見出し画像

【いい店の人と考える、これから先のいい店って? vol.8】右近由美子さん(おにぎり専門店〈ぼんご〉代表取締役)

時代の波とコロナ禍による大きな転換期を迎えている今、お店というもののあり方も大きく変わりつつある。
 
お店というのは、住まう人や訪れる人と地域を結びつける、街にとっての窓みたいなものなのではないか。そう考えたとき、これから先の街を、社会を、そして住まう人を元気にしていくような「いい店」とは一体どういうものなのだろう。
 
お店を始めたい人も、既にやっている人も、いい店が好きな人も、みんなが知りたいこれから先の「いい店」のことを、実際に「いい店」をやっている方に聞いてみたい。今回登場するのは、東京・大塚のおにぎり専門店〈ぼんご〉を切り盛りする右近由美子さんである。

外でおにぎりを買う概念がない時代から続く「日本一のおにぎり屋」


東京・大塚。一両編成の都電が走り、牧歌的雰囲気が残る下町の、まさに路面電車の線路際に、おにぎり専門店〈ぼんご〉はある。近年さまざまなメディアやSNSで「日本一のおにぎり屋」と取り上げられたことで全国的に有名となり、日によっては長蛇の列。5~6時間待ちになることもある人気店だ。
 
真冬のある日、朝9時半に店を訪れると、開店2時間前にもかかわらず既に座って待っているお客さんの姿が。店内はカウンターのみ12席。客席からもよく見える厨房では、数名の女性スタッフが慌ただしく立ち動いている。何せここはおにぎりの具が実に58種類。仕込みの量が並大抵ではないのだ。その中心にいるのが女将の右近由美子さんである。

 「〈ぼんご〉は大塚界隈で何度か移転していて、いまのお店には2022年に移ってきたんです。でも、カウンターで食べていただくスタイルは、亡き主人が1960年に開店した当時から変わっていません。看板も、このカウンターも昔から使い続けているので、昭和の頃のままなんです」
 
右近さんが話す通り、新しい建物ながらも店内に一歩入るとどこか懐かしい空気を感じられる。
 
「主人が〈ぼんご〉を始めた64年前はコンビニなどなく、外でおにぎりを買う概念がない時代。基本的に家でお母さんが握ってくれたのを食べるものだったし、外で食べられるとしたら、飲み屋で飲んだ後の“締め”でした。当時は、居酒屋や小料理屋のお品書きには必ずお茶漬けとおにぎりがあったんですね。
 
主人は下戸でお酒が飲めなかったので、そういうお店に行くと必ずおにぎりを食べていたのと、池袋に昔おにぎりだけを出してくれる小さなお店があったらしいんです。そこからヒントを得て“握りたてのおにぎりをその場で食べられるお店”を考えたと言っていました。
 
また、今でこそ牛丼屋やラーメン屋に女性が一人で入るのも普通の光景になりましたが、当時は女性が一人で外食できる店などまずありません。でもおにぎり専門店なら女性はもちろん、子どもでもお年寄りでも気軽に外で食事ができる。当時の大塚は町工場と住宅が混在していましたから、工場で働く職人さんや近所の方に食べに来てほしい。主人にはそうした思いもあったと思います」
 

米どころ新潟育ちの右近さんは、上京してそんな〈ぼんご〉の味に魅せられることとなる。やがて24歳で、店主である夫・祐さんと結ばれ、店で働くようになった。
 
「最初は洗い場でしたが、ある日いきなり主人に“やってみろ”と言われて見よう見まねで握るようになりました。今から思えば不出来なおにぎりでしたし、時にはお客さんから“あんたの作った味噌汁は世界一まずい”なんて言われたことも。でもそうやって小言を言ってくれる存在はありがたいもの。それがなければ、ここまでやって来ることもできなかったと思います」
 
やがて祐さんが病に倒れ、右近さんは店のすべてを背負うようになった。
 
「当時は毎日早朝に家を出て、深夜に帰る生活。それでも休まなかったですね。ウチは今でも毎週日曜日と年末年始しか休日がないし、主人が亡くなった時も店を開けていたほど。それは私自身、気に入ったお店に行ってみたら休みでガッカリするのが嫌で、やっぱり商売する以上は、お客さんが“食べたい”と思った時に行ける店でありたいなって。そういうお店が本当の意味で“いい店”だと思うんですよ」

 現在の営業時間は11時半から23時。オープン時は長蛇の列ができていても、時間帯によってはそれほど待たずに入店できるチャンスがある。常連はもちろん〈ぼんご〉未経験の人にとっても、営業時間が長いのはそれだけで安心感がある。

おにぎりの概念が変わる、”握らない”握り方


 そんな〈ぼんご〉のおにぎりの一番の特徴はおにぎりでありながら「握っていない」こと。炊き立ての新潟岩船産コシヒカリを使ったおにぎりはコンビニサイズの2倍程度で、中には具がぎっしり詰まり、外をパリパリの海苔で包み込んでいると言えばニュアンスが伝わるだろうか。

ひと口齧れば、ふっくらとした一粒一粒を感じることができ、本当においしいお米を味わっている実感がある。おにぎりの概念が変わると言っても大げさではない。

大量のおにぎりが、またたく間に”握られ”ていく

「おにぎりって、ギュっと硬く握られた冷たいのを想像しがちですけど、ウチは暖かいおにぎりをその場で食べてもらいます。

基本的な考え方として、炊き立てのごはんを一番おいしく食べてもらうためのおにぎりなので、おにぎりの形を作るために数回しか握りません。そのかわり、片方の手は寿司屋さんのシャリ切りの要領で米の余計な水分や蒸気を飛ばしたり、全体に空気を混ぜ込むためによくほぐすんです。地味ですけど米のふっくら感を出すには欠かせない作業で、これをサボると水っぽかったり、団子のようなおにぎりになってしまう。おかげで私を含めスタッフはみんな腱鞘炎寸前ですよ(笑)」

 右近さんには“手で直に握られるおにぎりは、人と人との信頼で成り立つ食べ物”との確固たる信念がある。
 
「仮に、条例や法律で、おにぎりを手で握るのを禁じられる時代になったら、その時点できっぱりと店を畳みます。お母さんが握ったおにぎりが何故一番おいしいかと言ったら、そこには絶対的な親子の信頼関係があるからじゃないですか。だからこそおにぎりは日本人にとってのソウルフードになったわけで、そのひとつの形としてコンビニのおにぎりがあるんです。忙しい時にあのおにぎりが全国どこでも百数十円で買えて、お腹を満たせるって実はすごいこと。

でもそれとは別に、目の前で握ったばかりのものを気軽に食べられる〈ぼんご〉のような店が近所にあれば、どこか心の拠り所になるかもしれないじゃないですか。
 
若い方がウチのような店に何時間も並んでくれる理由は、そういうものを求めているからかもしれないし、特に上京された方は子どもの頃から地元でおいしいお米を食べてきて、本当の米の味を知っている方が多いからなんでしょうね。お出しした味噌汁を啜った瞬間、“おばあちゃんが作ってくれた味だ……”って泣き出したお客さんもいらっしゃいますよ」
 
そうしたジャパニーズ・スタイルのおにぎりは映画『千と千尋の神隠し』の名シーンなどを通じて外国人にも広く知られており、取材当日も外国人観光客の団体が朝から列に並んでいた。右近さんの言う“おにぎりが持つメッセージ性”は万国共通なのだろう。
 

なんでも好きな組み合わせを、ということで、青しそと、卵黄醤油漬け+すじこをオーダー。卵黄とすじこの組み合わせはさすがに「なかなか無いわ、贅沢ね」と笑いながらも握ってくれた。

海を超えて鳴り響く、この場所でしかありえない〈ぼんご〉という魅力


独自のおにぎり作りを学ぶべく、右近さんの元には弟子入りを希望するメールがしばしば届く。実際に修行し、新宿の〈おにぎり まんま〉、赤坂の〈おにぎり こんが〉など独立を果たすお店も増えており、〈ぼんご〉スタイルのおにぎりを各地で味わえるようになってきた。しかしそうした店が〈ぼんご〉を名乗ることはない。何故だろうか。
 
「いくらウチで修行したといっても、おにぎりは握る人や環境によって味が変わります。そういう意味では〈ぼんご〉の味はこの場所でしか出せません。絶対に支店を出さないのも同じ理由です。弟子のみんなにはそれぞれの場所で、〈ぼんご〉で習ったことをベースにその地域に密着した経営をしてほしいし、新しいファンを増やしてほしい。そうした考えがあるんです」
 
“ごはんのあしらいがおにぎりの味を決める”と話す右近さん。そんなごはんに合う58種類もの具材はたらこ、おかか、しゃけといったスタンダードから、卵黄醤油漬け、牛すじ、ペペロンチーノといった変わり種まで多種多様。2種類の具を1つのおにぎりに入れるのもOKで、組み合わせを考えるのも楽しい。

ずらりと並ぶメニューも具材も、どれもこれも魅力的で目移りしてしまう

 「昔は20種類くらいでしたが、お客さんのリクエストに応え続けた結果どんどん増えてしまいました(笑)。大変ですけど、メニューに載せている以上は欠品せず、毎日58種類きっちり仕込むのがモットーなんです。よく“具だけ売ってもらえませんか?”と聞かれるのですが、ウチのおにぎりに合う濃いめの味付けにしているのでお断りします。あくまでごはんを引き立たせるための具であり、お新香であり、お味噌汁なんです」
 
取材の間も、並んでいるお客さんのためにお茶を作ったり、声をかけたりと細かく気を配る右近さん。それはひとえに、おにぎりを食べた時の笑顔が彼女にとって一番の力になるからに他ならない。
 
「主人は終戦直後に進駐軍のキャンプでも演奏していたジャズドラマーで、パーカッションのボンゴから名付けたんです。ボンゴを叩けば遠くまで音が響くのと同じように、店の名前も遠くまで響き渡るように、って」
 
店名の由来を嬉しそうに話す右近さん。その通り、いままさに〈ぼんご〉の名は海を越えて鳴り響いている。

右近由美子さん
●うこん・ゆみこ 1952年新潟生まれ。上京後〈ぼんご〉の創業者である右近祐さんと出会い結婚。祐さんの死後、店の経営を引き継ぎ現在に至る。著書に『ぼんごのおにぎり おいしさのヒミツ』(朝日出版社)がある。

ぼんご
住所:東京都豊島区北大塚2-27-5
営業時間:11:30~23:00
日曜定休(祝・祭日は営業)
電話03-3910-5617
https://www.onigiribongo.info/
価格は具材によって異なり1個350円~650円。追加料金で2つの具を1つのおにぎりに入れるのも可能。ほかお新香、味噌汁などサイドメニューも。
ランチセットや晩食セット(平日限定)やスペシャルセット(土曜限定)もある。
※テイクアウトの予約は電話のみ受付(先着順)。


写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/木村俊介(散歩社

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?