幼馴染

雨かんむりの下に敷かれた路は濡れているのね、露という漢字をまじまじと見ながら彼女は呟いた。涙には自浄作用があるのよなんてひとしきり泣いた後、私たちは何もなかったような顔をして次の朝を迎えたわ、遠い日を懐かしむ横顔は童女そのものだった。互いに歳を取り、人生の悲哀を知るようになれば、荷に貼られた札を見ただけで中身は容易に想像できた。もっと幼い頃、刺すような真夏の陽射しを浴びても川に身を浸せば声が漏れるほど冷たかったし、レンゲ畑に座り込んで編んだ花冠を被ればたちまち想像の物語が繰り出された。唇を尖らせ蝶の真似をして吸った蜜の甘さは今も舌に残る。そんな日々が私たちの住む世界の全てだった。今はもう一晩泣き明かしたところで新しい朝は約束されていない。内奥に巣くった煩いは絡み合い、さらに増殖して出口を塞いでしまう。それでも痛みや悲しみを知ることは、むしろ幸福なのではないかと思うほど、真実の光は闇の中でしか見いだせないのだ。数十年ぶりに彼女の声を聞いたのは思いがけず掛かってきた一本の電話だった。長い間連絡を取り合うこともなかったことが嘘のようだ。「夜が怖くてたまらない、声が聞きたい、会いたい…」私たちの心は背丈ほどある草の海を掻き分け、駆けずり回ったあの野山にあった。大地に吐き出した一つ一つの塊は雨に打たれ、ゆっくりと崩れて露わにされた。「ほら、透き通って見えるね、吐露ってそういうことね」胸のすく感覚を共有したあと私たちは別れた。永遠の直線上に切り取られた線分が世にある借り暮らしの長さなら、精一杯生きようではないか、何か目に見えない大きな存在の眼差しの下にあるなら、その行程には特別な意味がある。そう噛み締めながら、一冊の本を開いた。小川洋子『博士の愛した数式』の中の一節「目に見えない世界が、目に見える世界を支えているという実感が必要だった。厳かに暗闇をつらぬく、幅も面積もない、無限にのびてゆく一本の真実の直線。その直線こそが、私に微かな安らぎをもたらした」。

精神を病んだ幼馴染を愛おしく思った再会の日。



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