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いまだにサッカー部のやつらの夢を観るとはね

あの頃はあれが世界の全てだったから、
そこから逃げてからというもの、
陰でひっそり生きることばかりを考えるようになって、
できるだけ目立たないための術として、
なにごとも3番くらいにいるようになったんだっけ

全力を出し過ぎず、かといって自分を出し過ぎず、
文化祭も体育祭も球技大会も、自分の最低限のプライドが保てる程度に力を抜いておく

そこからの中高の記憶が薄いのも当然か

いまだに自分は世界の「本流」にはいれない自覚があって、
いまだにあいつらに後ろ指刺されてる感覚があって。

いまだに気にするのも馬鹿みたいだけどね。

泣くのも負けな気がして、
でもある日こらえきれなくなって、泣きながら辞めるって。

負けたくないから、すごく負けず嫌いだから、勝負もしないようになった。

いかに穏便に、心の平穏を保てるかばかり考えてた。いや、それでもいいんだろうけどさ。そういう生き方も昨今では肯定されてるけどさ。全力で楽しめるわけがなくて、全力で楽しんでる人を見て、「いいなーずるいなー俺はこんなにも抑えることがたくさんあるのに」って感覚があったんだけど、それすらも負け惜しみにしか思えなくて、

負けたくないから、

だからそれからは目を背けて自分の感情を一切出さないようになったっけ


負けたくないから、自分は楽しいから大丈夫って言い聞かせるようになって、
周りと違うことをすることで自分はやりたいことをやってるから大丈夫と思うようになって、
日々、ソシャゲでもない友だちとの話題にすらならないパソコンのゲームや、対して上手にもならないカラオケに時間を費やして、学校ではなんとなく居心地がいいやつらとずっといて、それでも全部3番くらいにはずっといれたから、こんなもんかって。

自分のことを要塞だと例えるようになったのもあの頃からか

けど、いつしかそれが当たり前になっていて、大学に入ってせっかくあいつらの目がなくなったのに、自分がやりたいことが分からなかった。

――――

あの頃の自分には言葉がなかったから、どんな聞き上手でも俺から悩みを引き出せるとは思えないけど、それでも、誰かに話を聞いてほしかったな。
家では連日の兄の反抗期と、両親の喧嘩もあり、家族に話を聞いてもらいたいと思うはずもないし、学校の先生も「本流」の仲間な気がして。
廊下のポスターで『悩み相談』って言葉は知ってたけど、悩みを誰かに話すという経験も、発想も、概念もなかった。だから、「こんなの誰が行くんだ」って誰かの発言を聞いて、「うん、そうだね」って。
負けた人が行くところなんだって思ってた

たしかに、あの頃の俺には悩みなんて何一つなかった


ああ、
数年前に買った「『そっと心の扉を閉じた』Tシャツ」も、

去年長野の山奥で星に向かって自然に放った言葉も、

これから少しだけ道を逸れて自分らしさを探すってのも、

言葉を持たない人間のささやかな叫びだったんだけど、
なかなか思うようにはいかないね

ずっとずっと言葉を持ちたいと思ってきたのも――――—言うまでもないね


それにしても、サッカー部とか親の話をあと何回書けば次にいけるんだろう

すごろくで[100回休み]してる感覚

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