2000年11月にイタリアン居酒屋を開いたり、2002年2月から集中仕込みセンターを稼働させて250件を超える自社の店舗にそちらから食材を供給することにより、各店舗で調理する手間を省き人件費を抑えるなどの工夫をしたので、2002年のワタミ社の売上高は、1999年の2倍以上の506.4億円になりました。
バブルの崩壊により家賃の値段が下がり、居酒屋をやりやすくなったので、1999年の飲食店全体の開業率(その年に新規に開設された事業所数/その年の初めに存在した事業所数 ×100)が2.6%なところ、同年の居酒屋の開業率が7.8%となるほど居酒屋が沢山できました。居酒屋が沢山でき「どの居酒屋に行こうか」と考えるお客さんの選択肢が増えたので、2001年頃からよりおいしい料理を提供する・店員のサービスが良い居酒屋だけが売上高・利益を上げられるようになりました。その中で生き残り、それどころか売上げを伸ばしたワタミ社は流石です。

2002年10月にワタミ社は、料理の質が一定水準以上だと認めるISO9001認証を取得し ワタミは美味しいと評判になったので、提供する料理に使う安心安全な無農薬野菜を育てる農業事業をこれからも拡大したり、これから必要とされるであろう介護事業にも進出したいと考えたワタミ社長 渡邉美樹さんは、2003年4月にイタリアン居酒屋を運営するカーラジェンテ社やファミレス「和み亭」を運営する和み亭社などの子会社を吸収合併して一つの会社にして、それまで各会社が別々に行っていた食材仕入れを一括で行い、コストを抑え 会社に資金を貯めました。

2004年11月にワタミ社は、「どうしても虫食いなどの不良品ができてしまうので、収穫量が減って儲からない」「虫食いされてないかの見回りなどが必要になるので、人件費が上がる」などビジネスとして成立しづらい無農薬農業を、北海道で行って儲けることに成功していた当麻グリーンライフ社と業務提携し、モスバーガーを販売するモスフードサービス社もマネしたくなるような、低コストの農産品栽培を行いました。また同月、当時経済発展しておりそれがまだまだ続くので進出すれば儲かると考えられていた中国に出店するため、ワタミ社は中国広東省に子会社を設立しました。

また2005年3月に、約73億5000万円の資金を使って、有料老人ホームを関東で16カ所運営していたアールの介護社を買収したワタミ社は、ノウハウを学び2005年10月には大阪にも有料老人ホームを建て、2006年3月には、老人ホーム入居者のために医療を提供するワタミ医療サービス社を建てるなど、介護方面でも必要とされるサービスを次々開拓しました。
ワタミの渡邉社長は、医療と介護の経営専門誌『日経ヘルスケア』のインタビューで
「建物を作るために膨大な初期費用がかかったり、介護が必要な高齢者からサービス利用料を払ってもらうのは実際問題難しく、会社に収益があまり入ってこないので、介護業界の企業は資金繰りがよほど上手くないと生き残れない。これからも気を抜かず、企業買収や業務提携により新しいノウハウを吸収したり経営の効率化を図っていきたい」
と述べました。

2008年は日本経済が低迷しており、さらに6月からワタミの信用が落ちてしまう問題が起きたのですが、その中でも営業利益(外食部門)を上げたワタミ社(当時の社長は渡邉美樹さん)は優秀と言えると思います。

シャドーバンク(主に貧しい人を対象としている銀行ではない金貸し いわゆるサラ金)は、2007年中頃からアメリカの不動産価格が落ち始めたので経営危機になりました。フランスの大手銀行 BNPパリバ銀行は主にシャドーバンクに融資していたので、貸し倒れが多発し お客さんから預っているお金を返せなくなりました。そのため2007年8月、BNPパリバ銀行が「今はお金返せません」と言い、ヨーロッパ経済が信用されなくなったのでユーロが売られ、メチャクチャなユーロ安になりました。これをパリバ・ショックといいます。

当時、ヨーロッパ経済に大きな影響を与えるとされていたのは、ドイツとフランスでした。
ドイツの経済成長率は「2007年:3.0%」「2008年:1.0%」「2009年:-5.7%」、フランスの経済成長率は「2007年:2.4%」「2008年:0.3%」「2009年:-2.9%」であり、どちらも2007年以降急落しています。このように、2007年からヨーロッパ経済は低迷し始めており、日本-EU貿易の輸出入総額は「2007年:20.1兆円」から「2008年:18.7兆円」にまで下がりました。そのため、2008年の日本の経済成長率は-1.2%にまで下がってしまいました。

2008年の負債総額が前年の2倍以上になるほど日本経済が低迷し、その上、2008年6月からワタミ社での社員の長時間労働が全国で問題視されたので、居酒屋のイメージが悪くなり、2008年の居酒屋の1日当たりの来店客数の平均は 飲食店全体の平均より14人も下回ってしまいました。その中で居酒屋を運営して、「2007年度:930.0億円」「2008年度:916.2億円」と売上高(外食事業)は下がったものの、照明や空調に使う電力を節約したり あまり売れないメニューを廃止して食品ロスを減らすことにより、コストダウンを行い「2007年度:56.5億円」「2008年度:57.8億円」と営業利益(外食事業)を上げたワタミ社は流石です。

山口県や鹿児島県で高齢者のために毎日夕食を配る仕事をしているタクショク社が年商を80億円も出していると言うことを聞いた渡邉社長は、「容易に外出できない高齢者に食事を配るということは、社会から求められている仕事なんだな」と思い、2008年7月にタクショク社を買収し、経営権を取得しました。2008年はじめから日本経済が低迷し始めましたが、高齢者向けの弁当の配達事業(宅食事業)を続けたワタミ社は、2010年には全国に宅食事業の事業所を115棟つくることができ、まだ宅食事業での売上高は外食事業のそちらに及ばないものの、2010年の病者・高齢者食宅配市場「売上シェアNo.1」を達成しました。

再起


 ワタミ創業者の渡邉社長は2009年6月で一度引退されましたが、その後もワタミ社の闘いは続きました。

「長時間労働を強いている」と、国内でワタミのイメージが悪くなり、主に外食事業での売上が落ちて大量閉店に追い込まれることになったワタミ社は、海外展開したいと思いました。
中国は2007年以降 日本と一番貿易している国なので、中国には日本の商社に事務所が沢山あり 日本人が沢山住んでいます。そのため中国人の嗜好は日本人と似てきたので、ワタミ社は「海外の中で中国が、一番店をつくりやすいんじゃないか」と考え、2010年4月から中国に居酒屋「和民」などの外食店舗を作り始めました。

2011年は、年の初めから日本で東日本大震災が発生しただけでなく、主要貿易相手のアメリカでもさまざまな自然災害が発生し、日本の経済が落ち込みました。経済が低迷していたので飲食店の運営が難しい中でも、2011年度に2010年度より5.9億円高い純利益を出せたワタミ社はスゴいです。

アメリカの2011年の消費は、同年5月に発生したトルネードや同年5月中旬から夏場まで発生した洪水など、自然災害の影響で鈍化しました。このように、2011年にはアメリカ経済が低迷しており、日米貿易の輸出入総額は「2010年:16.3兆円」から「2011年:15.9兆円」にまで下がりました。そのため、2011年の日本の経済成長率は0.0%まで下がってしまいました。

2011年 日本の、消費活動が活発なほど高くなるインフレ率は、コロナ禍で世界中がパニックになった2020年より低いです。2011年は消費が低迷していたので、外食企業の経営は厳しかったことが分かります。その中で2011年度に、2010年度より5.9億円高い純利益を出せたワタミ社はスゴいです。

さらに、外食事業だけではこれから儲け続けられないかも知れないと考えたワタミ社は、他の事業をも強化しました。
2010年4月から高齢者向けの弁当の配達事業(宅食事業)を関西地方でも行うようになったり、ワタミ社の宅食事業部が顧客にアンケート調査を実施した所、野菜が少ないとの苦情が多かったので、ワタミ社は厚生労働省が推奨する1日の野菜摂取量の約43%を補うことができる弁当「まごころ万菜」を考案し、2011年3月からこちらの販売を開始しました。
他にも、「ワタミの弁当だけでは物足りないので他のものもつくって食べるが、食事の支度をするのが大変」という高齢者のために、決められた値段の中で主菜のボリュームを増やし、最大限 物足りなさのない弁当を目指した「いきいき珠彩」を考案し、2016年9月からそちらの販売を開始したり、ワタミ社は様々な改革をしました。

また、宅食事業だけでなく、農業方面でも活動を続けました。
2010年4月に大分県にも農場をつくったり、2011年7月にワタミファームでとれた野菜を集荷・販売する時に使う倉庫 集荷センターを千葉県に開設したり、2017年12月に オリンピック・パラリンピックの選手村で食材を提供するための条件であるJGAP認証を取得し、ワタミファームをより有名にしました。

ワタミ社は闘いまくりましたが、コロナ禍や2019年6月からぼちぼち活発になってきた香港を中心とした中国での民主化デモの影響で特に海外店舗の売上げが下がってきていたが、それらへの対応が遅れたことなどにより、ワタミ社の2019年度の売上高は2010年度より329.5億円も落ちてしまいました。

以後は政治家活動に専念するつもりで、「ワタミには1000%戻らない」と言い残しワタミを去った渡邉元社長は、自分がいなくなってからワタミの業績が落ち、銀行から「渡邉さんが戻ってこなかったらワタミへの融資を引き上げる」と言われていることを知り、こりゃいかんと、2021年10月にワタミ社長に復帰しました。復帰した後、会社の財務や資金繰りの状況を確認した渡邉社長は、
「今回のコロナ禍や香港デモのように不測の事態が起きたとき、会社の業績を悪化しないように守る為には、会社の構造を大きく変える抜本的な改革が必要で、それはやはり0から1をつくるプロ 創業者にしかできない」
ということに気づかれたそうです。
同社100%子会社のワタミの介護の全株式を損保ジャパンに210億円で売却し、資金を得たワタミ社は、これから外食事業のフランチャイズ展開を本格的に進めたり、農業事業でワタミオーガニックブランドを立ち上げるつもりだそうです。ワタミオーガニックブランドでは、ワタミファームでつくられた作物を使って、コロナ禍前と比べると年間発生率がほぼ3倍に増えていて今問題となっている糖尿病の発生を抑えるお茶や、食塩を取りすぎる現代日本人のために、食塩含有量が少ないがご飯に良く合う「有機三升漬」などのワタミオリジナル製品をつくって販売するそうです。

今後 ワタミ社が、どのように世の中を変えていくのかに注目ですね。

~~~~
お疲れ様です。
貴重な時間を割き、お読みくださいましてありがとうございました。
(広告失礼します。是非ポチってください)
あなたはアマゾン派?楽天派?

 次回は、讃岐うどん店を全国展開する、はなまるうどん社の歴史について解説します。
12/24(日)提出です。お楽しみに。

まあに

ちなみに、はなまるうどんの記事を提出するのも、2回目になります。

またかよ>(・o・)

さて、果たしてまあには、前回の記事以上のいいねをゲットできるのでしょうか?

前回の記事:

サムネイル内で使った画像の引用元:
https://www.watami.co.jp/assets/img/common/site-id.jpg

https://www.watanabemiki.net/wp-content/uploads/2019/11/profileimg.jpg

https://imgfp.hotp.jp/IMGH/23/45/P041962345/P041962345_480.jpg

まあには見た!

上の記事から学んだ事:
今の小学生の流行を知りました。やはり私は、今の小学生の流行りについて行けません。ハッキリ分かりました。やはり私は、大人向けの記事をかくしかないようです(いやらしい意味じゃありませんよ笑)
=====

上の記事から学んだ事:
しばしば人から理不尽な攻撃をされがちな経営者は、強い心臓をもたねばならないと分かりました。
私も、まあにと言う会社を運営して大きくしていこうと考えている人間なので、大変参考になりました。

=====

上の記事から学んだ事:
現在、日本の中国・アジア向け輸出が減少傾向にあります。私は、来年はこちらが増加すると考えました。理由を知りたい方は、上のリンクをクリックしてくださると嬉しいです(どんな宣伝w)

その100円が、まあにのゼンマイを回す