日記など書いてみる

と言うわけでいきなり始めてみました入院日誌的な日記。

まあなんか自分への振り返り、って意味もあるし
100%プライベートな内容ですけどまあたまには興味持つ人もいるかあ、ってのと
全く誰も読まない文書って書く気が起こらないので
冷凍されてたnoteでつらつら書いていこうと思います。

丹波医療センターのベッドの上で汗だく蒸れ蒸れシャツを早く着替えたい、、と思いながらぽちぽち文章を打っています。

そもそも、なんでこんなことになったのかと言うと
始まりは先週木曜日
(ってもう1週間経ってる。恐ろし!!)
の夜でした。

久美さんと晩御飯食ったのが22時前くらい?
でフツーに帰ったんですけど
なんかその日の夜寝れない。ちょっとあんま覚えてないけど
お腹の辺りが痛い?のか、重い?のか、
なんかインナーマッスルだけ筋肉痛、みたいな感覚になってとにかくしんどい。

晩御飯は寿司だったので、
これは噂に聞くアニサキスか?!
刺すような痛みとは違う気がするけど、、

などと考えながら寝たり起きたりを繰り返して、
ベッドに横にもなれないでいると
マッサージしたりしてくれて
3時だか4時だか、
心配してた久美さんが「救急行こう」と。

野村夫妻は、夫は神河町で茶農家、妻は丹波でパン屋を営む変な夫婦なんですが
基本的には野村がお茶業しに神河町に行って、夜はご飯と寝に丹波に戻ってくると言う生活スタイルなんです。住民票はそれぞれにあります。

なのでその日の夜も丹波でのたうち回ってたので、近隣の大きな病院、丹波医療センターに夜間救急の電話をしたところ
「今別の救急が入ってるから、消防署にかけて丹波医療センターは断られた旨を伝えてください」
と言われたのでそっから消防署に電話。

そうすると、今夜受け入れてくれそうな可能性のある病院を教えてもらったので、必死に病院名と電話番号をオウム返しして
久美さんにメモしてもらい

またそっからそのメモに基づき電話をかけて
名前と年齢と症状と話して、、、で断られる
を繰り返してるうちに
「もう救急車呼ぼう」
と言う判断に。

消防署に電話して病院の一覧を教えてもらった際に
「どうしても困ったら救急車呼んでくださいね。出しますから。」
と言われたからだったんですけど、

人生2回目の救急車でした。
1回目は小学校四年生の時、運動会の帰りに
自宅の真ん前で車と軽く接触して、それを見た母親が救急車を呼んだんですけど、接触度合いが軽すぎて自分としても「え、救急車、、いる?」とか思ってたんし、結局レントゲン撮っても別に何にもなく終わったんですけど、
2回目は35年後で、めちゃ体調悪いのでもう堂々と乗ってやりました。

で、救急車の架台に乗って向かった先は、1軒目の丹波医療センター。
救急車の中でもだったんですけど
・名前、生年月日、住所?
をこの時間内でこんなにお伝えしたのは初めてだったかと。医療センターでも(もういうたやんー)と思いながらも、一文字でも話す言葉を減らすために質問に丁寧に回答しました。

心電図取られて採血して、あとCTスキャン取りました。
CTスキャン取るとき
短パンTシャツしか着てなかったのでそのままで大丈夫やろー。と思ってたら、
自分で気づいてなかった短パンのチャックを医療センターの方が気付いてて、撮影技師の方に「チャックあります」と話してて、お尻触ったら確かに尻ポケットにチャックがついてて、
(おお!この間にそんなチェック済ましてたんや!真っ黒の短パンやから気付きにくいのに、、!)と静かに感心してました。
(CTスキャンは金属が御法度なのです。)

で、検査終わって、
車で追っかけてきたくみさんとしばらく結果待ち。

結果は、、

血液検査ではそこまで炎症もひどくない、
胆石、、はCTスキャンで小さいのがチラッと見えるけどめっちゃ悪さする感じでもなさそう
(まあ、泥水みたいになってるかもしれませんけどー、と言ってた気が)

ひとまず命に別状は無いので帰っていーよー。とのこと。

もう時間は6時過ぎ?明るかったので、
「そのまま一般受付で受信してもらっても良いですよ。その際は紹介状書きます」
と言われたんやけど
まあ2人ともぐったりしてるし、
起きてから近所で診察してもらっても良いか。
となり帰宅。

つづく

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