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素朴な人々

「僕、病気なんです。心の病気、分裂してるんです」Aさんにそう言われて「快くなるといいですね」当たり障りのないことばを咄嗟に返した。背中を丸め一番後ろの席に座った彼の身体は特有の臭気を放ち、衣服には繊維の隅々まで煙草の臭いが染み付いていた。その日、Aさんの様子がおかしいとアッシャーのMさんは何度も心配げに言っていた。「僕の嫁さんの時と似てるんですよ、希死念慮にとらわれてしもて、目が離されへんかったんですよ」消えることのない後悔と理由もわからぬまま逝かれてしまった喪失感が再びMさんを襲う。

肉体からの自己の分離は、耐えがたいものであり、かつ、それに苦しんでいる人は、誰かがそれを元に戻してくれるのを絶望的に希求しているのであるが、その分離はまた基本的な防衛手段としても用いられる。事実これが本質的なディレンマを明示しているのだ。(R.D.レイン『引き裂かれた自己』)

貧乏ゆすりをしながら身体を前後に揺らす。上衣のポケットに手を突っ込んではまた出し、そのかさこそと鳴るナイロンの音が礼拝の邪魔をする。そうして5分と座っていられないAさんは何度もトイレに駆け込んだ。やっと席に戻ったかと思っても、しばらくして鼻をつくような便の臭いがAさんの周辺から漂ってきた。案の定、便座も床も排泄物で汚されている。何ということか!心も身体も壊れかけているんじゃないか。意味不明なことを言い続け「助けてください、助けてください」と大股でカッカと向かってくる。私は恐ろしくなって後退りしてしまった。素人考えでAさんに関わるのはよくない、そもそも医者でない者の手には負えない状態なのだ。MさんはYさんと二人でAさんを家まで送っていった。それでもAさんは「お願いです、一人にしないでください」と、懇願したという。家族に連絡するから携帯を渡すよう促しても、持ってないと平気で嘘をつく。

彼は自分自身の考えや意図に責任をもたされる可能性を何としてでも避けるために、気が狂っているような演技をしているのである。(R.D.レイン『引き裂かれた自己』)

汚物でよごれたトイレは、いつのまにかJさんが清掃してくれていた。「やっぱりYさんは僕とは違うわ、壁一面のヤニと煙草の臭いが充満したAさんの部屋で一生懸命お祈りしてあげてたわ」Mさんはそう言った。教会の人は皆、心底Aさんを心配し、なんとか寄り添おうとしているのだ。自らの行動に、ことさら聖書の言葉を掲げるでもなく、理由付けをしたり、強いられたりしているのでもない。世の知者の知恵をもってしても開けることのできない門を彼らはするり抜けて出入りしているのだろう。小さな群れに集う人々、世界の片隅に名もなく暮らす人々、割りに合わないことばかりに出くわしても、その顔に憂いの翳は薄く、まこと穏やかな表情をしている。誰かが自分のために祈ってくれている、一人の人間として受け入れ、尊重してくれる場所なんて、そうそう在るわけじゃない。

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