見出し画像

舌の先まで出かかった名前

  多弁の虚しさから離れて一人池の周りを歩く。もの言わぬ生きものたちの声を聞こうと心を傾けるのは、自分の内に言葉を探すに等しい。初めてキニャールを読んだのは『舌の先まで出かかった名前』言語の失調が突き動かす物語ー人は絶望の淵にある時、黄泉の国の王にも見境なく縋る。暫くののちにやって来る悔いと怖れは心身をも食い尽くしかねない、唯ひとつ救いうるのは地獄の王の名を口にすること、その名を求めて地獄へと赴くーその展開は子どもたちにも聞かせてやりたいと思うほど面白い。tongue 、舌は小さな器官だけれど、その担う役割は大きい。腹の底、或いは胸の内にある何がしかが舌にまで運ばれて言葉となる。記憶の底に沈んだ言葉をどうにかして引き上げようとする、もどかしい。”忘却とは記憶喪失ではない” ”記憶の働きが示す困難さは、塊として保存されたもののなかから、たった一つの要素を選別、抽出し、呼び戻そうとするときの困難さだ” パスカル・キニャールは記す。絡まった糸の結び目から一本の糸を引き出す時の困難、細番手の糸で織られた布の修繕時、糸を掬い、撚り合わせる指先の緊張を私は思い起こしていた。

画像1

診察室前の待合に座っていた私は偶然にもある場面に遭遇した。車椅子に乗った男性、何才だろうか、顔に滲み出ている老いと、血管のひとつも見えないふっくらとして柔らかそうな手の甲とは釣り合わない。付き添いの男性との会話の様子から、後遺症なのか、言語障害が少しあるように聞こえた。言いたいことが言葉として舌にまで運ばれてこない、何度も説明を試みるが相手に伝わらない、やがて彼の顔は紅潮し始め、口元は歪み、顔全体が苦痛の表情を帯びてきた。付き添いの男性がその“言葉”を捉えることが出来たとき、ふたりを囲んでいた険しさが溶け、苛立ちで硬直した麻痺の半身も緊張から解かれていった。

画像2

「内向的というのは心の関心が内に向かっているということ」脳科学者の中野信子さんがTVで話していた。明らかに私は外交的な人間ではないと思った。日ごと積み重ねられてゆく”記憶”と格闘して”言葉”を探している。時々思う、another tongue の語らせるまま、魂だけが理解する言葉に身を委ねてみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?