見出し画像

街歩きレポートat円覚寺、鎌倉

円覚寺散策概要

■11:30北鎌倉駅に集合

■11:30-13:00
茶寮「円」にて昼懐石料理
”道”と”円覚寺”について学ぶ

■13:00-15:30
円覚寺内を散策
13:30-14:00 龍隠庵にて空手修行体験
14:00-14:30 国宝洪鐘の横にある弁天茶屋にてお抹茶休憩
(その他、選仏場、仏殿、大方丈、白鹿洞、座禅道場を巡る)


茶寮「円」での懐石料理から散策をスタート

経営者6名が集い、円覚寺を存分に堪能する贅沢な時間となりました!

北鎌倉と円覚寺と空手

皆さまご存じの通り、鎌倉(鎌倉、北鎌倉)には100を超える寺院が現存すると言われています。特に、鎌倉には小町通りという観光客で賑わう通りもあり、関東でも随一の観光名所でもあります。そんな観光地鎌倉の旅は「北鎌倉駅」から始める人が多い印象です。
駅を降りて目の前にあるのが、今回ぼくたちが目的地としている「円覚寺」です。
なんと円覚寺は鎌倉地区でもその歴史は古く、2番目に建立された寺院だとか。そして、この寺院は北条時宗が蒙古襲来の殉死者を敵味方関係なく平等に弔うために「平和」を祈願して建立された「平和の象徴」ということを初めて知りました。

今回、五感を刺激する素敵な散策をガイドしてくださった菅さん(地元の行政書士、空手家でもあります)

<プチ情報>
北鎌倉駅には2つ改札があり、公園のような場所を線路が走っています。実は、これ。公園ではなく円覚寺の敷地内なんです。太平洋戦争の頃、横須賀に物資を運ぶために円覚寺敷地内に線路を走らせたとか。平和の象徴である寺院の中を戦争に向けて列車が走る線路を通すなんて、今考えると末恐ろしいことですね。
********

さて、この円覚寺にはもう一つ面白い歴史があります。それは「空手」の源流であるということです。正確には沖縄が空手発祥の地なのですが、当時は唐手と呼ばれていて、円覚寺の管長だった老師が「空手」と名づけ、そこから色々な流派に分かれていったようです。
空手は「道」を極めるものであり、勝ち負けや綺麗さではなく”目的のない道”を進み続けるものでもあると言われています。これは武士道や合気道、茶道などにも通ずるものであり、現代の”正解を求める”文化とは全く持って逆のものであるのです。
昨今、武士道や茶道、華道を回顧し、再注目されているのは今の時代へのレジスタンス(反抗)や過去への回帰なのかもしれません。

「空手に先手なし」の文字が刻まれた石碑を見ることもできます!

このような歴史、円覚寺にまつわるエピソードを聞きながら、僕たちが向かったのは今回のガイドである管さんが日頃から出入りしている「龍隠庵」。
円覚寺の塔頭(本寺の境内にある小寺のこと)の一つでもあり、最も眺めが良い場所だと感じます。開放的な庭先で行われるは「空手修行」です。

この日はカラッと晴れた冬の日で写真映えもした「龍隠庵」さんです。

足の型から入り、手の使い方、身体の使い方を習いますが、皆四苦八苦。なかなか思うように身体が連動しないものです。どうして連動しないのか、自分の身体を普段どのように使っているのか。そして、どうして空手が僕たちの私生活においても役立つのか、ジブンゴト化できる貴重な時間となりました。

真剣…?ロボット…?皆思い思いに”道”を探索してます♪

弁天茶屋

空手修行体験で身体と脳に刺激を与えたあと、一行が向かうは国宝洪鐘(おおがね)の横に構える弁天茶屋。いかにも寺院という階段を上ること3分、そこに広がるは富士山が綺麗に見える高台のお茶屋さん。

富士山のてっぺんが綺麗に見えました⛰

お抹茶とお茶屋さんの女将の「茶道のお作法」トークに舌鼓を打ち小休憩。ここでも話に上がるのは「道」や昔から続く風習、お抹茶の飲み方や茶室でのお作法など。この加速度的に進んでいく、止まることの許されないような時代に生きる僕たちにとって大事な時間、環境、ものが色濃く残っている体験となりました。

茶道のお話を聞きながらいただくお抹茶は深みがありました。

その後、本殿(仏殿)の天井に描かれた龍の理由や畳ではなく土間が広がる理由をお聞きしたり、実際には鹿は現れていないのに、鹿が現れたとされる「白鹿洞」を横目に見たり、年に3回しか開かれない座禅道場を見て鎌倉時代にタイムスリップしたような、スッと背筋が伸びるような空気感に触れたり…と思い思いの思考に皆空気感を楽しんでいたように思います。

仏殿にある龍の絵の解説を聞きながら天井を眺める一同

旅と体験とわたし

今回の円覚寺ツアーを通じて、改めて旅の良さを実感しました。それはただ旅するだけではなく、その土地に触れ、その土地の人から物語、歴史を聞き、その歴史を感じられるような体験をするからこその旅。
旅行と旅の違い。旅行は目的があらかじめ決まっていて、特に行き先での観光を楽しむことが旅行。旅は目的があらかじめ決まっておらず、行った先で自分の感性や土地の雰囲気に従うこと。移動の過程も含めた全てを意味づけし、自分事にしていくことが旅。

旅が始まる予感をにおわせるかのように梅の花が今か今かと咲き始めそうな…

「可愛い子には旅をさせよ」と言いますが「可愛い子には旅行をさせよ」とは言わないですもんね。可愛い子に旅行させたら、それはただただ行楽目的のご家族様御一行旅行です。可愛い子に旅をさせる理由は、行った先での体験や風習から学びを得てほしいからですよね。

そう、旅は学びなんです。学びには体験が必要であって、五感で見る、食べる、感じる…が必要になってくると考えています。

この道の先になにがあるのだろう…?さあ、旅をはじめよう。

今、私が日々の喧噪に疲れていて、「ちょっと静かな場所で落ち着き、明日からの毎日へのチャージをしたい」と思っていたら旅はおすすめです。ただただ学びを得たい。成長したいという場合にも勿論です。机の上で、本を開いて、だと字のごとく「机上の空論」になることも往々にしてあります。しかし体験がセットになっている旅には”わたし”の五感を刺激するなにかに出会うチャンスが必ずあります。嬉しい刺激かもしれませんし、痛い刺激かもしれません。その刺激が「どうしてそのように感じられたのだろう?」と考えるだけでも机の上の勉強より、ずっと自分の身になるはずです。
この早すぎる時代から本物の学び、成長を実感したい方、豊かな人生の”旅”を始めてみませんか?

最後に…
今回円覚寺の深みに連れて行ってくれた管さん、本当にありがとうございました!円覚寺ツアーにご興味ある方、是非管さんに連絡してみてください♪



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?